第5編|失敗から学べない組織――新規事業で経験が組織に蓄積されない理由
これまで、真面目で優秀な組織ほど、新規事業や変革が止まってしまう理由を、主に【意思決定や会議の構造】から見てきました。
ここから先は、「なぜ人は、だんだん動けなくなっていくのか」に掘り下げていきます。
それは意志の弱さや、覚悟の問題ではありません。
多くの場合、失敗が学習に変わらない構造の中で、人は静かに臆病になっていきます。
失敗からこそ学ぶことができる、と言うが・・・
「失敗からこそ、学ぶことができる。
どんどん挑戦し、どんどん失敗してほしい」
しかし現実には、そういった掛け声がが聞こえる組織ほど、
失敗を重ねても人が育たない構造になっていることが多いです。
特に、新規事業や変革の現場では、
失敗した人ほど評価を落とし
次の挑戦から遠ざかり
経験が組織に残らない
という光景のほうが、よく見られます。
なぜ、失敗は学習につながらないのでしょうか。
失敗は、自動的に学びにはならない
失敗は、それ自体が学びになるわけではありません。
失敗が学びになるかどうかは、
その失敗を誰が引き受けるのか
どのように言語化されるのか
次の意思決定にどう反映されるのか
という「設計」によって決まります。
この設計がなければ、
失敗はただの「評価不能な出来事」として処理され、
静かに消えていきます。
失敗が「扱えないもの」になる瞬間
多くの組織では、失敗が起きると次のような扱いになります。
成果に結びついていないため評価しづらい
数値化できないため報告しづらい
誰の功績でもないため共有されない
結果として、
現場で得られた知見は記録されず
次の計画にも反映されず
同じ失敗が、別の場所で繰り返される
という循環が生まれます。
失敗そのものではなく、
失敗を扱えない構造が、人と組織の成長を止めているのです。
「失敗できる組織」が示していること
エイミー・エドモンドソンは、
著書『失敗できる組織』の中で、
失敗が価値を持つのは、
未知の領域において、学習を目的とした挑戦が行われたときだ
と示しています。
重要なのは、
正解が分からない領域で
仮説を立て、試し、外し
そこから意味を見出すこと
このプロセスが前提になって、
はじめて失敗は「学び」になります。
逆に言えば、
結果だけが問われる環境では、
失敗は守るべきものではなく、隠すべきものになります。
失敗を引き受ける人が、いなくなる理由
失敗が評価にも意思決定にも使われない組織では、
次第にこんな空気が生まれます。
失敗しても報われない
むしろリスクだけが増える
ならば、引き受けないほうが合理的だ
組織に知見が残らず、評価にも使われない失敗は、
個人にとっては「やらなかった方が得だった行為」と扱われてしまいます。
こうして、
失敗を引き受ける人が減り
表に出る情報は「うまくいきそうな話」だけになり
組織の意思決定は、ますます現実から離れていく
という状態に陥ります。
これは、個人の勇気や覚悟の問題ではありません。
失敗を「扱えない設計」の問題です。
失敗を、学習に変えるために必要なこと
失敗を学びに変えるために必要なのは、
「もっと頑張ること」でも「前向きに捉えること」でもありません。
必要なのは、
失敗を引き受けた行為そのものを評価すること
成果が出ていなくても、知見として扱うこと
次の判断に使われると約束すること
つまり、
失敗が次につながると信じられる構造です。
この構造があってはじめて、
人は安心して試し、外し、学ぶことができます。
失敗は、
組織の中で「意味づけ」されて、初めて価値を持ちます。
・・・時に、それを待たずして、個人の中に蓄積された暗黙知も、人事異動によって失われてしまうこともしばしばあるのですが。
次の章では、
その意味づけを不可能にしてしまう
もう一つの力――「説明責任」について見ていきます。
