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カリエール①疲れてだる〜い夜はロダン。今一度ロダンとカリエールを【国立西洋美術館】

ロダンの芸術は、土から出で、土に戻る。巨大な塊、岩あるいは巨石時代の墳墓のように見える。それらはその孤独を明らかに示し、英雄的な大きさの中には男は自分の姿を認めるのである。…こうして、土は外に向けて明確な形や図像、人体像を投げ出す。それらは内なる生の感覚で我々を満たしてくれる。

カリエールによるロダン頌 ロダンとカリエール展 図録より
西洋美術館夜間会館時に撮影

最近、国立西洋美術館のプロジェクト「みんなの3Dロダン図鑑」のサイトがスタートしている。せっかくなので、ロダンの彫刻だけに向き合うことに時間を費やしてみた!

常設展の一階の彫刻コーナーもじっくり見た後、出口を出たところにある図書コーナーを見ていると、気になる図録を発見。「ロダンとカリエール」展、、、!?2006年、20年前にこんな面白そうな展覧会がやっていたのか!!

内容の興味深さとその濃さ加えて、巡回先がオルセー美術館のみって、、、そんな共同の展覧会なんてあったのか!という衝撃。今そんな面白いものあるかな。

ウジェーヌ・カリエールについて気になってはいたけれどあんまり詳しく知っていなかった。深い思考がそこまでロダンと共通しているなんて。こんなのを知ってしまうとカリエールを通してロダンを考えずにはいられない。

「モデルによる習作」または「彫刻」 Study After Nature or The Sculpture
ウジューヌ・カリエール 1904年 現在展示中

カリエールの絵画はめちゃくちゃ暗い。黒と茶色の画面。真っ暗の部屋でめちゃくちゃ近づいてやっと人のシルエットがぎりぎりわかるなーくらいの感覚。写真ではその朧げに浮かぶ様子はわからない。夜にロダンを見てみると、確かに共通する感覚があるかもしれない。

《カレーの市民》1884-88年(原型)、1953年(鋳造)

交流のなかから、ふたりは彫刻と絵画という技法の違いを越え、人物やものの表面に見える形ではなく、その奥に潜む「内なる生命」を表現する者こそ、理想の芸術家であるという考えをもつようになります。

カリエールによるロダン頌 ロダンとカリエール展 図録より

ロダンの彫刻は重い。多分その重さは視覚以外の心にのしかかるものがある気がする。まず姿勢がすごい。仏像をよく見ている日本人の目にとってはあまりにも人間。休日の自分。捻りや反りで流れる姿勢から、その人物の感情や思考の重さが伝わってくる。

c(1906-08年ごろに拡大)
《私は美しい》1885年頃

「考える人」もそうだし「瞑想」とか深い思考をしている関係のタイトルが多い。けれどこれらのタイトルはロダン本人ではなく作品を見た人によってつけられている。それほど「重さ」が漏れ出ているということだ。因みにジョジョシリーズの荒木先生もロダンの特徴として重さを語っていた。

《瞑想》1900年以後

「朝からだる重〜」のCMみたいな。動きたくない朝の自分みたいな重さを感じる彫刻。カリエールは土より出でると表現したけど、逆に土に還ってしまいそうな。そんなドロドロしたオーラを感じる。

ロダンについて調べると、女性関係のいざこざや、クズエピソードがまあまあ出てくる。まあ、芸術家なら一つや二つあるだろうけど。今のところのイメージで、ロダンは陰湿なクズと勝手に決めつけている。勝手すぎるけど、そんな人間じゃないとここまで暗くて小さな人間の内面を表現できなさそう。

と思ったけど、カリエールに見えていたロダンは意外と愛らしいおじいちゃん?↓

だるくなったので今回の記事はここまでにして、昼間から寝ちゃお。

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なすにきび...勝手美術 偏った美術愛ですが、面白いなと思っていただけたら、いいねフォローなどよろしくお願いします。大変はしゃぎます。