[連載小説]ソグディアナ物語⑨
前回の話、第八章
ここまでのあらすじ
ソジュンと留学生・純一は、インディーズバンドを組んだ仲間。
その後ソジュンはデビュー、純一はシルクロード研究を続けていた。
純一、ソジュン、マネージャーのアン・ミンジェの三人はサマルカンドの旅行に行くことに。
ブハラの宿での宴の後、アン・ミンジェは家に伝わる古い木簡を長老に見せると、長老はソグドの末裔だと言い、『ソグディアナの古い物語』を語りだした。
ソジュンが木簡を触ると木簡は熱を持ち始めた。気に留めずにソジュンは、そのまま眠りについた。
ソジュンが翌朝目覚めると二人の姿はなく、ソジュンは迎えのラクダに乗り旅に出ることになった。
パミールの雪山に迎えにきたチュルクの若者と共に長いラクダのキャラバンは雪の降る山道を抜け、草原で楽しいひとときを過ごした。彼らと別れた後、また旅を再開した。
第九章 熱砂の砂漠
前編 タクラマカンの砂嵐
馬にまたがる遊牧民に先導され雪山を越えたラクダの一行は、ローラ(チューリップ)が咲きみだれる春の草原で、チュルクの一家と和やかなひと時を過ごした。
一家と別れたあと次のオアシスで、砂漠の旅に備え装束を着替えることになった。
「タクラマカンは、私どものような旅慣れたソグドにとっても一番の難所でございます。太陽の日差しで、やられないように、こちらに着替えて参りましょう」
(ソグドって言ったよな?それって長老の話してくれた物語に出ていたソグドか?…マズイ、やっぱりロケじゃない)
彼の想像を超えた出来事が起きているに違いない、と不安に思いながら渡された服に着替えた。
金茶色の絹の長袖に、ゆったりとしたシャルワール(ズボン)を履き、裾を絞って革のブーツの中に入れた。その上に、淡い青色の絹に金のペイズリー柄の刺繍を施した足元近くまでのカフターン(ローブ)を羽織った。
腰はベルトで締め、二つの袋をぶら下げた。一つは、水筒(水を入れた羊革の袋)。もう一つは砂漠の携帯食〜塩分補給用クルト、干しぶどう、ナツメヤシの実、アーモンドを入れた袋だった。
「旭俊様、タクラマカンの日差しは強烈ですから、このトゥルバンを巻いてください」
金の刺繍を施した水色のトゥルバン(ターバン)で日差しを遮り、絹のベールで顔を覆うように巻いた。
「砂漠では砂が吹き付けますので。目に入らないように、これで顔を覆うのです」
長いラクダの隊列は、キラキラと日光を反射する砂の海を進んだ。灼熱の太陽が照りつけ空気が揺らぎだすと、刺さるような照射と砂からの照り返しが全身から水分を奪うようだった。
ゆらゆらとした空気の向こう、遥かな地平線がぼやけ出した。砂の海の向こうの空色が微妙に赤みを帯び出した瞬間、誰かが叫んだ。
「砂嵐が来るぞ!」
些細な異変をキャッチした仲間の声で、隊商は進行を止めラクダたちを円を描くように停めた。
「旭俊様、急ぎ、ラクダを降りてください!腰を低くして伏せるのです。
立っていたら砂嵐に飛ばされますぞ!
ラクダたちの円の内側にお入りくださいませ」
ソジュンは、彼らの真似をして砂漠の地面に伏せた。
ラクダたちも円の中央に顔を向け、腰を低くしゃがんで、目を閉じてじっとしている。
「砂嵐が去るまで、目を閉じてくださいませ」
むっとする強い風が吹き付けた。
次の瞬間、凄いスピードで熱い砂が襲った。熱砂はバチバチと音を立てた。服の上からも痛く感じるほどだった。
ソジュンは固く目を閉じ、砂漠に伏せ嵐が通り過ぎていくのを待った。
「もう大丈夫ですよ」
砂嵐は去った。
細かい砂が衣服の隙間からも入り込んでいた。吸い込んでしまったのか、口の中もジャリジャリとした感触がして、「ヤバっ…砂が口に入った」とソジュンは思わず呟いた。
「そうなんですよ、砂ね…閉じてても入ってしまいますよね。
まずは、この水を含んで濯いでください。カフターン(ローブ)は脱いで、こうやってはたいて砂を落とすんです。後でオアシス着いたら念入りにしますが、今とりあえず、ちょっと湿らした布で体を拭きます。この布をお使いください」
貴重な水で口を濯ぎ、湿した布で身体を拭いた。隊商の男たちは、驚いて逃げ出したラクダがいないか数を確認していた。荷物が飛ばされていないかも、念入りにチェックした。
砂嵐の去ったあと、再び隊商は歩み出した。
「旭俊様、ここを越えたらもう少しでございます」
金色に染まるタクラマカンの夕焼けの中、ラクダたちの長い影が進んだ。
やがて群青色の空の縁が桃色となり辺りは暗転した。日没すると肌寒い砂漠の夜が始まる。隊商の男たちもソジュンも、防寒に厚手のキャメルのマントを羽織った。炎天下に旅を進められない砂漠では、日没後の夜も旅は続く。
真っ暗な砂の海を進むラクダたちのシルエットは、月灯りに照らされ、金色に浮かび上がった。
深夜、彼らはテントを張り、オアシスで休んだ。
隊商の男たちも、ラクダたちも、羊の群れも朝から晩までの移動の疲れで深い眠りの中にいた。
砂漠の天高くから照らす月は、そんな彼らを優しく見守っていた。
後編タクラマカンの太陽の病
xšēn wēn(フシェーン・ウェーン)
朝日が東の地平を赫赫と照らし始めた。また次の旅が始まる。
「もう一息で、ございます…旭俊様。腹ごしらえしておかないとバテますので。リコリス茶もどうぞ」
皆で山羊乳とナン、チーズを頬張り、干し肉や果物をかじった。
幾日も続いた遠征でソジュンの肉体は、かなり疲労していた。寝ても疲労は蓄積していくばかりだった。
そんな中でも旅は続く。ラクダの上で幾たびも携帯した水を飲み、クルトや山羊乳で塩分補給した。それでも、その日の喉の渇きは尋常なものでなかった。
そんな彼を気遣って、何度もラクダを止め休ませた。
午前中とは言え、その日の日差しは強烈だった。
次第にソジュンの意識は、ぼやけていった。
「旭俊様、旭俊様!…」
自分を呼ぶ声が遠ざかっていく…
そこでソジュンの意識は飛んだ。
ソジュンが気づいた時、彼は簡易のテントで横になっていた。
「おお!目覚められましたか!!」
砂漠を征く隊商には、医師も同行していた。衣服を緩め、脇にはヒンヤリ冷たい羊の袋を挟んであった。袋の中には、砂漠で貴重な『冷水』が入っていた。
「大切な客人が意識を失なわれて私ども、心配致しました。重篤な太陽の病、xšēn wēn(フシェーン・ウェーン)でございましたが、これで峠は越えましたな。若旦那様が使いの早馬で取り寄せた『天山の雪』で、お体を冷やしました。
目を醒まされましたので大丈夫でございましょう。ご安心ください」
(知らぬ間に大変な事になっていたんだ)とソジュンは驚いた。
医師は脈を取りながら、言葉を続けた。
「『気虚』の状態でございます。旅慣れておられない旭俊様には、このタクラマカンの暑さは堪えましたな。生薬を調合致しました。胃腸の働きを増して疲労をとり、体の熱を冷まし、『水(すい)』を調節いたしましょう。
生薬は、『人参と黄耆を含む参耆剤』が宜しいかと。暑さで弱った体の回復を助けましょう」
医師は、生薬の調合を脇にいる助手らしき若者に説明していた。
「砂漠のxšēn wēn(フシェーン・ウェーン)の患者では、内にこもった熱をとり身体を冷やし体力を戻すのが重要じゃぞ。
人参、 黄耆、陳皮、麦門冬、蒼朮、当帰、黄柏、甘草、五味子の九味を入れておくのが良い。漢の時代からの薬方に先人が工夫したやり方だから覚えておくのじゃ…戻ってきたら補中益気湯を使う手もある」
医師は、そう言うと調合した生薬を器に注ぐとソジュンに渡した。
苦いかと思ったら割と飲みやすい、とソジュンは不思議に思った。
「甘く感じられますでしょう?身体にあった生薬は甘く感じるものです。
今の旭俊様なら塩を舐められたら、甘く感じるはずです。体が欲している証にございます。試しに塩を舌にのせてご覧なさい」
ソジュンは言われたように塩を舌にのせてみたら、「塩なのに甘く感じる」と不思議に思っていた。
医師は、「これを食べるのも治療でございます」と言って、たっぷりと味噌をつけた胡瓜を渡した。
ポリポリ美味そうに胡瓜をかじるソジュンを見て、医師は目尻を下げて微笑んだ。
ソジュンの体力が回復したという医師の判断で、旅は再開した。
その後もオアシスでの休憩をしながら目的地を目指した。
「いよいよ着きましたよ!」と、先頭の男は言った。
向こうにオアシスの緑の木々が見えてきた。
オアシスの中の道をラクダたちが砂埃を上げながら進んだ。
鮮やかな色彩の果物、各地から集まった織物、ガラスの水差し、大きな壺等がところ狭しと陳列させている。
商品を売る商人の威勢の良い声、客たちとの駆け引き、再会の挨拶…
バザールには、そんな活気が溢れていた。
荷を背負ったロバも通る。商人に不可欠なラクダや羊、ロバを売り買いする店も並んでいた。
果物の山の前でラクダを止めたアン・マネージャー似の男は、うれしそうな声を上げた。
「おお、xarbuzarがありますよ!砂漠を旅して食べるxarbuzar、この甘い瓜は格別ですからね。旭俊様の身体を冷やすのに、ビンドゥバーネ(西瓜)とキャール(きゅうり)も買っておきましょう。
彼は、甘瓜や西瓜、胡瓜を大量に買い求めた。路で別れる仲間の分を手渡し、バザールを抜けて再び進みだした。
しばらく行くと白壁の集落が見えてきた。
程なくして「到着!」と言う声に、隊商はラクダを止めた。
川の側の白い土壁の大きな屋敷の前で、隊商は止まった。
「旭俊様、いよいよ到着致しました。こちらが父の屋敷でございます」
一行の到着に気づいたのか、屋敷の中から嬉しそうに弾む声がした。
「おかえりなさい!兄上」
こちらに向かって娘が駆けてくる。
「おお、元気だったか?大きくなったな、ロクサナ!」
駆け出してきたのは、見覚えのある亜麻色の髪を編み込んだ娘。
青い瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。
「まさか・・・?」
風が一陣。
オアシスの胡楊の木々が強風にあおられて葉を揺らし、ガサガサガサッと大きな音を立てた。
「ここは、何度も夢に出てきた、あの場所だ!」
その瞬間、ソジュンは確信した。
「オレは、ここに来たことがある・・・」
第十章に続く
第十章
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