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『また今度ね。』と言った日のこと。

最近、娘はバスボールにハマっている。

スーパーへ行くと、お風呂用品売り場へ一直線。

棚の前でしゃがみ込み、小さな手でいくつも見比べながら、

「今日はこれ!」

と、嬉しそうに私へ見せてくる。

その顔を見るたびに、

「買ってあげようかな。」

と思う。

でも、少し前にも買ったばかりだ。

毎回買っていたら、欲しいものはすぐ手に入ると思ってしまうかもしれない。

我慢することも覚えてほしい。

そう思って、私はしゃがんで娘と目線を合わせる。

「今日はやめようか。」

「また今度ね。」

娘は少しだけ口を尖らせる。

「えー。」

「ほしい。」

そう言いながらも、しばらくすると気持ちを切り替えて、私の手を握る。

帰る頃には、さっきまで泣きそうだったことなんて忘れたように、今日あった出来事を楽しそうに話している。

そんな日が、何日か続いた。



親になってから思う。

子育ては、正解が分からない。

買ってあげることが優しさなのか。

我慢を覚えてもらうことが優しさなのか。

今日買うべきなのか。

今日は我慢してもらうべきなのか。

きっと、どちらにも理由がある。

だから私は、その日その日で考えて決めている。

それでも、

「これで良かったのかな。」

と思う日は少なくない。



だから自然と、

「また今度ね。」

という言葉を使う。

今じゃない。

でも、いつか。

その”いつか”を約束するように。



ある日、娘が寝たあと、一人でそんなことを考えていた。

そして、ふと思った。

私は、

「また今度。」

という言葉を、

当たり前のように使ってきたな、と。



また今度、公園へ行こう。

また今度、旅行へ行こう。

また今度、美味しいものを食べよう。

友達にも、

「またご飯行こう。」

同僚にも、

「落ち着いたら飲みに行こう。」

家族にも、

「また帰るね。」

そう言ってきた。

その言葉に、何の疑いも持ったことはなかった。



明日も会える。

来月も同じようにスーパーへ行く。

来年も娘は、またバスボールを手に取る。

私は、そんな未来を疑ったことがなかった。

でも、本当にそうなんだろう。

そんなことを考えた。

未来は、案外あっけなく予定を変えてしまう。

だから最近は、

「また今度ね。」

という言葉を口にする前に、

少しだけ立ち止まるようになった。

本当に”今度”でいいのか。

今日できることじゃないのか。

そう考えるようになった。

もちろん、

だから毎回バスボールを買うようになったわけではない。

我慢することも、大切だと思っている。

その気持ちは、今も変わらない。



娘はきっと、

あの日買えなかったバスボールのことなんて覚えていないと思う。

何を欲しがって、

何を我慢したのかも、

大きくなれば忘れてしまうだろう。

でも私は、

スーパーで手をつないで歩いたことも、

「また今度ね。」

と言った日のことも、

きっと忘れない。

だから今日も、

娘が笑顔で何かをねだったら、

私は少しだけ考える。

本当に、

“また今度”でいいのかな。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

このnoteでは、シングルファザーとしての子育てや、人事の仕事を通して感じたことを、一つひとつ言葉にしています。

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