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都蘭山居手帖:「流木と苦行:筋骨を労し、三十年を経て『孟子』を識る」

十月末、台風から三ヶ月が過ぎた海辺は、様変わりしていた。林務局による入札で大木は搬出され、浜には名もなき木屑が散らばるばかりだ。しかし、この些細な木片こそが、アミ族の人々にとっては貴重な燃料となる。海へ出れば、彼らとすれ違うのは珍しいことではなかった。腕ほどの太さの枝を拾い集める老人たち。歩きながら拾い、笑い、語らう。その軽やかな足取りに合わせて、耕運機がゆっくりと歩調を合わせる。波打ち際を往来し、歌を口ずさみながら木を積み上げていく彼らの姿は、海辺の祭りのような賑わいを帯びていた。私を見つけると、彼らは屈託なく声をかけてくる。「おい、そんな太いもん担いでも薪にはしにくいぞ。腕くらいの太さが一番使い勝手が良いんだ」
当初の私は、良質な木材を見分ける術など皆目見当もつかなかった。だが、海へ通い詰めるうちに、指先が自然と木の本質を覚えていく。鎌で表皮を削ぎ、破片の匂いを嗅ぎ、掌で表面の質感を確かめ、指の背で叩いて材の密度を響かせる。
私が追い求めていたのは、太ももほどの太さがあり、五、六メートルの長さを持つ材木だ。風雨に抗う頑丈な涼亭を組み上げるには、それだけの硬さと長さが不可欠だったからである。

木を担げば、たちまち大汗が噴き出す。砂浜に一歩足を踏み出すたび、足首までずぶりと沈み込む。重量物を背負った身には、その砂の抵抗が逃げ場のない枷となってのしかかる。波打ち際へ出れば砂は踏み固められているが、今度は潮騒が容赦なく靴を濡らす。足首を挫きやすい礫の浜に差し掛かれば、神経を極限まで尖らせた。転倒すれば最後、重い木の下敷きになりかねない。柔道で「投げる」前にまず「受け身」を学ぶように、万が一の時は木を即座に放り出すか、地面に突き立てて支えにする。そんな保身の術を、泥臭い労働の中で一つずつ身体に刻んでいった。

あまりに重い木を担いだ時は、十数メートル進むだけで呼吸が詰まる。それでも、一度地面に置けば二度と担ぎ上げられないという恐怖が、私を直立させる。半ば担ぎ、半ば屈み込む中腰の姿勢のまま、ひたすら呼吸を整えるしかない。礫の浜に仰向けに倒れ込み、ただ空を仰いだ瞬間に、ふと「跋渉」という漢語が孕むその苦渋の響きが、これほどまでに生々しい肉体感覚として身体に刻まれていることに痛感する。 

進んでは止まり、また進む。貨物車までの搬送ルートは、空身で歩くのさえ厭うような難所だ。それを木を担いで斜面を這い登るなど、正気の沙汰ではない。そのあまりの艱難は、まさに魂を砂漠の強制労働へと放逐し、荒野で苦行を積んでいるかのようであった。しかし、その過酷な滋味こそが、この漂泊の歳月を何よりも鮮明に記憶に刻み込んでいる。

浜辺を往復するたび、汗が際限なく噴き出す。轟く波濤の響きを背に、礫(つぶて)の浜を峻険な足取りで歩む。シャツもジーンズも、まとわりつく潮気と流れる汗でぐしょ濡れだ。だが、この過酷な労働こそが、私にとっての「放逐された生」に対する儀式であり、自らの体力と意志を削り出す苦行であった。
あの数年間、私が人生の理想に幻滅し、すべてをかなぐり捨てていたことを知る者はいない。持て余した情熱や憤怒、そして行き場のない欲望。それらをすべて流木の質量と汗の量に置換し、海へ放り出さなければ、私の心は一瞬たりとも静まらなかった。

ただひたすらに、己を痛めつけ続ける日々。その果てに、かつて学んだあの古の言葉が、ようやく骨身に染みて理解できた。
「その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏せしめ、行いそのなさんとするところを乱せしむ」
驚くべきことだ。この数行の教えを腑に落とすために、私は三十年もの歳月を費やした。台湾の東端という最果てまでたどり着き、三ヶ月の間、黙々と巨木を担ぎ続けた果てに、ようやく合点がいったのだ。人生とは、これほどまでに難解で、そして泥臭いものなのかもしれない。





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