創作大賞2025参加 : 神の器 特別編「幻燈の館」【第12話】「愛の記憶が導くもの」
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【登場人物】
間宮 真(32)
硬派な職業探偵。即断即決の元刑事。
神依 春一(26)
語り手。神々しい美貌と異能の青年。
神依 典彦(25)
電力会社に勤務する春一の弟。Wワトソンの片割れ。
雪野志桜里(28)
霊視占い師。思念に共鳴する異能を持つ。
真崎美緒(27)
第11話、探偵らに密室殺人犯と推理される。
梨木楓(享年5)
15年前の『檜森町令嬢殺人事件』の被害者。
【前回のあらすじ】
博覧強記かつ驚異的な洞察力を持つ春一の情報で、密室で発見された朝比奈瑤子の毒殺トリックが明らかになる。間宮らは、状況証拠ながら犯行可能だったのは真崎美緒だけだと確信。朝比奈瑤子の所持品からWi-Fi対応モバイルルーターを発見。数時間後には通報可能になると語る典彦に、間宮は深く安堵する。
【第12話】愛の記憶が導くもの(春一視点)
「怒りも怨嗟もなく、愛の記憶だけを胸に消える者こそ、最も自由な魂である。」
二人の令嬢
午前八時。朝比奈瑤子の亡骸のある秘書室からグランドホールへ戻ると、声を荒らげる羽賀の姿が目に入った。彼らの視線の先には、階段の踊り場に横たわる荻原貴司の亡骸がある。
間宮の指示で階段の通行は禁止されており、その件で、なにやら揉めているようだった。
「あのな、あの階段、使うなって探偵さんにも言われてんだろう?じゃ、二階に行けないだろ。大体、あんた、あの死体を跨いで行けんのか」
羽賀が苦々しげに吐き捨てた。
荻原貴司の死体はグランドホールの大階段の踊り場に横たわっており、通行を拒むようにその場に在る。左階段側からなら物理的には通過できるが、現場保存の観点から間宮に通行禁止を言い渡されている。
「……でも、わたし、どうしても二階の“子供部屋”を確認したいんです」
志桜里が懸命に言い募る。
「あそこに、まだ何かが残ってる。呼ばれてる、そんな気がするんです。だって、まるで誰かが、深い水の底から私たちを呼んでいる気がしませんか?」
「そもそも子供部屋……って、どのあたりだよ」
羽賀がぼやいた。
美緒が小さく首を傾けた後、ぽつりと呟いた。
「メイン階段が使えないなら……たしか、使用人階段があったはずです」
「え?」
志桜里が振り向く。
美緒は、まるで当然のように答える。
「ダイニングの奥、パントリーの裏。家人に見せずに使用人が上階へ出入りするための階段です」
まるで、そんな邸宅に住んでいたかのような口ぶりだった。
「よく知っているな……」
傍で聞いていた間宮が眉を顰めた。
美緒はほんの一瞬だけ言葉に詰まったが、視線を逸らして説明を続けた。
「……勤め先の郷土資料館で、この館の図面を見たことがあります。この家のことも簡単にだけど、記録されているので」
羽賀が感心したように鼻を鳴らす。
「へえ、郷土資料館、意外と面白そうだな」
だが、間宮も典彦も、美緒に対して訝しげな視線を向けていた。
ぼんやりと、案内を買って出た美緒を眺める。
彼女が振り返ったとき、眼が合った。
あっと、思ったときには手遅れだった。
気づいたときには、彼女の記憶の水底へと落ちた後だった。
◆
美緒と視線が交錯した。
その瞬間。目の前には、美しい庭が広がっていた。
瀟洒な洋館がまだ生きていた日。
四角く石が敷き詰められた中庭は、幾何学的な端正さを湛えていた。足元には年季の入った石畳が整然と連なり、中央には卯の花色をした大理石の噴水が水音を立てていた。彫刻の縁には細やかな花綱模様が刻まれており、陽光を受けて淡く輝いている。
時は初夏、柔らかな陽射しの午後、空気はゆるやかに流れ、どこまでも穏やかだった。石で縁取られた花壇には、整然と植えられた薫衣草が、ちょうど満開の盛りで、香りが風に溶け込んでいる。
……ああ、これは美緒さんの記憶だ。雪深く閉ざされた土地で育った俺が持ちえない陽だまりの記憶。
噴水の縁石に腰掛けて、二人で一冊の絵本を覗き込んでいるようだ。
楓ちゃんが笑っていた。その絵本を、美緒が静かに読み聞かせている。
楓ちゃんは、やわらかな撫子色の帽子をかぶって、声をあげて笑う。
「もっかい、美緒ねえさま、もっかい!」
美緒は言う。
「〝また明日〟だよ。続きは明日」
妹はむくれるように頬を膨らませるが、それもまた愛らしい。
ほっそりとした指先でそっと、その頬をつつく。二人の笑い声が重なる。
そのとき、光景の表面がふっと揺らいだ。まるで水面のように記憶が波立ち、何かが零れ落ちる。
聴こえたのは、ただ一言。
「大丈夫よ。ねえさまが、絶対護るから」
その手の主は、楓ちゃんの頭を撫でながら、そう言っていた。
〝大丈夫〟なんて、そんな約束。
叶わなかったのに。
春一の視界は揺らぎ、音が溶け、やがて薄れていった。
美しい白昼夢から醒めたとき、美緒の目を通じて、その記憶を読み取ったことを改めて悟った。
水底に沈む叫び
ふと視線を横に滑らせる。志桜里と一瞬だけ目を交わし、互いに言葉を交わさずに意志を確認した。確信は、すでにふたりの間に共有されている。
物言いたげな典彦に告げた。
「……典彦。美緒さんを見ていてほしい」
その言葉に、典彦の眉がわずかに動いた。鋭く反応し、低く問い返す。
「……どういう意味だ?」
視線は外さない。淡々と、だが確かな重みを込めて続ける。
「記憶を視たよ。典彦も気づいてただろう。彼女は、あの子の姉だ。そして、毒となる薬を合法的に入手できたのも、水筒を入れ替えることが可能だったのも……彼女だけ」
それを聞いた典彦の気持ちが一瞬で重く沈んだのが解った。典彦は間違いなく、彼女が楓ちゃんの姉の、梨木美緒だと気がついていた。それでも言葉にされると違うのだろうか。
それを受けて、志桜里が一歩前に出るようにして言葉を継ぐ。
「あの部屋……きっと、あの女の子が殺された〝場所〟なんです。空気に痛みが残ってる。ここに立ってるだけで、わたしにもわかる。もし真崎さんが本当にお姉さんなら……ここは、あまりにもつらすぎます」
言葉の端々に、感情が滲む。志桜里の表情には強い憐憫と、ほのかな怒りが混じっていた。
しばしの沈黙。典彦は言葉も動きもなく佇んでいたが、やがてゆっくりと春一のほうを振り向く。
「……わかった」
その声には、納得というより、決意があった。
「だが、何かあったらすぐ呼ぶんだ。いいな?」
相変わらず過保護な弟に、春一は微笑を浮かべて丁寧に謝意を伝える。
「ありがとう、典彦」
言葉に偽りはなかった。
典彦はそれ以上何も言わず、無言で踵を返す。そして、美緒のいる方へと、まっすぐに歩いていった。
◆
子供部屋の扉が、軋むことなく静かに開いた。俺が先に一歩、足を踏み入れる。途端に、冷気とは違う、どこか底のない沈黙が肌にまとわりついた。
何もない。床は剥き出しで、踏みしめるたびに乾いた埃が小さく舞うだけ。
剥がれかけた壁紙。室内には家具も玩具もない。
唯一残されていたのは、窓辺の重たい窓帷だけ。ただ、かすかに湿ったような、埃と古布の匂いが鼻をかすめた。
腰壁には、波打つような曲線の浮き彫り。人魚が泳ぐ海底を思わせる、優美で繊細な装飾が刻まれている。けれどその優美さが、今はなぜかやけに寒々しく映った。誰かの愛が注がれたはずの意匠。けれど、今この部屋に満ちているのは、空虚だけだ。
殺害現場。その言葉が、脳裡にぬるりと浮かぶ。
背後から、志桜里の気配が静かに近づいてくる。振り返らずとも、彼女が足を止めたのがわかった。俺のすぐ横に、ぴたりと立つ。その距離は、どこか心細げだった。
彼女が部屋全体に目を巡らせ、低く囁くように言う。
「……この部屋だけ、空気が違いますね。痛みが、残っているようで……」
俺は彼女の言葉を受け止めながら、視線を漂わせた。
「何か、感じる?」
志桜里は、何かに耳を傾けるように立ち尽くす。そしてぽつりと漏らす。
「……あれ?……おかしいな。……ここ、何もないはずなのに……」
次の瞬間、彼女の表情が微かに歪んだ。手が胸元に伸び、苦しげに押さえた。
「ごめんなさい……今、たぶん……『あの子の叫び』を感じ取ってしまって……」
言葉が途中で震える。彼女はその場にしゃがみ込み、胸を押さえたまま、深く息をつく。
「胸が……痛い。すごく、痛くて、重くて……」
俺はすぐに膝を折り、彼女の横に寄り添った。声を潜める。
「この部屋の残留思念を……感じ取ったんだね」
志桜里は目を閉じ、こくんと頷く。
「はい。ただ……感情だけが、一気に流れ込んできたみたいで」
言葉を継ぐのもつらそうだった。彼女はそっと瞼を上げ、窓の方を見つめる。かつての記憶が染み込んだ窓帷を、じっと見ていた。
「すごく、痛くて、苦しくて……誰にも気づいてもらえなくて。この子……ここで、……殺されたんですね」
その言葉は、まるで部屋そのものが語ったように響いた。
俺は返す言葉を持たなかった。ただ、静かにその場に留まった。志桜里の傍で、何もないはずのこの空間に、確かに残る痛みと、叫びと、哀しみと向き合っていた。
沈黙が、重く降り積もっていく。
光が在るかぎり
志桜里は、自嘲気味に笑った。
「……変ですよね、私。……昔、美容師だったんです。でも、いつからか、お客さんの〝声〟が……直接、頭の中に流れ込んでくるようになって」
その声は細く、かすれていて、どこか呼吸と混じっていた。震える指先が胸元をそっと押さえる。自分の輪郭を確かめようとしている、そんな動きだ。
「私は……〝誰かに言えなかった想い〟が強く残る場所に反応しやすいんです。昔、美容師をしていた頃、お客様の後悔や悲しみが、そのまま言葉や姿で流れ込んできてしまって……」
志桜里の告白を、無言で聴く。これは彼女の信念に根差す“生きづらさ”の話だ。きっと、ずっとひとりで抱えてきたんだろう。その気配が伝わってきた。
志桜里は、俯きながら続ける。
「ある日、カットしてたら突然…変なこと言っちゃって。気づいたら、その方の亡くなったお祖母様の口ぶりで話していて……お客様や職場の人たちに『あなた、何を言ってるの?』って怖がられて、辞めざるを得ませんでした」
言葉は淡々としていた。が、それが逆に深い傷を思わせた。声を荒らげるでもなく、涙に滲むでもない。だからこそ、それは重かった。
周囲から、〝異常〟として扱われた日々。彼女はそれを、一人で黙って耐えたのだ。誰にも理解されないまま、自分の異常性に向き合いながら。
「それは……君の能力だ。呪いじゃない」
静かにそう告げた。言葉は自然と出た。彼女を慰めたかったわけじゃない。これはただ、事実を言葉にしただけだ。
「誰かの心に深く共鳴する力か。無意識に他人の〝心の声を口にする〟……辛かったね」
それから、優しく視線を向ける。彼女はほんのわずかに驚いたような顔をし、次いで、ほっとしたように笑った。それを〝能力〟と呼ぶのは、彼女にとって救いだったのかもしれない。少なくとも〝病気〟や〝異常〟よりは。
志桜里が微笑む。
「はい。誰にも言えなかった強い想いが、あまりにも押し寄せて……私には、重すぎた。でも、同時に〝誰かの痛み〟を癒せるかもしれないとも思って、占いを学びました。だから今は、カフェで占い師をやっています。そっと話を聞くのが精一杯です」
自己肯定と自己防衛。その間で彼女は、己の存在意義を探してきたのだろう。丁寧な生き方だ。彼女の生き方には、一種の覚悟があった。
受け入れられない力を、無理に〝意味のあるもの〟に変えようとしたわけじゃない。ただ、誰かの役に立てるように、と歩み寄っただけだ。それは間違いなく、人間として尊敬に値する姿勢だった。
「私は……ただ、届かなかった気持ちに共鳴してしまうだけ。感情の残り香に、飲み込まれてしまうだけ。だから、この館の〝声〟も、ずっと気になっていて……」
志桜里の中には、優しさの核のようなものが確かに存在していた。
「でも、この館で、あの子のことを想って、誰かがその生きた証を見届けるのは、悪いことじゃないと思うんです。だから来たんです、供養のために」
〝誰かのために〟という言葉を、ここまで澄んだ目で語れる人間がどれだけいるだろう。彼女の言葉たちは、俺には持てない思考だった。羨望ではない。ただ、ある種の敬意を覚えた。
やがて、彼女が顔を上げる。ずっと興味を持っていたらしい志桜里が無邪気に尋ねる。
「春一さんの力って……どんなものなんですか?」
問いに答える前に、ふと遠くを見る。今ここで言葉を選んでも意味はないとわかっている。俺の過去は、事実としてただそこにある。
「俺は、神の器だ。七年間、神に感情も言葉も奪われて、ただ存在していた」
言葉にすると、記憶が少し疼く。だが、今さらそれに痛みを感じるほど、もう柔らかくはできていない。
「かみさま、ですか?」
彼女の相槌は、不思議そうな、けれどどこか納得したような、そんな声色だった。
「神はこの世にいるよ。人がそれを神と信じ、それを神と呼んだとき、それは神になるんだ」
抑揚なく語る。俺にとってはただの現実だった。神座村で生まれ、育てられたその現実は、今となっては、忌むことでも、誇ることでもない。
「俺の生まれた神座村は、数百年前まで雪で閉ざされた辺境の貧しい山間の村だった。…大体、八百年くらい前かな、村に〝それ〟は来た。それの持つ力で作物は実り、病は癒えた。飢えることのない豊かな村になった。村人たちはそれを神と呼んだ。……神依の家は、その神を村へと連れ帰った男が初代だ」
祖先が〝神〟を持ち帰ったその時から、村は神に縋ることを覚えたのだ。
そして俺は、その神を宿す器として選ばれた。
「…昔の俺はね、志桜里さん。神の器になるために育てられた。魂も肉体も、〝それ〟に明け渡すことをみんなに求められて生きてきたんだ」
未来や過去を視る、他者の思考を走査する、それは俺の本質ではない。俺自身が、〝それ〟の器だった、それが俺の真実だ。
俺が生まれたとき、先代の器は老いていた。〝神〟は美しい器にしか宿らない。先代が老いれば、神を留めるために新たな器を決める。
〝神〟が認めうる、次の器が必要だった。だから俺が選ばれた。
「〝神の器〟。感情も、思考も、〝神〟に明け渡して、ただそこに在るだけ。何もかもが、〝神〟に喰われる。生きたままの、ただの入れ物」
俺の声は冷えていた。それに彼女が少し怯えているのが判る。だが、共感し共鳴する力を持つ彼女に害が及ばぬことを第一に、注意を払いながら話す。
「俺は神座村で七年前、正式にそれを引き継いてね。以来、〝神の意志〟が俺を支配していた。感情も言葉も、すべて」
自分が何者かすらわからなくなっていた。まだあのときの空白は、俺の中に残っている。
「感情も言葉も飲み込まれ、ただ器として生きる七年間。気が狂いそうだったよ。俺はその中で……人であることすら忘れそうになった」
視線を志桜里に戻し、静かに続ける。
「……それでも今、春一さんは、人として、神依春一として生きてます」
志桜里のそれは同情でも励ましでもなく、肯定だった。彼女らしい、優しさだけに満ちた言葉だった。
「そう、典彦が、弟が助けてくれた。〝あれ〟はもうこの世にいない」
わずかに微笑みながら言う。言葉にした瞬間、心に柔らかいものが灯る。
彼の記憶だけは、〝神〟にも渡さなかった。
「弟が、迎えに来てくれた。俺を人として引き戻してくれた。だから俺は、人の中で生きていたい。弟の望む、優しい人として在りたい」
志桜里に微笑みかけて、俺は話を締めた。
志桜里、ぽつりと言った。
「……それが、あなたの気配の基なんですね」
彼女の顔色を確認してから、話を切り上げる。
「志桜里さん。もうこの部屋で気になるところはないんだね?下でみんなと合流しよう」
歩き出す前に、ふと腰壁に描かれた人魚に目をやる。
腰壁に泳ぐ人魚を眺め、志桜里に心の内で教える。人魚のお姫さまは足と引き換えに声を失った。それが、人間になるために払った代償だった。
空白と弟は、俺に諦観を与えた。
新たな世界を歩きたければ、何も語れぬことを受け入れねばならない、それが人の世の理なのだと。
そして、愛する者の隣で、人の世界で人として生きるためには、歩くたび、焼け付く痛みにだって耐えねばならない。
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