創作大賞2025参加 : 神の器 特別編 「幻燈の館」【第13話/前編】「”Murder is Easy”」
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【登場人物】
間宮 真 (32)|職業探偵。即断即決の元刑事。
神依 典彦(25)|語り手。Wワトソンの片割れ。
神依 春一(26)|典彦の兄。神々しい美貌と異能の青年。
真崎美緒(27)|第12話、密室殺人の犯人と推理される。
荻原貴司(35)|第10話、踊り場にて遺体で発見される。
【第13話/前編】”Murder is Easy”(典彦視点)
「憎悪で人は殺せる。しかし愛ならもっと容易だ。」
探偵は叩き割る
午後9時30分。通信が復活した。
朝比奈瑤子の所持品だったWi-Fi対応モバイルルーターが、不安定ながら電波を拾い始めたのだ。
エントランス、内玄関の近くで預かったモバイルルーターを睨んでいた俺は、近づいてきた間宮に報告と相談をする。
「東側の窓際なら、もう少し安定するかもしれません。ただ、遮熱ガラスじゃないだけマシですが、窓の封鎖工作は2階もされているらしいので……」
俺の言葉を聞いた間宮は、即決した。
「バールとってくる」
その言葉に、錆びたバールが未回収だったことを思い出す。昨日、朝比奈瑤子の閉じこもっていた部屋のドアを抉じ開ける際に使ったままだ。
間宮は瞬時にその身を翻し、朝比奈瑤子の遺体のある秘書室へと足早に立ち去る。
あれで窓を叩き割るのか。判断が早い。
2分もせずに、バールを片手に帰ってきた間宮は、俺に渡していたモバイルルーターを受け取ってポケットに突っ込む。
そして真崎を一瞥し、視線を俺に向ける。見張っていろ、ということか。
バールを手にした間宮は、2階へと通じる、ダイニングの奥にある使用人階段に向かって歩き出した。
間宮がダイニングへ入室してから1分ほど、入れ替わるように雪野がエントランスに現れた。
彼女は、春一と一緒に2階の子供部屋に行ったはず。
春一の姿が見えず、思わず雪野に訊ねる。
「春一は?」
俺の勢いに一瞬、面食らった雪野は、曖昧に微笑みながら答えてくれた。
「ダイニングで、えっと、……バールを持った間宮さんと丁度お会いして。春一さんもご一緒に2階へ」
なぜ?
軽い苛立ちを覚えるが、ここから離れるわけにはいかない。間宮にも春一にも真崎を見張るよう頼まれている。
10分後、バールを手にした間宮が、春一を伴ってダイニングのドアから姿を現した。
「春一」
呼びかけると、不思議そうな顔をする。
春一の横にいた間宮から端的な報告を受ける。
「おい、通報は済んだ。状況は説明したが、車両通行が可能になるには、半日以上はかかる見込みだそうだ。だが山岳救助班が派遣される。こっちは最短3時間、最長6時間と思っておけ」
追憶の旋律
「美緒さんとお話しするなら、サロンがいいと思うな。グランドホールの右手にある談話室、このお屋敷なら、音楽室って呼ぶほうが適切かも」
その声音は涼しげで、控えめに目を伏せる仕草すら美しかった。
春一に導かれ、俺と間宮は、かつてピアノの音が響いていたというサロンのドアを、静かに開いた。
洋館の一階、エントランスの右手にあったその部屋は、今では埃に沈み、かつての栄華の影をとどめるのみとなっていた。
古びたグランドピアノに春一が歩み寄る。
軽く埃を払い、ポンポンと軽く弾き始めた。
「春一、ピアノなんて、いつ弾けるようになったんだ?」
調律されなくなって久しいだろうピアノは、案の定、少しズレているみたいだ。
「ピアノが教えてくれるよ」
俺の言葉に、笑って答える春一。でもその笑顔は、俺のためじゃない気がした。夜の底のような青い瞳には、何が映っているのだろう。
繊細な指が、鍵盤の上を軽やかに舞う。奏でられた旋律は穏やかで、どこまでも美しい。一音一音が、誰かの記憶にそっと触れるようだった。
「……シューベルトのピアノ三重奏曲第2番、第2楽章」
間宮が独り言つ。硬派な外見とは裏腹に、つくづく文化的な教養のある男である。
ステンドグラスに照らされた室内に、音が撫でるように溶けていく。ピアノとは、ここまで豊かな音が出る楽器だったのか。胸に迫るような低音が規則正しく刻まれてゆく。ゆるやかに流れ出した旋律は、まるで言葉を失った祈りのようだった。
柔らかな音なのに、どこまでも届く。高く遠く広がる旋律は、開かれたドアから、エントランスへと伝わって、もはや館全体へと響き渡っているのではないだろうか。
澄んだ音色が洋館を包み込む中、開け放たれた重厚なサロンのドアに気配を感じて振り返った。そこに現れたのは、真崎だった。
春一の手で奏でられるシューベルトの旋律に耳を傾け、彼女の唇がかすかに動く。哀しくも美しい音が室内を満たし続ける中、真崎はグランドピアノの元へ、ゆっくりと歩み寄った。
足音は軽やかだが、どこか緊張をはらんでいる。
真崎美緒、いや、梨木美緒。彼女は、かつてこの館に暮らした令嬢だ。
あの幻燈の少女に抱いた違和感は、真崎にその面影があったからだ。だからなぜか見覚えがあると感じた。
そして、羽賀に提供された記事に、この館を背景にした一枚の写真があった。その隅に映っていた少女は、間違いなくあの幻燈の少女だった。
亡くなったのは梨木楓。当時5歳。
真崎美緒は、その姉だ。
書斎の場所も、使用人階段も、知っていて当然だ。
この館は、彼女の生家だったのだから。
「話がしたい」
間宮が切り出す。
「ええ。でも、音楽が終わるまでは話したくない。構わないかしら」
真崎は、落ち着いた声で、春一の奏でる音色に聴き入りながら告げた。
真崎はピアノの脇、古ぼけたソファにそっと腰かけた。春一の指先がシューベルトを優しい旋律で紡ぐ。
ピアノの低音が最後の一音を刻み終え、静寂が降りる。
真崎との会話を終えたあとは、そのままじっと春一の圧巻の演奏に聴き入っていた間宮が、隣で深い息を吐いていた。
「ありがとうございました」
春一が、鍵盤からそっと手を離しながら真崎の目を見て丁重に礼を述べた。
いつの間にか、ピアノの音を聴いて集まってきていたらしい、館の滞在者たち。ドアの近くに並び、聴き惚れていたようだ。榊原や雪野なんかは涙ぐんですらいる。
檜森町令嬢殺人事件
「……朝比奈瑤子。彼女の鞄にあった水筒は、お前の水筒と全く同じものだ。幻燈で取り乱した朝比奈がエントランスで取り落とした水筒を、自分が持ってきたものと、入れ替えたな」
間宮がそう告げた瞬間、真崎の肩がほんのわずかに動いた。驚きというより、覚悟が滲んだ動きだった。
「鑑識が到着していない現在は、状況証拠でしかない。だが現状、お前が毒を盛った可能性が高いと考えている」
間宮が冷徹に続ける。
「そして、朝比奈瑤子の鞄にあった水筒の中身は、致死量に近い睡眠薬と鎮痛薬の混合物だと、俺は思っている」
「悪い。昨晩、あんたが春一と話していたことを聞いてた。…あんたには、合法的に強力な鎮痛剤を手に入れる機会があった、違うか」
俺が言うと、真崎は何も言わず、ただ目を伏せた。
「あの秘書室に閉じ籠った朝比奈は、動揺したまま、鞄にあった水筒のコーヒーを飲んだ。ベンゾジアゼピン系の睡眠薬とオピオイド系鎮痛薬、その組み合わせなら、十数秒から一分程度は問題なく行動できる。即死するような代物じゃない。自分で水筒の蓋を閉め、鞄に戻す猶予はある」
間宮が一歩、真崎に近づく。
「そして床に転がっていたトリアゾラムの薬瓶、あれも同時に放り込んだんだろう。朝比奈は水筒のコーヒーを飲んだあと、鞄の中で転がっていた見慣れない薬瓶に気付いた。おそらく、偶然それを手に取ったタイミングで意識低下が来たんだろう。別に鞄の中で発見されても問題ない代物だしな」
「薬に耐性がなければ薬効は最大化する。そしてあの錯乱状態、薬効は増強されうる。混入先がコーヒーということを考えると、カフェインが一時的な覚醒効果をもたらす可能性はあるが、それも束の間だ。むしろ、消化管の動きを促進することで、薬の吸収は早まったと考えるべきだろう」
「じゃあ……おれたちが声をかけた時点では、もう昏睡状態だった可能性もあるってことですか?」
榊原が口を開いたが、返答はなかった。
間宮は淡々と事実のみを述べ続けた。
「荻原貴司については、動機も犯人も不明だ」
「腕時計の針を見て、初めは3時13分が死亡時刻だと思った。だが、全員がエントランスへ集まる前に、改めて遺体を確認した。死後硬直の様子、蝋のような顔色、血の乾燥具合から見て、死亡時刻は、おそらく午後11時から午前1時といったところだろう」
「時計に細工をした意味が謎だ。時計のガラス面は割れているのに、左手首は傷一つなかった。つまり、突き落とし殺害した被害者から、わざわざ腕時計を外し、時間をずらし、破壊して、再度遺体に装着させたとしか思えない。寝静まった深夜。目撃情報はない。アリバイ工作は必要ないだろう」
「でも、午後11時ってわたしたち、宇田川さんとお話してましたよ」
雪野が首を傾げながら自信なさげに話す。
「ああ、そうだったな。状況を整理したい。そこから詳しく聞かせてくれ」
雪野と間宮の情報は初耳だった。
春一を見ると頷かれ、こっそりと話してくれた。
「昨晩の午後11時、志桜里さんたちと宇田川さんがお話してた。お部屋の鍵が壊れてるって。『真珠の間』と『王女の間』はお隣同士でしょう?間宮さんに声がするって言われて、廊下に出て2人で少し話を聞いたんだ」
間宮の事情聴取は続く。
「ええ、鍵が古くて不具合を起こしたのか、閉まらなかったんです。それでお二方に修理を依頼されて。確かにそのくらいの時間でした」
そういえば、宇田川は『月光の間』で、荻原貴司と同室だったはずだ。
「なあ、宇田川さん。その修理を頼まれた段階では、荻原は生きていたんですよね?」
宇田川が肯く。
「ええ。『月光の間』に。ただ、私が修理を終えて部屋に帰ったときには、いらっしゃいませんでした。トイレにでも行かれているのかと、私はそのまま寝てしまったので。それ以上のことは」
間宮が尋ねる。詰問、といったほうが正確かもしれない。
「それは何時頃だ?」
宇田川は、間宮の口調に圧倒されつつ言葉を紡ぐ。
「おそらく、11時半くらいではないかと」
間宮はとりあえず、と前置きして、情報の整理を始める。
「荻原は11時までは生きていた、それは一旦、確定とする。これは死亡推定時刻とも一致する。そして、11時半には、部屋にいなかった。すでに死亡していたか、ただ出かけていたかは、いまのところ不明」
間宮は、ぐるりと全員を見渡して、的確に質問を投げかける。
「……全員が2人部屋だ。途中で別行動をとったやつ、一時的に部屋にいなかったやつはいないか」
俺は昨晩のこと思い出し、はっとした。あの不可解な会話。あれを聞いたのは、午前1時。死亡推定時刻の範囲だ。
「……深夜に目が覚めたとき、俺たちの泊まっていた『珊瑚の間』に榊原さんはいませんでした。俺も外の空気が吸いたくなって部屋を出たら、真崎さんと廊下で話しているところを見ました。あれが、午後1時ぐらいだったと思います」
どっちも左翼側の客室だから、踊り場付近に行く必要はない。遺体があったかなんてわからないだろう。そもそも全館停電している状況だ。俺たちだって、左階段からでは相当近づいてからしか見えなかった。
間宮は、真崎と榊原に目を向け、視線で話を促す。
「えっと、はい。午前1時ぐらいに真崎さんと廊下でお話をしました」
「ええ。間違いありません」
榊原も真崎もあっさりと肯く。
「別行動……」
雪野が困った顔をして小さく呟いた。
間宮が視線で、雪野へ無言の圧をかける。
「えっと、宇田川さんに修理をお願いしている間に、少しだけ美緒さんが、眠れないし、少し歩きたいと。宇田川さんに許可をとってエントランスの方に」
「エントランスに?真崎、午後11時過ぎ、踊り場に荻原の遺体はあったか」
「〝午後11時には〟……死体は、見てません」
奇妙な言い回しだ。もしかしたら巧妙というべきかもしれない。
間宮は、「午後11時過ぎ」を聞いた。
だが、真崎の答えは「〝午後11時には〟」。
そしてもう一つ。気になったことがある。間宮は常に荻原を「遺体」と表現している。元刑事だからだろう。今もそうだった。
なのに真崎は、荻原を「死体」とはっきり言い換えた。
この大人しそうな女性が、わざわざ。明らかに意図的だ。
俺は直感的に口にしていた。
「真崎さん。〝俺たちが発見する前に〟、荻原の遺体を見ましたか?」
「ええ。見ましたよ。だって、私が階段から突き落とした直後には、死体になってましたから」
どれだけ地味な装いをしていても、彼女は生まれながらの淑女だった。
微笑みながら殺人を告白するその姿に、気品すらある気がして、気づけばそんな感想を抱いていた。
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