見出し画像

『神の器 幻燈の館』後日談4「渋谷スクランブル交差点を歩く」

後日談4 神依典彦 渋谷スクランブル交差点を歩く


目の前には、雑多で華やかな街並みが広がっている。
ここはちょっと人が多すぎたか。渋谷のスクランブル交差点。
初めての恐ろしいほどの人混みに、春一は少しばかり緊張しているようだった。

胸の奥がちくりと痛んだ。
何気ない日常の一コマが、春一にとっては“経験のない冒険”なんだと実感するたび、過去に囚われていた春一の時間がどれだけ不自由だったかを思い知らされる。

だからこそ、今。

こうして隣に並んで、街を歩いているだけで、俺は救われるような気持ちになる。その笑顔に、また胸が温かくなる。

どんな過去があったとしても、今は春一が自由に笑っている。
それが俺にとっては、何よりの幸せだ。

特別なことなんて、何もない。ただそれだけの時間だった。
でも春一にとっては、こういう日常がきっと何より尊い。

「なあ、春一」

「ん?」

「これからは、いくらでも一緒に歩ける。街でも、祭りでも、温泉でも。行きたいとこがあったら、ぜんぶ教えてくれ」

春一は少しだけ驚いた顔をしてから、照れくさそうに微笑んだ。
その笑みは、柔らかな春の陽だまりみたいで、胸の奥がじんわりとあたたまる。

横を歩く春一が、ふいに俺の袖をつまんだ。
言葉はなくても、その仕草に、いまこの瞬間を大切に思っているのが伝わってきた。

ただ、幸せそうに、ただ前に進むだけの春一がいる。

春一がくすくす笑う。




いいなと思ったら応援しよう!

桜子 いつもありがとうございます。読んでいただけて、とても嬉しいです。