創作大賞2025参加 : 神の器 特別編「幻燈の館」【第10話】「予告の時刻」
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【登場人物】
間宮 真 (32) | オカルト嫌いの職業探偵。
神依 春一(26) | 語り手。異次元の美貌と異能の持ち主。
神依 典彦(25) | 春一の弟。春一が何より大切。
【前回のあらすじ】
閉ざされた館。間宮の指揮で状況整理を進め、全員が殺人の可能性と向き合う。休息のため2階へ。そこで幻燈に映し出された惨劇に、誰もが言葉を失う。各々2人部屋を割り振られ仮眠へと向かう。
【第10話】予告の時刻(春一視点)
「死者への慈悲は、生者への報復となりうる。」
王女の間(The Princess’s Room)
与えられた客室は南西側の角部屋だった。その配置と、眼前の扉から察するに、客室というより貴賓室と呼ぶべきかもしれない。
白練色に塗られたマホガニー製の六枚パネルの観音扉は、この部屋の格式を静かに物語っていた。全体が光沢を帯びた上品な質感を湛え、控えめながらも緻密な縁取りの中には、海草が揺らめくような繊細な浮彫が巧みに施されている。
真鍮製の取手は深い光沢を帯びて艶やかだった。象嵌された白蝶貝が淡く煌めき、間宮が手を伸ばし扉を開くと、蝶番が低い唸りを上げた。
その先で、視界に飛び込んできた光景に、彼は一瞬、言葉を失ったようだった。
部屋はほぼ正方形で、天井は控えめに丸みを帯びたヴォールト構造。
全面に海草や泡、貝殻、王冠などの絢爛な漆喰細工が、宮廷建築の如く均整の取れた配置で施されている。
天井中央には真珠光沢のある硝子細工を基調とした多層式の燦爛たる飾り電灯が吊るされている。
寄木張りの床の中央に配された波斯絨毯は、群青色を基調に、銀糸で波紋と真珠を刺繍した円文が整然と連なる。
壁面は上質な絹張りで、光の角度で波のように輝く薄藤色。
ウォルナット材の腰壁には象牙と金属を併用した精緻な海洋寓意の浮き彫り装飾。
上品な意匠、整った調度。それらが、あの不穏な部屋の記憶とあまりにかけ離れていたからだろう。二人で入室したものの、感情の整理がつかないのか、間宮は眉間に皺を寄せて呟いた。
「……アレがあった部屋と比べると、えらく、立派に見えるが」
彼なら、扉の格式と部屋の配置から、ある程度は想定していると思っていた。殆ど睨むように室内を見つめる間宮に告げる。
「この館は、ジョージアン様式の邸宅を模していますから。客室は相手の階級に配慮するために様々な仕様になっているのが一般的です。ここは最上位来賓室のようです。……どういう部屋割りなんでしょうね」
「……まあ、春一くんを見ると、この荘厳な部屋もただの背景だな。今更気後れするのが馬鹿らしくなってきた。」
その率直な物言いに従い、改めて室内をみた。
部屋の中央にある、白蝶貝の象嵌で彩られたマホガニーの天蓋付き寝台は、波のような曲線を描き、海洋神話寓意の柱の彫刻は控えめながらも精巧である。
背板には象牙と白蝶貝、さらには月長石を用いた象嵌が施され、虹色に揺れている。カバーレットは薄銀に淡紫を混ぜた絹地で、銀糸と細密な金刺繍により海草と星座が浮かび上がる意匠。
元刑事であるからと、多くの責任を負わされている間宮への気遣いだろうか。大きな硝子窓にある、金糸で縁取られた濃紺色の天鵞絨の窓帷。遮光性、遮音性いずれも高水準なようで、稲光も暴風雨の音も、廊下よりずっと控えめだ。
白蝶貝の象嵌と繊細な青銅細工が施された調度。書斎机、飾り台、長椅子、肘掛椅子、鏡台にいたるまで、いずれもルイ15世様式に基づいて雅やかにまとめられている。白蝶貝と純銀の象嵌が煌めく衣装棚。その横には、真珠色の装飾枠付きの全身鏡が壁に直立して設置されていた。
全体として、装飾は過剰にならず、過度な華美を避けながらも、細部まで高度な職人技と一貫した様式美が貫かれている。
「絵になる部屋だな。おそらく、朝比奈のことがなければ、ここも案内予定だったんだろうな。ベッドは清潔そうだし、案内されたダイニングやリビングと同様、他より手入れされてる」
間宮の予想は正しい。……典彦に与えられたのは『珊瑚の間』。この部屋や主寝室と比べて〝絵になる部屋〟では決してない。手入れの優先度は低いだろう。彼がアレルギー持ちでないことは幸運だった。
「休むぞ」
間宮はそう言うと、壁際に配置されている青磁色をした天鵞絨張りの寝椅子へと向かった。
慌てて引き留める。口に出すのは躊躇われたが、彼の顔色はあきらかに悪かった。だが、「どうぞ寝台を……」と口にした瞬間、その配慮は見事に裏目に出た。
心底呆れたという顔をして、間宮がすごいことを言い出したのだ。
「はあ?お前は何だ、ガニュメデスじみた見た目してるくせに、何でソファに収まろうとしてるんだ。そんなの見たら、弟が泣くぞ」
この人、実は見た目以上に疲れていたんだろう。流石に神々の誰より美しかった美少年とまで言われる相手に喩えられるのは初めてだ。
「いいか。お前がベッドに寝る、俺がソファで寝る、それがこの部屋の自然な絵面だ。それともなにか、あのプリンセス御用達みたいなベッドで俺に寝ろと?」
捲し立てる言葉の勢いと、その声音は滑稽なほど真剣で、口を挟む隙も与えなかった。譲る気配は微塵もなく、その強情さには苦笑せざるを得なかった。でも、そこにある無骨さと真心を、とても好ましいと思った。
とはいえ、この件で譲る気は一切なさそうだ。まあ、この広さの寝椅子だ。間宮も問題なく休める。それに、この寝椅子のほうが、『月光の間』の寝台より確実に快適だろう。
微睡の告白
間宮は、天鵞絨の寝椅子に横たわり、海底宮殿の如き精緻な彫刻を施された天井を、睨むように見つめていた。俺は〝プリンセス御用達みたいな〟寝台の端にそっと腰を下ろしながら尋ねる。
「眠れないんですか?」
「君こそ、そんな風に見える」
間宮は視線を動かさないまま応じた。
しばらく沈黙が流れる。やがて間宮は、額にかかった髪を指先で払いながら、低く語り出した。
「十代の終わり頃だった。母が『光輪導会』っていう宗教にのめり込んだ。最初はセミナー通い程度だったんだが、そのうち喜捨だの護符だの……。父は、黙って出ていった」
握られた拳がわずかに震えていた。
「理屈があれば、人は納得すると思ってた。だから、俺は警察に入った。でも今日、〝幻燈〟を見て……君の異能を目の当たりにして、否応なく知ったよ。理屈の外にある現実ってやつを。あれを見てしまっては、信じないという選択肢が、もう選べない」
俺は、小さく頷いた。
「何かを信じるってこと自体は、悪いことじゃない、それは分かっている。……けど母は、家族を置いて、信仰を選んだ。だから俺は、信じないと決めたんだ」
その声が、過去の重さを物語っていた。
「俺は、ずっと、霊だの異能だのは、人の弱さにつけ込む道具だと思ってた」
声には長い疲れが滲んでいた。だから、ふわりと優しく語りかける。
「理解しなくていい。許さなくてもいい。だってあなたは、今も、今までも、ずっと正しく優しい人です」
暗闇の中、俺の瞳を見つめながら、間宮はわずかに口元を緩めた。
「……悪いな。くだらない話をした。誰にも言ったことは、なかったんだが」
◆
午後十一時。
館の外は吹きすさぶ風に葉が舞い、どこか遠くで軋む音がした。
風と雨音の合間に幽かに人の気配が混じる。
徐々に近づく廊下の声が、部屋まで響いてきた。
間宮が身を起こした。
「……あ? 廊下、誰かいるみたいだな。話し声がする。見回りがてら、少し見てくる」
薄い毛布を整え、控えめに言葉を添えた。
「……俺も、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
音が響かない配慮だろう、間宮がゆっくりと扉を開けた。促され先に廊下へと出る。ゆらめく光が壁の絵画を揺らしていた。その光の先、隣室の「真珠の間」の前に、人影が三つ。館の宿泊者である女性二人と、燭台を手にした宇田川である。
一歩前に出て、柔らかく声をかけた。
「どうかされたんですか?」
応じたのは、紅藤色の羽織ものに身を包んだ志桜里だった。声は幾分か緊張を帯びている。
「実は、お部屋の鍵がかからなくて。どうにか出来ないか、宇田川さんにお願いしてたんです」
「でしたらこちらのお部屋と、交換しますか?女性お二人ですから。そのほうが、安心でしょう」
その提案に、背後から間宮が肯いたように言葉を添える。
「ああ」
だが、美緒は軽く手を振りながら微笑んだ。
「そんな、大丈夫ですよ。きっとちょっとした不具合でしょうし……それに、荷物ももう広げてしまいましたから」
俺は一拍、間を置いてから肯いた。
「そうですか」
言葉少なに部屋へ戻る。扉を閉めると、静寂が再び降りる。整えられた寝台に身を沈めた。
天蓋は淡い藤紫の絹張りで、夜の帳に溶けるように優雅な襞を描いている。四方を囲む柱には、波打つような貝殻や海草の浮彫細工に、清逸な金箔が控えめに施されている。海底の如き崇高美に包まれ、眠りについた。
美しく、優しい記憶だけが宿る『王女の間』。姉さまに甘えて身を預ける、無邪気な楓ちゃん。〝あの部屋〟から最も遠い世界が、ここにはあった。
午前五時三十分。
窓の外はまだ青白い闇に沈んでいる。だが春一は、規則正しく刻まれた習慣に従い、自然と目を覚ました。
硝子窓の外には未だ激しい豪雨が続いていたが、どの部屋より外部からの防音に配慮された室内は、存外静かだ。寝椅子に横たわる間宮も、深い眠りに沈んだままだった。
……あと十分もすれば、典彦が迎えに来る。
間宮は、誰かに無防備な姿を見られるのを極端に嫌う人だ。春一は身体を起こし、彼を起こすべきかどうか思案する。
青い上着の男
時計が止まった瞬間から、誰かの嘘が始まった。
死の匂いは、記憶よりも静かだった。
三時十三分。それは、夢に見た光景だった。
茜色の絨毯の上に倒れた男。荻原貴司だった。薄手の千草色の上着を着た彼の腕時計の風防は放射状に罅割れている。時刻を示すその針は、時の流れを拒絶する明確な意思を感じさせた。
◆
時間は、午前五時四十分。
間宮が扉を開き、視線で俺を促す。雷鳴はもう聞こえない。だが外では未だ、風が吹き荒れ、雨が降り続いている。薄暗い朝の空気に、湿った冷気が混じった。
廊下はまだ深い眠りに包まれていた。間宮が持つ懐中電灯の明かりが、床に揺れる影を二つ落としている。丁度、典彦が『珊瑚の間』から出てくるところだった。
「おはよう、春一。間宮さんも。もう起きていたんですね」
典彦と目を合わせると、間宮と並んで廊下を進み始めた。合流した典彦は、少し後ろに控え、俺の足元を照らしながら歩き出した。
グランドホールへ続く階段へと向かう。昨夜の移動では右階段を使ったが、今朝は『珊瑚の間』に近い左階段を選んだ。
典彦の顔色が優れない。
「昨夜は、正直あまり眠れなかった。何か嫌な感じがして……」
どこか落ち着かない様子だった。
俺は美しい夢を視ながら眠れた。寝不足だと言う弟に、声を抑えながらも、あえて明るく声を掛けた。
「この時間帯、館内はまだ静かだね」
廊下を抜けると、眼下にグランドホールが広がった。湿った冷気が肌を刺し、空気が重く感じられた。艶のあるマホガニー材の手摺には、丁寧に磨き上げられた光沢があり、縁には波を模した文様が刻まれている。
階段を下り始めたその時、ぴたりと足を止めた間宮に、制止された。
「……ちょっと待て」
視線を下ろすと、踊り場の向こう側、右階段の手すり近くに倒れ伏す人影。赤い絨毯の上で、荻原貴司が血を流し倒れていた。
頭部の下に、円状の血痕が黒ずんで広がり、髪は血でべったりと固まっている。頭蓋が砕けたのだろう。皮膚の裂け目から、象牙色の骨片が僅かに覗いていた。
「……荻原さん!?」
典彦が慌てて懐中電灯を構える。強い灯りが、倒れた男を浮かび上がらせた。千草色の上着は鮮やかな血に染まり、顔は蝋のように白く、わずかに引きつったまま硬直していた。半開きの口元では血の泡が乾き、瞼は半眼で静止。両腕は不自然な角度で固まり、指先は引き攣れるように曲がっていた。
「荻原さん……?」
典彦が手を伸ばし、その肩に触れようとした。
「待て、触るな」
間宮が素早く制止する。
「おそらく死斑が出てる。背中全体に……。位置が変われば、検視の判断がぶれる」
「転落だな」
間宮は無言で周囲を見回した。
「右側の階段から落ちた痕跡がある。手すりが壊れ、壁に擦れた跡も……」
間宮の声は静かだった。典彦も顔を青ざめさせ、周囲を見回していた。
荻原貴司の手首には、文字盤を内側に向けて着けられた腕時計があった。罅割れたミネラルガラスの風防の下で、針は三時十三分を指している。
「止まった時計の時間が、おそらく死亡推定時刻だ……三時十三分。まだ皆寝ていたはずの時間」
その声に応えるように、背後の廊下の先から微かな物音が聞こえてきた。館内の他の者たちが、次第に目覚めて動き始めたのだ。
雨音が途絶え、東側の硝子窓からは、青白い光が僅かに差し込んできた。
雨が止んだ。
だが、それはまるで、新たな覚悟の幕開けを告げるかのようだった。
「知らせなければ、いけないな」
間宮は深い溜息を吐きながらそう言うと、典彦も肯いていた。
俺は、視線をもう一度踊り場に落とした。
茜色の絨毯の上に倒れた千草色の上着の男。ミネラルガラスが割れて、三時十三分で止まった腕時計が嵌められた綺麗な手首。その左手には擦り傷一つなかった。
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