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創作大賞2025参加 : 神の器 特別編「幻燈の館」【第7話】「深闇の抱擁」

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【登場人物】

神依 典彦(25)
語り手。独特の感性を持つ春一を敬慕。電力会社勤務。

神依 春一(26)
典彦の兄。神々しい美貌と異能を持つ天才。

間宮 真(32) 
元刑事の職業探偵。典彦を助手に孤軍奮闘。


【前回のあらすじ】

遺体発見から1時間。連絡手段が全て断たれ、土砂崩れで道は寸断された。通報も救助も絶望的、完全なるクローズド・サークルが完成した事実を、全員が共有する。



【第7話】深闇の抱擁(典彦視点)


「秘密は閉ざされていない。資格ある者には開かれる。」


海底宮殿の真珠

リビングから出た春一を追いかける。俺が重厚な木製のドアを押し開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

館内は電気が通っておらず、灯りは、雪野から渡された缶入りのアロマキャンドルだけだ。エントランスは、ひどく暗かった。大きなシャンデリアは、かつての輝きを失って鈍く沈んでいた。

漆黒の空間。
俺には、春一はまるで真珠のように浮かび上がって見えた。


俺の姿をその透き通った瞳で見つけると、春一は仄かに微笑んだ。
「ねえ典彦。このグランドホールは、とても麗しいね。寓意は海底の宮殿かな」

春一は昔から俺と「素敵なもの」を共有することが好きだ。彼の見つける素敵なものたちは、今まで俺の生きてきた場所にもあったのだろう。

けれど彼を失っていた7年間、目の前にあっても何一つ気づくことなく生きてきた。彼の瞳はタンザナイトのように煌びやかだ。美しいものを見出し、美しいものを映す瞳なのだ。

「あの、マホガニーに刻まれた天井装飾」
春一は、おもむろに天井へと俺の視線を促し、ゆったりと語り始めた。
「中央から放射状に伸びているのが珊瑚の枝。その隙間にあるのは、星と泡の浮遊模様。中央や角に貝殻の浮彫が配置されているのが見える?そのまわりの水草はゆらゆら漂うみたいで」

彼の瞳が何かを捉え、その美しさに触れるたび、空気が澄んでいくのがわかった。

「まるで海流に揺られているみたいだよね」
海底宮殿を静やかに歩く春一は、祈るように語り続けた。その声には、不思議と心を落ち着かせる力があった。

春一が俺に贈ってくれる世界は、いつだって素敵なものだけが存在している。どんな場所でも、どんなときでも、それは変わらない。

この碌でもない状況でも、世界と他者を、心の底から慈しむことができる。それを強さと呼ばないのなら、何を強さと呼ぶのだろう。

「ああ、そこの三叉槍は、海の神トリトンを象徴してるんだ。玄関に彼を描いたアカデミック絵画があったでしょう。典彦、人魚の絵なのに女性じゃなくて筋肉質な男性だったから、びっくりしてたね」

俺に向かって悪戯っぽく微笑みかけてから、春一は解説を続ける。

「……この邸宅自体は、ジョージアン様式のカントリーハウス建築で、これは左右対称と、古典的な神話が題材となった端正な装飾が特徴とされているんだよ。けど、調度品は優美なルイ15世様式が多いね」
この寂れた館に対する、教養と優しさに裏打ちされた気高い肯定。

正直耳慣れない用語も多いが、一つだけはっきりとわかった。幽霊屋敷、事故物件なんて言葉で、この館を表現されることが、春一にとって苦痛だったのだろう。

「そっちの、艶を抑えたマホガニー材の観音扉。海草の浮彫細工や泡を模した白蝶貝の象嵌が控えめに施されていて、とても、綺麗でしょう。あの扉の向こうにはね、この家の音楽室があるんだ」
エントランスの右手にある一つの扉に、すぅっと春一の視線が動く。タンザナイトの瞳が色を変え、何かを隠し持つかのように深遠な輝きを放った。

語る春一に、博覧強記という言葉が頭に浮かんだ。生来、聡明な人だとは分かっていたが、その細やかな感性と博識ぶりには流石に舌を巻く。

春一は、平日に週4日喫茶店で働き、人と触れ合う経験を積んでいる最中だ。そして残りの1日を近場の区立図書館で過ごしている。

朝9時の開館から夜8時の閉館まであらゆるジャンルの本を読み耽っているらしい。今は、とにかく知識を得ることが楽しいようだ。

小説から宗教学、建築、数学、薬学、医学、神話、哲学、美術史、百科事典、天文年鑑、辞書や洋家具のカタログまで、彼の興味の赴くままに。

迎えにいけば、目映いばかりの笑顔で嬉しそうに話してくれる。話から察するに、一日で数十冊あるいはそれ以上に読んでいる。

春一の読書は、情報の収集ではない。分厚い専門書であっても、細かい脚注にも目を止めて、書き手の思考を丹念に追っていく。図書館で過ごす時間は、彼にとっては、学びであり、遊びであり、生きる喜びの一つとなっているみたいだ。

たとえ大量の難解な専門書から得た知識であっても、俺が理解できるかたちに落とし込めるのは、優しい春一らしい学び方だった。話を聴くだけで、俺も、まるでその日その日で、新たな世界を旅している気分になれた。

世界史と、数学と植物学図鑑を繋げて話す春一の頭の中は、全ての知識が星座のように繋がっているらしい。


沈黙を強いられていたあの村から連れ出せて以来、春一が知識を吸収していく様子を見るのが、俺は何より嬉しかった。



悪意の気配


春一の美しい話に耳を傾けながら、窓に近づいたのも、その鍵に触れたのも、すべて何気ない行動だった。

カシャン、と鍵は軽く外れた。だが窓自体は、まるで壁の一部のように微動だにしない。
「……開かないな」
手応えはあった。明らかに、どこかが引っかかっている感触だ。

もう一度、今度は少し力を込めて押す。だが、まるで内側からがっちりと固定されているかのように、ビクともしなかった。

なぜだ、鍵は外れてるのに。

近くにきた春一が、俺の手元に小さなライトを向ける。俺は窓枠の下部と側面を丁寧に撫でる。すると、指先にわずかに硬質な感触が伝わった。木材ではなく、金属の感触がある。
「春一、ここ見てくれ。これ、枠の裏に金属が仕込まれてる」

木製の窓枠に見えていた箇所の内側に、僅かな金属の縁取りが覗いていた。
それは、装飾には見えなかった。ガラス部分を枠の内側から挟み込むように、補強金具らしきバーが走っている。

「建て付けの補強としては、妙だな。普通、外から見える部分にわざわざ金属は使わないはずだ。なんだこれ」
言葉に詰まった瞬間、春一が軽く瞬きをした。その瞳には、深海のような冷たさと優しさが同時に宿っていた。

春一が指を滑らせて止めた。
「……ここ、エポキシ樹脂でネジ穴が埋められてる。……内側から接着されてるんだ。これ、外れないよ」

エポキシ樹脂?全く知らない単語だが、よく見れば、窓の固定用と思しきネジのいくつかに、透明な樹脂のようなものが充填されている。表面は丁寧に整えられているが、よく見れば光の反射が違う。

「エポキシ樹脂って?」
春一に訊ねると、いつも通りの優しい口調で丁寧な答えが返ってくるが、その内容は想像を遥かに越えた。

「エポキシ樹脂はね、……えっと、化学的に硬化する接着剤って言えばいいのかな。強度が極端に高くて、耐久性、防水性、耐薬品性を備えるんだ。だから、現在の技術だと、一度硬化すると絶対に取り外せないと思っていいよ」

それは明らかに、老朽化でも、台風対策でもない。あまりにも強烈に、何者かの意図を感じさせる細工だ。

「絶対に……?」
呆然と呟くと、春一は、この犯行がいかに狂気的であるかを、より詳しく俺に教えてくれた。悪気はない。春一は、常に正しい人なのだ。

「あ、ごめんなさい。あのね、理論上はね、数百度の熱や強アルカリ溶剤で樹脂自体を壊せば外れるよ。でもここでそんな機材や薬品は用意できないから……。えっと、ここを開けたいなら、硝子窓を割るしかないと思う」

恐ろしい事実を教えてくれた春一の瞳は、澄んだ水面のように揺れている。

「ほかの窓もか?」
思わず尋ねてしまう。

首を傾げる仕草は慎ましく、どこか優雅だった。
「俺の〝視た〟限り、全部かな」

こうなると、通信も、照明も、非常電源すらも。すべてが沈黙している現状すら、人為的なものではないかと、確認せざるを得なかった。

であるならば、どこかに復旧の可能性が残っているのではないか。俺は春一に「いってくる」と一声かけ、すぐ間宮のいるリビングに駆け出した。

「気になることがあります。どう考えても、電気系統の不具合にしては腑に落ちない。断線や過負荷では説明がつかない何かがある」
リビングから連れ出した間宮に相談すると、彼は顔を顰めながら、「行くぞ」と低い声で言った。

俺たちは管理人室へと再度、向かった。

部屋の隅、配電盤へ続くケーブルダクトに目をやると、金属製の蓋がわずかに浮いていた。通常、専用工具なしでは開けられないはずの場所だ。それなのに、開いている。薄暗がりの中にも、それははっきりと見えた。

懐中電灯の光を当てると、切断されたケーブルが目に飛び込んできた。明らかに、意図的な断線だ。しかも雑ではない。工具で狙いすましたように、きれいに切られている。

隣で間宮が呟いた。
「これは……明らかに人為的に見えるな」

「俺もそう思います。こんな奥なら、普通まず気づかない。それを狙ったのかもしれない」
光を断裂部に当てながら言葉を継ぐ。
「しかも、切られてるのはメインじゃなく、非常電源の方です。これは偶然じゃない。狙って切ってる。専門知識のある人間の仕業としか思えません」

間宮が短く肯く。ふたりの間に沈黙が落ち、外で降り続ける雨音すら遠く感じた。

俺は再び、配電盤そのものを点検することにした。
ドアを開くと、天井から垂れ下がる古い配線。錆びたブレーカーが並び、油と金属の臭いが鼻をつく。間宮に渡された手袋をはめ、一つずつブレーカーを入れ直していくが、反応はない。照明も電話も、通電の気配すらない。

焦げ臭さはないし、遮断器も落ちていない。異常温度の警告灯も、点く気配がない。まるで、最初から電気など流れていなかったかのように。

念のため、非常電源への切り替えスイッチも確認する。接触不良や焼損の形跡はない。だが、切り替わっている様子もない。
見た目には正常だ。だからこそ、不気味だった。

配電盤の異常を確かめた後も、何かが引っかかっていた。
誰かが、意図的にこの建物の機能を止めようとしている。その事実が確かになった今、俺の中に別の疑念が芽生える。

もし、電気や通信だけじゃないとしたら?
物理的な出入り口そのものも、塞がれていたとしたら?

これは事故じゃない。意図的な遮断だ。
俺たちは、何者かによって、外の世界と断たれている。だとすれば、他も……。

「……間宮さん。ちょっと、裏口、見てみませんか?」
彼も同じことを考えていたのか、すぐに頷いた。

厨房の奥、通用口へと続く細い廊下を抜ける。外へ繋がる唯一の勝手口には、古い鉄製のドアが嵌められている。だが、ノブを回しても、まったく動かない。
内鍵がかかっているのかと思ったが、何か様子がおかしい。鍵穴に工具を差し込んでみると、内部でガリ、と異様な音がした。

歯車が噛み合っていない。いや、壊されている。
「……鍵、折られてるな。内側からだ。ピンが削れてる」
間宮がしゃがみ込み、懐中電灯を照らしながら呟いた。

俺も覗き込む。ドアノブの内側から、機構が潰されていた。まるで中から破壊して、開かなくしてしまったように見える。
これは、外からの侵入を防ぐためではない。

「これ、偶然と思いますか?」

「いや……誰かが、脱出手段を潰してる」
悪寒が走った。外は嵐。通信は絶たれ、非常電源は遮断され、出入口は物理的に破壊された。

これはもう、自然の封鎖じゃない。
俺たちは、仕組まれた〝檻〟の中にいる。






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桜子 いつもありがとうございます。読んでいただけて、とても嬉しいです。