『神の器 幻燈の館』 後日談3 「Café Sereinにて問答」
後日談3 神依春一&代崎すみれ Café Sereinにて問答
カップの縁に口をつけるでもなく、ただ液面を揺らしながら、彼女はぽつりと呟いた。
聞いてほしいことがあるの。
春一は黙って頷いた。
「荻原が働いてた施設の子供の話だけど……辞めたって聞かされたらしいの。そしたら、“触られなくてよかった”とか、“目が怖かったからほっとした”とか……そんな話が、ぽつぽつ出てきたって」
言葉を切って、すみれは小さく息を吐いた。
あくまで事実を並べているだけなのに、コーヒーの香りが一瞬だけ、えぐみを帯びて感じられた。
「ああいうの、なかなか表に出ないのよね。記録にも残らないし。通報しても証拠がないって揉み消されて、結局は子供が嘘つき呼ばわりされて終わり。……そういう地獄が普通にある」
苦い何かを噛みしめるように、すみれが呟く。
「死者はもう誰も殺せない、でも生きていれば、また誰かを傷つけるかもしれない。…かもしれない、その可能性すべてを奪えるなら死んでもいい。暴論だし、正義じゃない。でもまあ、覚悟と一理はあるのよね」
春一は、カトラリーを磨く手を止めた。
その仕草に、感情がこぼれる。
すみれは黙り込み、しばらく沈黙が流れた。
そして再び、話し出した。
「人を殺した者は等しく罰を受けるべき。だから罪を免れた相手を殺す。だからそれを殺した自分も罰を受ける。対称性としては論理一貫しているっていうか。間違ってるけど、筋は通ってる」
小さく笑った。乾いた音だったが、冷たさはなかった。
「私刑は否定されるべきよ。正義の名で人を裁くなんて、傲慢の極みだし、結局また誰かが傷つくだけ。でも、加害者がいなければ、今回の殺人はなかった。その事実は忘れるべきじゃない。罪を問われなかった加害が、沢山の人生を終わらせた。それをなかったことにして、“殺人はいけない”だけで済ますのは、流石にアンフェアよね」
感情を見せない口調のまま、整理しきれない思いを、春一へとつらつらと述べたすみれは、ようやくコーヒーに口をつけた。
「……そうだね」
わずかな肯定。春一の言葉は少ないが、重みがある。
ぬるくなった液体がすみれの喉を落ちていく。その苦味に、何かの終わりが含まれている気がした。
沈黙が落ちた。だが、すみれのその瞳には、過去の痛みの残滓と、未来に向けて開く静かな窓があった。
ジャズの旋律が流れ、窓の外では、雨がポツポツと落ち始めていた。優しく降る雨は、いつかを彼女を癒すだろう。
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