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【心のドア】涙が溢れた時

ありがとうを言い続けると良い

もういつの頃か覚えてないが
そんな事を聞いた

百回、千回、一万回
言い続けると良いそうだ
プププ
今回は少し笑い方を変えた
決してオナラの音ではない

その時のわたしには
そんな事をして、何になるのだろう
無駄に疲れるだけではないかと
百回を越えたところで頓挫した

しかし、人間とは不思議なもので
いやわたしだからか?
また時間が経つと試してみたくなる

その日は、何か忘れたが
というか、さっきから何も覚えてないな
まあいい
何か凹む事があった日だったと思う
帰宅してから
何もやる気が起きず
ずっとありがとうございますと
唱え続けた
まるで呪文だ

数えてなんかいない

ずっと、言い続けた

悩みを考えたくないから言い続けて
いたのかもしれない

もう小一時間ブツブツと
続けたあたりだろうか

ふと、心が軽くなり

もうやめてもいいかなという
考えもよぎったが

効果というか
気持ちも、良くなっていたので
しばらく続けていた

それから10分ほど経っただろうか
誰に対してか分からない
感謝の気持ちが込み上げ
涙が溢れ、言葉も出し続けられなくなった
言おうとすると泣いてしまうので
言えない、そんな感じだったろうか

それでも言おうとすると
父や母や、今まで関わってきた
色んな人が次々に頭に浮かんで来た

一度ありがとうございますと言うと
誰かを思い浮かべる
いや、浮かんで来る

その人との何か、物事に感謝している
というわけではなく

その人の存在そのものに感謝している
今言葉にすると、そうだったのだと思う

わたしにとって、それは
自分でも信じられない出来事だった

なぜなら、それまでのわたしは
ほとんど泣く事が無かった

頭で考える事で
心を感じなくした

いや、逆かもしれない
悲しみ苦しみを感じたくない
心が耐えられない
だから、頭で考えるようになった

俯瞰して物事を見る事で
他人事のように感じるようにしていた
そんな事が続くと
やがて人の心の痛みも
分からないようになっていた

わたしは泣かなく
いや、泣けなくなっていた

そんなわたしが
泣き出す事になるとは
子供の頃の感情を徐々に思い出すような
それに、嫌ではなかった
むしろ、もっと思い出したい
自分の心を

言おうとしても泣いてしまって言えない
言いたいのに…言えない

心の中は、まるで懴悔しているかのようだ

だがわたしは、気持ちが治まるまで続けた

もう何千回言い続けたのか分からない

終わった時、何かが変わった事が分かった

わたしの中で何が起こったのだろう
わたしが、今まで自分が書いた記事の言葉を
使って書いてみたい

わたしの心は内向きかげん
わたしは最初、ありがとうございますと
言葉を口にしていただけだ
心は空っぽの状態だったのだ

ありがとうございます、という言葉は
感謝の心を言葉にして出すもの
であると同時に
言葉そのものが、心に感謝の気持ちを灯す

感謝の気持ちがある、という事は
その瞬間、心は外を向いている
つまり、連続した感謝の言葉は
絶え間ない感謝の心の状態を作ってくれた
のだと思う

次々に関わってくれた方の事が
頭に浮かんだのも、心が外を向いた結果
なのではないだろうか

心は内を向くか外を向くか
どちらかだ、コインの裏表のように

心で感じるのが恐い、外を向くのが恐い
心は、内を向きたくなる
言葉は先に書いたように、心を外に向けさせる
作用がある
言うなれば、引きこもりの自分と
そこから出そうとする母と
部屋のドアのノブを引っ張りあっている
そんな感じか、どちらも苦しいだろう

ただ違うのは、引っ張りあっているのが
どちらも自分だという事だ

わたしが、自分で開けるしかないのだ
言葉という力を借りて

言いたくなくても
言うのが苦しくても
わたしの心は
外を向きたかったのだ

進むしかない
進ませてあげるしかない

だから、言い続けられた

我というのは、とても大切だ
わたしがわたしでありたいという
気持ちは、わたし自身をとても大事に
想っている、という事だと思う

目の前にあるキャベツは
キャベツのままいたいだろう
キャベツとして生まれてきたからだ

目の前の舞茸は
舞茸のままいたいだろう
舞茸として生まれてきたからだ

刻まれて炒められて
食べられて
排泄物として出てくる

だが、嫌だとは言わない
言えないのか
まあいい

いつも書いているが
人間は欲で出来ているといわれる
別の記事で書いたが
わたしの中では欲とは我だ

つまりわたしはわたしでいたいのだ
しかし、変わらないものなどない
変わらないものなどないから
わたしはわたしでいたいのだ

うん
ループして苦しい

わたしが欲で出来ているのが
よく分かる
ププププッ
おならではないよ

自分でいたいのだ
別の何かになるのは嫌だし恐い
つまり欲であり我だ
受け入れる事は簡単ではないと思う

わたしは過去の記事で書いたように
受け入れるしかないのだと感じた

しかしそれは、恐いものではない
色んなものに感謝し
色んな事に感謝していると
全てが繫がりあった一つのもののように
思えてくる

超ひも理論のような感じか
さわりしか知らないので
違うかもしれない

心が外を向いている時は
自分の中の恐さは見えづらい
感じづらいの方が近いだろうか
それは、心を閉ざしていた時とはまた違う

苦しみが少なくなれば
喜びは多くなる

それが良いか悪いかは分からない
人それぞれ違うものだろうが
わたしは喜びの中にいたい

子供の頃から疑問だった
涙は、なぜ氵に戻なのだろう
わたしにとっては
涙が流れた時、わたしの心を
戻してくれるものだった
そして、溢れた
きっと、わたしにとって良い事(益)
だったのだろう
ありがとうに感謝したい

今日も良い事を言えた
のか

わたしは満足だ


最後まで読んで頂きありがとうございます


表現上、断定した言葉使いなどありますが
読み物として楽しんで頂けると幸いです


素晴らしい発想で、ビビビッと来ました
わたしも書いてみたくなりました
いろどりLife様、ありがとうございます


ありがとうございますを言いながら号泣は
まわりの人が心配する
もしもそんな事になったら
どんぐりが
どんぐりがと
泣きながら
この記事を見せると良い

ところどころフザケているので
余計に心配されるかもしれない

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