「ちゃんと話せば、分かると思っていた」
彼と別れて二年ほどたった頃、古い手帳から一枚のレシートが落ちた。
郊外の陶芸教室。二名分。日付は、私が「もう続けられない」と伝えた翌週だった。
私はその教室へ行かなかった。
予約されていたことも知らなかった。
あの頃の私は、ちゃんと話せば分かると思っていた。言葉を選び、順序を整え、相手を責めない形にすれば、こちらの苦しさは壊れずに届くはずだった。
だから準備をした。
何に傷ついたのか。何が苦しいのか。これからどうしたいのか。
「あなたが悪い」とは言わず、「私はこう感じている」と話した。途中で泣けば、また感情的だと思われる気がして、泣かなかった。
彼は最後まで聞いていた。
その頃、彼は勤めていた古い映画館の閉館作業に追われていた。建物は取り壊されることが決まり、上映に使ったフィルム缶や椅子の番号札、映写室に残った記録を、何を保存して何を捨てるか選ばなければならなかった。
彼は毎日、何十年分もの物を触っていた。
他人にとっては古道具でも、誰かには一度しかなかった日の残りだった。彼は捨てる判断が遅く、閉館日は近づき、館主からは早く片づけろと言われていた。
それでも私は、二人の問題は二人で考えるべきだと思っていた。
「今のまま一緒にいるのは苦しい」
そう言うと、彼は頷いた。
「分かった」
私は、その返事が嫌だった。
分かったなら、何か言ってほしかった。直すとか、考えるとか、少し待ってほしいとか。ところが彼は、テーブルに置いてあった映画館の鍵を束ね直し、上映室と倉庫の札を別にした。
話はそこで終わった。
私は、聞いていなかったのだと思った。
こちらは言いにくいことまで口にしたのに、何ひとつ届かなかったのだ、と。
数週間後、私は部屋を出た。
荷物を運ぶ日、彼は食器を一つずつ新聞紙で包んだ。私の青いマグカップだけ三重だった。話し合いでは何も返さなかった人が、割れ物にだけ過剰に丁寧なのが腹立たしかった。
「陶芸、予約してたんだって」
それを知ったのは、別れて半年ほどしてからだった。
共通の友人が、たいしたことでもないように言った。
彼は、私が前から行きたがっていた教室へ二人分申し込んでいたらしい。言葉で続きを話すより、並んで土を触るほうが自分たちらしいと思ったのかもしれない。
けれど、その週は映画館の最終上映と重なった。
最後に何を流すか、古い常連客をどこへ座らせるか、残ったフィルムをどの資料館へ渡すか。彼は毎日、終わるものの行き先を決めていた。
陶芸教室の予約は取り消さなかった。
行けないとも言わなかった。
私はその話を聞いても、すぐには納得できなかった。
だったら言えばよかった。
申し込んだことも、行けなくなったことも。
そう言うと、友人は少し考えてから、
「あの頃のあの人、そこまでしか考えられなかったんじゃない」
と言った。
その言葉を、私は長く認めたくなかった。
彼は私の話を理解していた。
だから、二人で別のことを始める場所を予約した。
けれど、自分が毎日手放しているものの中に、私たちの関係まで加える余裕はなかったのだと思う。
受け取れなかったのではない。
受け取ったら、それをどこへ置くか決めなければならなかった。
続けるのか、終えるのか。
待ってもらうのか、離すのか。
その選択をする場所が、彼の中には残っていなかった。
だからといって、別れなければよかったとは思わない。
私にも、彼が映画館を片づけ終えるまで待つ余裕はなかった。理解されたか確かめるより、あの部屋から出るほうが先だった。
レシートを見つけた日、私は初めて、あの「分かった」を別の声で思い出した。
聞き流した人の返事ではなかった。
たくさんの終わりを抱えたまま、もう一つの行き先を決められなかった人の返事だった。
私はレシートを手帳に戻した。
記念にしたいわけではない。
ただ、私が別れを切り出した翌週、彼は二人分の粘土を予約していた。
その事実だけは、まだ捨てる側と残す側に分けられずにいる。
今後も、
人間関係の中でふと立ち止まる空気を、少しずつ書いていこうと思います。
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