時代違いの相談室 其ノ八「別れた方がいいのか、まだ決められません」他四通
皆様、御機嫌如何です。
「時代違いの相談室」では、
少し昔の相談員に、
今の悩みを読んでもらっています。
時代が違えば、
言葉の重さも、
不安の置き方も、
少し変わるようです。
本日は、
「別れた方がいいのか、まだ決められません」
他四通にお答へ致します。
それでは、開室いたします。
一通目
「友人と縁を切った方がいいのか、まだ決められません」
(ペンネーム)午後四時 34歳 女性 会社員
相談
学生の頃から付き合いのある友人がいます。
会えば楽しい日もありますが、少し傷つく言い方をされることもあります。
そのたびに距離を置こうと思いますが、数日すると「そこまで悪い人ではない」とも思えてきます。
何年も同じことを繰り返しています。
縁を切るべきなのか、それとも私が気にし過ぎなのでしょうか。
回答
人は、
相手に迷うてゐるようで、
実は己の心へ迷うてゐることがあります。
御相談を拝見いたしますと、
あなたは御友人の善し悪しを決めようとなさってゐる。
然し、
人は白黒だけで量れるものではありますまい。
苦しみは、
相手の言葉にもありませう。
しかし、
「かくあって欲しい」
という願ひにもまた潜んでおります。
傷つく度に、
「今度こそ変はってくれる」
と願ひ続けるのは、
少々、執着が深過ぎます。
人は、
思ふままに変へるために出会ふものではありません。
無理に離れようとせずとも、
心が静まれば、
自然に遠ざかる縁もあります。
苦しみを急いで終はらせようとなさらぬことです。
縁にもまた、
役目を終へる時があるのであります。
(僧侶・宗教家)
やわらか返信室より
人との距離は、
ある日突然変わるより、
少しずつ歩幅が変わっていくことの方が多いようです。
二通目
「娘が夕日に謝っています」
(ペンネーム)古い時計 43歳 男性 会社員
相談
小学三年生の娘がおります。
最近、夕焼けを見るたび、
「今日も遅くなってごめんね」
と空へ話しかけています。
理由を尋ねても、
「何となく」
と笑うだけです。
学校で何かあったのかと心配しますが、様子は変わりません。
子どもとは、このようなことをするものなのでしょうか。
回答
左様なことだけで、
病を案ずるには及びません。
子どもは、
胸へ納め切れぬ思ひを、
空や風へ預けることがあります。
夕日に詫びてゐるのではなく、
今日という一日へ、
そっと心を納めてゐるのでせう。
幼い者は、
悲しみも寂しさも、
まだ上手に胸の内へ仕舞へません。
それ故、
言葉を空へ向けたり、
草花へ話しかけたりすることも珍しくありません。
どうぞ、
訳を問い詰めなさらぬことです。
いつも通り御飯を食べ、
いつも通り眠り、
安心して帰れる家がありますれば、
多くは心配には及びません。
子どもの心は、
安心して黙ってゐられる所で、
静かに育つものであります。
(医師)
やわらか返信室より
誰にも聞こえない独り言が、
一日の終わりを少しだけ軽くしてくれることは、
大人になっても変わらないのかもしれません。
三通目
「別れた方がいいのか、まだ決められません」
(ペンネーム)星降る夜 29歳 女性 事務員
相談
お付き合いして三年になる方がいます。
大きな喧嘩もなく、暴力もありません。
けれど、一緒にいても以前ほど心から笑えなくなりました。
楽しかった頃を思い出すたび、
別れを決められません。
私は何を基準に決めればよいのでしょうか。
回答
若い方は、
恋をしておりますと、
胸の高鳴りだけで、
先のことまで決めようとなさいます。
然し、
夫婦も暮らしも、
そのような勢いばかりでは続きません。
御相談を拝見いたしますと、
相手の善し悪しより、
「迷っております」
というお気持ちの方が、
強く伝わって参ります。
人は、
別れることより、
迷い続けることに疲れるものです。
一緒におります時、
気兼ねが増えるのか、
それとも心が安らぐのか。
毎日の暮らしは、
その積み重ねの方が、
案外正直であります。
昔の楽しかった日々は、
決して嘘ではありますまい。
然し、
昨日の思い出だけで、
明日の暮らしまでは支えられません。
若い女性として、
一時の寂しさより、
長く心穏やかに暮らせる道を選びなさい。
(婦人記者)
やわらか返信室より
恋は、
大きな出来事より、
言葉を選ぶ回数が少しずつ増えたことで気づくこともあります。
四通目
「祖父が郵便受けを励ましております」
(ペンネーム)今日も無口 21歳 男性 大学生
相談
祖父は毎朝、新聞を取りに行く時、
郵便受けへ向かって、
「今日も頼むぞ」
と言っています。
郵便が入っていない日でも必ず同じです。
子どもの頃は笑っていましたが、
最近はその姿が気になっています。
郵便受けを励まして、一体何になるのでしょうか。
回答
何にもなりません。
少なくとも、
郵便受けが、
一枚余計に葉書を運ぶことはありますまい。
然し、
人は長く生きますと、
返事のないものへ語りかけることがあります。
それは、
相手のためではなく、
己の心掛けを忘れぬためであります。
御祖父様は、
郵便受けへ申してゐるようで、
毎日を迎へる御自分へ、
「今日も怠るな」
と申しておられるのでせう。
教育とは、
立派な教へを幾つ並べることではありません。
毎日同じことを、
黙って続ける姿を見せることです。
子は、
教へられたことより、
見て育ったことを、
いつの間にか身につけるものであります。
御祖父様は、
その修養を、
毎朝続けておられるのでせう。
(教授・教育者)
やわらか返信室より
家族の癖は、
教わった覚えがないのに、
気づけば自分も同じことをしているものです。
五通目
「家族のためと思って我慢していますが、誰にも気づかれません」
(ペンネーム)ため息一つ 47歳 男性
会社員
相談
私は家族のためと思い、
頼まれたことは出来るだけ断らず、
休日も家の用事を優先しております。
職場でも忙しい人の仕事を引き受けます。
しかし、
感謝されることは少なく、
それが当たり前になっています。
何のために我慢しているのか、
分からなくなることがあります。
人のために動くとは、
このようなものなのでしょうか。
回答
あなたは、
二つの話を、
一つとして考へておられます。
働くことと、
感謝されること。
これは別々に考へねばなりません。
御相談を拝見いたしますと、
あなたがお求めなのは、
労働の軽重ではなく、
報いでありませう。
それは少しも悪いことではありません。
然し、
期待は、
約束とは違ひます。
「察してくれるはず」
と思ふことは自由です。
しかし、
相手には、
察する義務はありません。
家族も、
職場も同じことであります。
続けるなら、
感謝の有無とは切り離して続けることです。
それが出来ぬなら、
引き受ける前に断れば宜しい。
曖昧な我慢は、
誰の権利も守りません。
先づ、
御自分の判断を、
御自分で引き受けなさい。
それが、
一番筋の通った生き方であります。
(法律家)
やわらか返信室より
「頼まれたから」
そう思って始めたことでも、
振り返ると、
どこかで自分も選んでいたことがあります。
毎日は、
その小さな選び方で少しずつ形を変えていくのかもしれません。
個人的に思うこと
人とのことを考えている時、
「どうしたいのか分からない」と言いながら、
本当はもう少しだけ答えが見えていることがあります。
ただ、その答えを選んだあとに何が変わるのかまでは分からない。
だから、決められないまま同じところを何度も考える。
迷っている時間には、
答えを探している時間だけではなく、
その答えを受け入れるまでの時間も混ざっているのかもしれません。
別の相談も届いております。
📖人付き合いの中で、少し気になった言葉の話
📰やわらか返信室が見つけた、小さな人間観察の記録
🌙暮らしの途中で、ふと立ち止まった日の話
📮昔の相談員が、現代の悩みに答える話
・筆者紹介
宜しければ、そちらもお読みください。
思い当たることが、一つくらいあるやもしれません。
閉室前にひとこと
昔と今では、
言葉の形も、
人との距離も、
随分変わったようです。
それでも、
人が何かに語りかけながら暮らしていることだけは、
昔も今も、
あまり変わっていないのかもしれません。
それでは、本日はこの辺で。
また次回、開室いたします。
皆様、御機嫌よう。
では失禮致します。
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