「ピソ職人新聞社の道標」 第4話
第4話
フィリッポの工房に戻ると、フィリッポは生地をこねながらピソ作りをしていた。その横の洗い場では、ジョアンナが洗い物の手伝いをしていた。
「おかえりなさい、エラディン殿」
フィリッポがいつもの歯を見せて笑いながら向かい入れてくれる。
「ジョアンナも元気になったのか」
「ええ、俺止めたんですけど、手伝うと言ってきかなくて。まあ元気であるならいいかなと思って」
「そうだな。体力が回復しているようでなによりだ」
エラディンはフィリッポにマトラッセ王子との謁見の様子と、フィリッポと一緒に新聞社をつくれと言われたことを話した。
「突飛な話でありえないだろう?」
話しているうちに、憤りがとまらない。同意を求めてフィリッポに尋ねるが、フィリッポは、うーんと考えて、答える。
「どうですかね? 俺はそこまで悪い話じゃないと思うんですよ」
「ほんとうに?」
「国政のことは、俺はそんなにわからないんですが、いちピソ職人としては、他のピソ職人の技能やどんな思いでピソ作りをしているかは知りたいですけどね。それが、どのように、国の平和につながるかはピンとは来ないのですが。ピソづくりという日々の仕事が、誰かの力になっているということは誇りです。まあ、地位向上という下心もありましたけれど、陛下たちの力に食事面で貢献できていることは純粋にうれしいです。俺は認定ピソ職人ということで陛下にお仕えしていますが、同じ認定ピソ職人でも貴族たちに使えているものもいますし、権力とかに無関心なピソ職人は、ピソ―ラの店を出していたりしていますね。権力者かどうか関係なく、俺らがつくるピソを食べてくれる人がいるっていのは、どのピソ職人もプライドをもってやってる仕事ってことです。それを広めてくれるってことでしょ?俺は嬉しいですけどね……」
窯から香ばしい匂いが漂ってきて、フィリッポがせかせかと動きはじめる。耐熱ミトンを嵌め、窯の蓋をあける。天板を引き出すと、そこには金色に輝くピソがたくさんある。
「時間勝負なので、エラディン殿、少し失礼します」
フィリッポは、籠に金色ピソをどんどんと詰めて、あっという間に工房から消えた。
洗い物を終えたジョアンナが紙とペンを持ってきて、何かを描き始める。さらさらと迷いなく絵が描かれていく。出来上がった絵は、たくましい腕に、捏ねられる生地の様子だった。この日、彼女がフィリッポのそばで見た光景の記憶なのだろう。
「すごいな。すごくうまい。フィリッポが戻ってきたら、見せてやると喜ぶと思うよ」
ジョアンナは歯を見せて笑った。それはフィリッポの歯を見せて笑う癖に似ていた。
「なにか、故郷や家族について思い出したことはあるか?」
ジョアンナは首を横に振った。
「うーん、困ったなあ」
フィリッポが金色ピソを運び終え、本殿から戻ってきた。ジョアンナが先ほど描いた絵を見せると、奥歯まで見えるくらい大口をあけて、うわぁと声を上げ喜んだ。
「ジョアンナ、すごいじゃない!」
ジョアンナはニコニコしながら首を上下にうんうんと振って満足げだ。
「さっき、ジョアンナに聞いたんだけど、やっぱり記憶が戻らないようだ」
「それなら、心配いらないですよ。彼女の記憶が戻るまでこの工房にいてもらえばいいですし」
「そんな、迷惑をかけるわけには……」
「いやいや、いいんですよ。俺今日ずっと彼女と一緒にいましたけれど、ピソづくりに興味があるみたいで、ずっと後ろをついて、作業の様子を懸命に見てくれるんです」
「本当にいいのか?」
エラディンとしても、そのほうが助かる。少女を助けて保護したものの、あくまで一時的ですぐに、帰るべき故郷へ送ればよいと思っていた。まさか、そのめどが立たないのは予想していなかった。
それに、旅を終えてからまだ自分の家に帰っていない。
「もちろんですよ。僕の工房にいると思えば安心でしょ? あとエラディン殿もしばらく家に帰っていないでしょ。家族が待っているだろうし早く家に帰られたほうがいいですよ」
フィリッポの言葉に甘えることにして、エラディンは家族のもとに戻ることにした。
エラディンの家は、ケラスズ城があるジャーニマー国の中心地の町から、馬を走らせて数時間の町にある。家に到着したのは、日没近くで、当たりが薄暗くなり始めているころだった。通常なら妻が子どもたちのために、料理を作っている時間で、食べ物の匂いが外に漏れでてくるはずなのだが、全くそんな匂いはしない。いくつかある窓からは室内の光が漏れてもよいものの、真っ暗なままだ。
「もどったぞ」
入口の扉を開けてみるが、人の気配はなく室内は暗い。おかしい。
いくつかランプに火をともして、室内の様子が見えるようになった。家具こそ置いたままだけれども、妻と子どもの衣類など持ち物がすべてない。
ダイニングテーブルに手紙が置かれていた。エラディンは、それを読んでようやく状況を理解する。
「まじかぁ……」
手紙に書かれていたのは、妻から離婚しようという話と、子どもたちと一緒に実家に帰るということだった。
長旅からもどり、エラディンを待ち受けていたのは、勇者職のはく奪と、帰るべき家の喪失だった。
「そんなことある?」
エラディンから吐き出されたため息が、誰もいない家の中を漂っていた。
その日は、家で泊まることにした。静まり返った家で、エラディンは捨てられたごみのように自分の存在を感じた。ここには居場所がないのだと悟った。
翌朝、家の中にある自分の持ち物で、当面の生活に必要なものだけ持ち、ケラスズ城のフィリッポの工房に戻った。
フィリッポの工房に戻り、事情を話すと、フィリッポは焼き立ての金色ピソをエラディンに渡した。
「え、これは、陛下の食事の分ではないのか?」
「ひとつくらい、いいですよ。いつも大量に作っているからわからないだろうし。これ食べて元気だしてください。心の痛みが和らぐ効果がある材料もいれておきました」
フィリッポは王たちの食事のピソの配達を終えて、また工房に戻ってきたら、赤ヴァイリーも開けて一緒に飲んでくれた。
「まー、人生長いこと生きていれば、そんなこともありますよ」
「いろいろと自分から消えていくのは、精神的にこたえるものだな」
「うーん、何かが消えるってことは、かわりに新しい何かが生まれるってことじゃないんですかね。新しい役目を任されたことですし。わざわざ呼び戻されるということは、エラディン殿にマトラッセ王子が大きな可能性を感じられたということでしょう。定期的にマトラッセ王子に会うのであれば、その真意というものを探ってゆけばよいのではないですかね」
フィリッポの言うとおり、覚悟を決めるしかない。
フィリッポの紹介のもと、ケラスズ城内の空き工房をエラディンの住まいにすることにした。マトラッセ王子との定期的な謁見があったので城の近くに住んだほうがよかった。ジョアンナに関しては、記憶が戻るまで、フィリッポの工房で生活することになった。ジョアンナはフィリッポがピソづくりをしている様子をずっと飽きずに眺めているし、ときおり、フィリッポの作業風景を熱心に模写していた。ならば、しばらく、「自分の工房にいればいい」と言ったフィリッポの厚意に甘える形になった。
エラディンは自分がジョアンナを保護した責任から、フィリッポからの提案を遠慮しようと思ったのだが、何よりもジョアンナがフィリッポのそばにいたがっていることが伝わり、それを止めることはできなかった。親子ほど年齢が離れているエラディンよりも、少し年上のお兄さんのような立ち位置のフィリッポのほうが心を開きやすいのかもしれない。
第5話(つづき)
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