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「ピソ職人新聞社の道標」 第9話

第9話

 エラディンとリアナは、ベラッキオを取材した内容をいち早くまとめるために、フィリッポの工房に戻っていった。ジョアンナとコゴアミンはピソ―ラの1階の厨房の隅に立って厨房の見学をしていた。
 取材に来たばかりのタイミングは多くの職人が各持ち場で忙しくしていたのだが、ベラッキオの取材が終わったあとは、厨房の忙しいピークが過ぎたのか、少し緊張感が緩和していた。仕事が落ち着いてきただけでなく、オーナーシェフのベラッキオが取材を終えてからどこかに出かけて、厨房にいなかったことも大きいかもしれない。

「このあたりで、ベラッキオ少年は、厨房の様子を見ていたのかな?」ジョアンナがコゴアミンに話しかける。

「……ああ、そうかもしれないね」
 コゴアミンの反応がにぶく、横顔を見た。

 コゴアミンが真剣なまなざしが職人たちの手元や動きに注がれていて、ジョアンナに話しかけてほしくないオーラを出していた。
 仕方ないとジョアンナは思って、コゴアミンのもとから少し離れて、厨房の全体が見えて、壁に持たれかけられるところに移動した。カバンからスケッチブックとペンを取り出し、左手でスケッチブックを抱え、右手で持ったペンを走らせた。職人がピソ作りをしている様子を描くのには慣れている。フィリッポの工房にいたときに、飽きずにフィリッポの様子をスケッチしていた。
 ピソ―ラで働く職人たちの様子を描きながら、時折、手元を拡大したアングルでスケッチをし、職人たちが製造の工程がわかるものを描いた。フィリッポはやっぱり職人目線として手元とどんな道具を使っているかが気になるし、手元のスケッチがほしいと言っていた。技術的な説明をするときに、具体的なイメージがほしいそうだ。エラディンからは、お店全体の様子がほしいと言われ、スケッチしてほしいのは、厨房の全体図、売り場の全体図、人気の商品、お店の外観と言われていた。

「描くものが多くて大変。みんなすぐに描けると思って簡単に頼むんだから……」

 ジョアンナがスケッチする対象物の多さにため息をついているころ、コゴアミンは、厨房の隅からいつの間にか、職人の真横に移動し、聞きたいことを尋ねてている。最初は何者だろうと警戒心を抱いていた職人たちは、コゴアミンの正体も職人であることを知ると、逆にコゴアミンにこういうときはどうしているかという職人同士の会話をはじまった。最終的には会話だけにとどまらず、いつの間にか他の職人たちと一緒に生地を捏ねている。

「ベラッキオさんが戻ってきたら、怒られちゃうよ」
 ジョアンナが心配のあまりコゴアミンに言う。

「大丈夫だって、怒られるなら怒られるし。悪いようにはしないよ」

 職人同士で、すぐに打ち解けてしまう様子を見ると、うらやましいなとジョアンナは思う。フィリッポとコゴアミンもそうだ。フィリッポと知り合ったのはジョアンナのほうが先だし、フィリッポと一緒に暮らし、長い時間過ごしていたのにも関わらず、ポッと出のコゴアミンは、ピソづくりの勉強させてくださいと突然、フィリッポの工房に顔を出したのにフィリッポとすぐに打ち解けている。

 コゴアミンがすごいのか、それともジョアンナがフィリッポと打ち解けられていないのかどっちなのだろうと悩んだこともあった。コゴアミンにそのことを話すと、

「そりゃね、同じピソづくりに向き合っている職人同士だし、そこの共感はベースにあるよ。多くを語らずとも、ピソづくりの手の動かし方、厨房での動きを見ていたら、おのずとその人の性格というか、本質が透けて見えてくるんだよね」とコゴアミンは笑いながら答えた。

 あるとき、フィリッポとコゴアミンが生地を捏ねて仕込み作業をしているときに、ジョアンナが「わたしも手伝う!」と言って一緒に生地を捏ねたことがある。
 材料を混ぜ合わせるところまではできるのだが、フィリッポとコゴアミンのように生地を捏ね上げ粘り気のある状態からプルンとした状態になるまで力強く捏ね上げることができない。同じ時間捏ねていても、ジョアンナの生地はベタベタのままなのに、ふたりの生地は表面がプルンと弾力のある生地が出来上がっていた。

「きみは、腕に力がないし、ピソ職人には向かないよ」
  コゴアミンが何気なく言ったことをずっと忘れられずにいた。ジョアンナは自分もピソ作りができるようになれば、フィリッポの見ている景色が見られるのではないか、より近づけるのではないかと思った。でもそんな簡単な話ではなかった。

 厨房内のスケッチをあらかた終えたので、厨房を出て、ピソ―ラの売り場に出た。取材にきたばかりのタイミングよりは客が少なくなっており、外の行列がなくなっていた。ピソ―ラの外観をスケッチする。

「やっぱりうまいな。うちのピソ―ラだ」

 話しかけられて驚く。スケッチに集中していて、ジョアンナのとなりにベラッキオがいつの間にか来たことに気付かなかった。

「……ありがとうございます」

「描くスピードも速いんだな。迷いがない」
 ベラッキオがしばらく、ジョアンナがスケッチしていく様子を眺めている。
 
 沈黙が落ち着かなくて、ジョアンナが尋ねる
「厨房にもどらなくてもいいんですか?」

「ああ、俺がずっといたら、職人だちが気を張りすぎてしまう。それでいいピソが作れなくなったらいやだからな。こうして俺の目が届かないタイミングをあえてつくっている。厨房に入ったら入ったで、俺、黙っていられないし。もう一人の連れのピソ職人見習いはどうした?」

「厨房の職人たちと、ピソづくりについていろいろと楽しそうに話しているみたいです」

「なおさら、俺がじゃましないようにしないとな」
 インタビューをしていたときに話していた声音よりずいぶん優しくなっている。

「そのスケッチ、いくらなら売ってくれる?」
「これは売り物じゃなくて、ピソ職人新聞の挿絵のために描いているんです」
「とはいえ、すべてのスケッチを使うわけじゃないだろう?」
「まあ、そうですけど……」

「まあ、いいや、今度うちのピソ―ラの看板を描いてくれよ。報酬出すから。この屋根の今の看板と同じ大きさのもので、店で販売しているピソの絵もつけて。いくらでやってくれる?」

「ですから、わたしは、そんな仕事を受けていないんです。今日は取材のサポートできただけで」

 ベラッキオが鼻で笑いながら言う。
「いいか、お嬢さん、自分の技能ってのは、値をつけてアピールしたほうがいいんだぜ。でないと、せっかく換金できる自分のスキルが無断で使われるか、安く買いたたかれるんだ」

「そんなんじゃありません!私はスケッチをしたくて描いているんです。お金を稼ぐためにやってるんじゃないです」

 ベラッキオが取材のスタートから今に至るまで、金のことばかりを考えて口に出すのが不快だった。

「今日の取材のアシスタントやらは日当いくらだ?その確認はきちんとしているのか?あのピソ新聞社は王からの命で設立された新聞社だろ?大人たちは十分な報酬をもらっているかもしれない。でもお嬢さんみたいなこどもはどうだ? 働きに即した報酬はもらえているか? その確認をしているか? さっきから、俺がずっと金、金、金とうるさいなと思っているだろう? でも大事なことだ。そうじゃないと搾取されんだぞ?」

 バタンとスケッチブックを閉じた。
「師匠はそんなんじゃないです!侮辱しないで!」

 スケッチブックとペンをかばんにしまって、ベラッキオのもとから離れる。

「……親元を離れて、働きに出ているってことはなんか事情があるんだろう? 自分の身を守れるのは自分だぞ。この世界で生きていくならもっと賢く生きたほうがいい」

 離れていくジョアンナの背に向かってベラッキオが要らぬアドバイスを投げつけた。

 ジョアンナはピソ―ラの裏口から厨房に入り、コゴアミンを呼んだ。
「帰るよ!コゴアミン!」

 顔を赤くして怒っているジョアンナに驚いたコゴアミンは
「大丈夫? 何かあった?」と尋ねる。
「なんでもない、早くわたしたち、戻らなきゃ」とだけ言ってピソーラを離れた。

 親元と離れてというけど、そもそもわたしには親の記憶がないんだ。余計なお世話だ!搾取されるも何も、師匠たちはむしろ命の恩人だし、育ての親だ。それをなぜ否定されなきゃならない? ベラッキオと同じで、親に捨てられた可哀そうな子どもとして自分が見られなきゃならない。
 帰り道もずっと怒りが収まらない。コゴアミンはそんなジョアンナの気配を察して、黙ってフィリッポの工房まで連れていった。

 フィリッポの工房に帰ってくると、エラディンとリアナが記事のまとめ作業をしている。
 どんな取材の話があったかをフィリッポに共有し、フィリッポはピソの生地の捏ね作業をしながら、意見を述べている。

「なるほど、商売という観点で、そのピソ職人の言っていることは興味深いですね。僕は陛下たちの食事をもとに、ピソづくりしているから、オペレーションも違いますしね。勉強になります」

「あ、おかえりなさい」
ジョアンナとコゴアミンがフィリッポの工房に戻ってきたのを確認してリアナが言った。

「コゴアミン、今日はガイドありがとうな。これガイド料」
 エラディンが紙に包んだ報酬をコゴアミンに渡した。

「ありがとうございます。たすかるっすー」コゴアミンがニカッと笑った。

「お、ちゃんと仕事してきたんだな、コゴアミン」フィリッポが、肘でコゴアミンを小突く。

「フィリッポ兄さん、何か手伝いましょうか?」コゴアミンが袖をまくる。
「報酬は出ねぇぞ」
「何言ってるんすかーいつも出ないじゃないですか」
「その会話の流れだと、俺がひどい奴みたいじゃないか」
「違いますよ。フィリッポ兄さんのピソ職人の後ろ姿が語ることを感じとっているんですよ」
「なんだそれ」フィリッポが笑う。

「でも、コゴアミン、フィリッポは認定ピソ職人様なんだから、そんな人の技術を時折見られるこの状況に感謝するんだぞ」エラディンが言う。
「エラディン殿、俺を持ち上げるのをやめてくださいよー」

「いやいや、大真面目。フィリッポがいないとこのピソ新聞社の権威というものが全くないからな。ピソづくりに関してわれわれは全くの素人だから、きみがいてくれるからこそ成り立っている」

「俺はただただ、好き勝手ピソづくりやピソ職人が話したことに対して好き勝手コメントしているだけなんですけれどね。あ、コゴアミン、そろそろ窯に入れているピソが焼きあがるから、出してもらえるか」

 コゴアミンはお安い御用ですと言って、耐熱手袋をして、熱々の窯の蓋をあけ、ピソが並べられている天板を引き出した。

「うわぁ、さすが、兄さんいい焼き色と香りです」
「陛下のもとへそろそろ配達に行かないとだ。コゴアミン、ここの生地、あそこの発酵室にいれといてもらえる」

 コゴアミンが捏ね上げられた生地をボウルから取り出し、平たく四角い大きい容器にいれて、発酵室と呼ばれた小さな部屋に運んだ。その合間にフィリッポは金色のピソを、バスケットにいれていった。

「陛下にピソをお届けしたら、僕はその足で自宅に帰ります。みなさん、新聞の仕事があるでしょうからお気遣いなく、お休みになられたいときはとなりの寝室を使っていただいても大丈夫なので」

「あれ、自宅に帰るのか?」
「ええ、妻が待っているので」
「ふふふ、新婚はいいねー」エラディンが言った。

「まあ、朝の仕込みもあるので、また明け方戻ってきますけれどね」
 両手でバスケットを抱え、フィリッポはニカっと白い歯を見せて会釈したあと、工房を出ていった。

 ジョアンナは、カバンから、今日描いたスケッチブックをテーブルの上にドスンと捨て置いた。
 リアナが心配そうにジョアンナの顔色を窺った。

「ジョアンナも、今日はありがとう。助かったよ。このスケッチの中から、いくつか記事に使えるものを選ぶよ。これ、お礼ね」

 エラディンはジョアンナにも今日の報酬を渡した。ジョアンナは黙ったままペコッと礼をして受け取った。

「あれ、体調悪いのか? 今日は長丁場だったし、帰って休んだらいいよ」エラディンが言った。

 コゴアミンは発酵室から出てきて、俺帰りますねって言ったから、コゴアミンと一緒に帰ればいいよとエラディンが言おうとしたら、リアナがそれを遮った。

「ねえ、ジョアンナさん、せっかくだから、この新聞の原本を印刷所に一緒に持っていこうか」

 リアナが誘ってくれたのも、あとで二人きりになって話そうよという思いやりというものが感じられたから、ジョアンナはうんと答えた。


第10話(つづき)


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