「ピソ職人新聞社の道標」 第6話
第二部:ピソ職人新聞社の記者たち
第6話
いつも見る夢がある。
青い空を飛んで、目下に広がる森林と町が流れていく。気持ちよく身をまかせて、景色がどんどんと流れていく。そしてプツンとすべての景色が消えて真っ暗闇に。ポウッと、光が浮かんだと思ったら、目の前に銀のゴブレットと、そこになみなみと注がれた赤い液体。さわやかな景色からスタートするのに、最終的に真っ暗闇と赤い液体で夢の映像が終わる。
はっとして、目が覚めるというのが一連の流れだった。
ジョアンナは、ベッドサイドにおいていた髪留めで、黒く長い髪をまとめて、立ち上がった。髪留めはリアナがもともと着けていたもので、オリーブグリーンのガラス細工と金細工が施されたものだった。部屋にはジョアンナが書いている作業途中の絵がたくさんあった。
エラディンに保護されて、ケラスズ城の城下町に住んで5年経とうとしていた。ケラスズ城に来たばかりは、全く話すことができなかったが、最近、日常会話は支障なくでき、書物も読めるようになっていた。
そこまで成長できたのは、エラディンが父親のような厳しさをもって教え、リアナが優しい母親のように見守り、フィリッポが一番身近にいてくれたからだった。現在は自立して一人暮らしをして、ケラスズ城の城下町の住民のひとりとして溶け込んでいる。
ケラスズ城に来たばかりの、まだ言葉が話せなくて、意思疎通がうまくいかなかったころ、しばらくフィリッポの工房に住んでいた。日中は、洗い物などフィリッポの工房の手伝いをし、夜になると、集まってくる新聞社のメンバーの話している内容をそばで聞きながら眠った。
エラディンとリアナが、フィリッポの工房に集まり、取材したピソ職人の記事をどう書こうかなどを話し合っている。フィリッポはピソの生地を捏ねる作業をしながら、時折話に混じり、ピソ職人目線の意見を言った。
大人たちが仕事をしている場に一緒にいられることがジョアンナにとってうれしいことだった。自分も仲間入りできているように感じられたのだ。
しかし、実際のところ、ジョアンナは話すことができないし、また大人たちが過去を振り返り懐かしむような話をしていても、そこに共感することができない。
過去の記憶が完全に消えていて、過去を振り返るという経験ができないのが決定的な違いだった。それが苦しくて、夢で見た景色を絵に描く。青空と森と遠くに見える町と。同じモチーフを繰り返し、繰り返し紙に描いた。
夜、眠っているときに悪夢にうなされていると、フィリッポがジョアンナのそばにやってきて、頭を撫でた。本当は眠りから覚めていたけれど、その大きくてあたたかな手が離れるのがいやで、しばらく寝たふりをする。朝、目覚めたときに、フィリッポは暖かいミルクを渡しながら白い歯を見せてジョアンナに向かって微笑んだ。なぜか、恥ずかしくて、その微笑みを直視できなくなりつつあることも自覚している。
フィリッポがピソをつくっている後ろ姿を見ているのが好きだった。こなれた手さばきでピソをつくって、城の王たちの胃袋を日々満たしつづけている。巨大なボウルにギム粉、水、塩、酵母を図って入れ、両手で力強く生地を捏ね上げる迫力と、大きな生地かたまり持ち上げるたくましさに圧倒される。面台にデンと置かれた大きな生地かたまりから、右手にもったスケッパーでカ、カ、カと音を立てながら適度な大きさに生地を分割して、左手に流し、上皿天秤の図りに載せてメモリを見て、生地の量を微調整して、生地が天秤から離れると、その反動で天秤がカチャンと音を立てた。その一連の流れはカ、カ、カ、トン、カチャンと小気味のいいリズムを奏でる。
面台の上で、分割された生地のかたまりを手で覆い、くるくるすると、きれいな丸い生地玉ができるのも見事。ピソの種類によって、生地を延ばしたり巻いたり、編んだりする繊細な手つき。窯の火を注意深く調整して、天板に並べたピソの生地たちを窯の中にいれる様子、焼き加減を見極めようと集中して窯の様子を見ている真剣なまなざし。
ずっとフィリッポのピソづくりの様子を見ていて飽きなかった。ひとつひとつの作業の動きが美しく、絵を描いて、その光景を残しておきたいとジョアンナは思った。ジョアンナが成長していく過程の中で書いた絵は、上空を飛んでいる絵と、フィリッポのピソづくりの様子の絵、そしてフィリッポの横顔だった。
ジョアンナが話せるようになったのは、エラディンの粘り強い教育のおかげだった。マトラッセ王子からの命で、新聞社立ち上げのために奔走して、エラディンは忙しそうだったが、ジョアンナのことを気に掛けない日はなかった。ジョアンナが何かのきっかけで故郷について思い出すまでは責任をもって、ジャーニマー国での生活に適応できるように、できることは何でもしたいと思っていたようだ。
ピソ新聞社の仕事が落ち着いているタイミングを見計らっては、エラディンはジョアンナに言葉の発音の仕方を教えた。人々が話していることは理解できるが、うまく話すことができず、また、文字も読めないという状況だった。
リアナが書いたエラディンの勇者時代のころの冒険の様子を伝記にしたものを教科書として、エラディンがジョアンナに読み聞かせた。同時にジョアンナも同じ原稿を目で追う練習をした。その後は、その原稿を書き写す作業をした。そんなことを繰り返していく中で数年かけて少しずつ話せるようになり、文字も読めるようになった。
話せるようになって、周囲とコミュニケーションがとれるようになると、ジョアンナは居場所をやっと確保できたように思った。これまで、どんなに周囲の人間が親切に扱ってくれたとしても、自分はよそ者で、一時的な客人として扱われているような感じがして仕方がなかった。
それが、ケラスズ城の城下町に住む人々と話ができ、意思疎通できるようになったことで、自分はここにいてよいのだと思うようになった。
ただ、自分が何者なのか、どこから来たのかが思い出せないのは、自分の存在の根本を揺るがす問題だった。自分のことなのに、自分について一番わからない。その状態である限り、ジョアンナの心の中の靄はいつまでも消えない。
エラディンにその不安を話すと、エラディンはいつもうーんと考えて言った。
「そうだな。自分の故郷を探す旅というものを始めてもいいのかもしれないな。言葉も話せるようになったし、ピソ職人の取材に一緒にくるか? 各地にいるピソ職人のもとを訪ねるために、さまざまな場所にいくし、ジョアンナもついてくればいい」
「それは嬉しい、師匠の仕事ぶりを身近に見えるのですね!」
ジョアンナはエラディンのことを師匠と呼んでいた。言葉を覚えていく中で、言葉を教えてくれるエラディンのことを先生と呼んだりしていた時期もあったのだが、エラディンもどこかムズ痒ゆそうだった。
あるとき、エラディンに、師匠とこれから呼んでもいいかときいたところ「そっちのほうがしっくりくるな」と言った。
部屋のベルが鳴って、エラディンがジョアンナを迎えにきたようだ。スケッチブックとペンをいれた鞄をもって、扉を開けて外にでると、エラディンとリアナが待っていた。
「師匠!リアナ姉!」
エラディンは、いつも着ている襟付きの生成り色のシャツにチャコールのベストをきて、ぴったりしたパンツにブーツを履いている。リアナはオリーブ色のローブにフードを目深にかぶっていて、内側で束ねてなどいるのだろう、金色のつやつやした髪が見えないように隠されていた。ジョアンナはリネンのシンプルなワンピースをきていた。
「支度できたか? 記念すべき初の取材」
「はい!師匠!」
「オッケー、じゃあ、今日のガイド役がくるまで、もう少しまって」
「ガイド役?」
「おーい!遅くなってすみません!」
遠くから呼びかけ、ジョアンナたちのもとに走ってくる人影があった。そばかすがチャームポイントのコゴアミンだった。コゴアミンは、ジョアンナがこの世界での生活で初めてできた友達だった。
フィリッポの工房に住んでいたとき、たまに顔を出すピソ職人見習いだった。コゴアミンはギルド地区の中にあるピソ―ラというピソを製造販売しているお店のピソ職人のひとり息子だった。ジョアンナと年齢が近く、仲良くなるのに時間がかからなかった。普段は実家のピソ―ラの手伝いをしながら、認定ピソ職人を目指すべく、他のピソ職人の元で修業している。
「ギルド地区のピソ―ラなら、コゴアミンに案内してもらうのがベストだと思ってな」エラディンが言う。
「はい!お安い御用です!ギルド地区は日々、新しい職人の工房や店ができるので、どんどんと迷路のように複雑になっていきます。普段から歩きまわっているものでないと適切に案内できないでしょう」
コゴアミンは嬉しそうだ。たまにコゴアミンはジョアンナをつれて、ギルド地区内のピソ―ラを何店舗か案内してくれたことがあった。いつもは、ギム粉などで薄汚れたシャツとパンツを着ているのだが、今日はおろしたての、まだ汚れがついていないシャツとパンツを着ていた。そして、かぶっている茶色のキャスケット帽はいつもとおなじみのものだ。
「きょう、はり切っているね。服新しいでしょ?」
ジョアンナがコゴアミンにだけ聞こえるようにこそっと言うと、
「あたりまえだろ、取材の案内役なんだから」と言ってコゴアミンは照れくさそうに笑った。
ケラスズ城は町の高台にある。そこを中心とすると、城に近いところから城に仕える者たちの住居や貴族たちの館があり、町民たちの住居、ギルド地区というふうに、裾野が広がっている。
城壁がぐるっと囲み、東西にある門からはメインストリートが通っているが、少し路地を入るともう迷路のように入り組んでいる。ジョアンナの住まいは住居エリアの一角にある。キッチンダイニングスペースに寝室があるだけの簡素な平屋だ。
ジョアンナは、市場など買い物へ行く場所、フィリッポの工房やエラディンの住まいなど日常的に用のある場所への行き方は覚えているが、そのほかの新しい場所への行き方はなかなか覚えられなかった。
町の探検をしたいと思ったら、コゴアミンに道案内のガイドを頼んでいた。
「ジョアンナは方向音痴だよね」といつもコゴアミンに笑われる。
メインストリート沿いに歩く分にはまだよいのだが、少し路地に入って、左や右やなどグネグネと曲がる小道を歩くともうどこにいるのか、どこに向いているのかがわからない。そのときに、上空から町を見下ろせれば話が早いのにとジョアンナは思うのだった。
一行はコゴアミンの案内のもと、ピソ職人たちが集まっているギルド地区に入る路地に向かう。途中、メインストリートを歩いていると、立派な建物があり、その建物周辺にダダビット族が集まっている。上半身は人間で下半身は馬の四本脚だ。鍛え上げられた筋肉質の上半身に、立派な馬の脚。どの種族よりも早く駆けるという。
グランディン王が、ダダビット族をはじめてみたときに、「なんと美しい肉体の持ち主か」と惚れたらしい。ダダビット族の集落をジャーニマー国が統治後、一部のダダビット族がジャーニマー国の郵便や物流にかかわるようになった。
「勇者通信の配達の時間だな」エラディンがつぶやいた。
ダダビット族の背に大きな荷物が載せられている。
「配達をここから?」ジョアンナが尋ねる。
「ああ、この建物が印刷所なんだよ。勇者通信がここで印刷されている。あとピソ職人新聞も」
ダダビット族の大きな荷物には大量の勇者通信が入っているらしい。ダダビット族は、積荷がそろったところで、やぁっと掛け声をあげてメインストリートを駆けていった。
「この城下町では、ダダビット族が配達しているの見たことないけど」
「そりゃそうだ、彼らの脚を活かすのならば、遠方の配達が役割だ。この城下町は通常の配達員が配達をしているんだ。ダダビット族の俊足を活かせば、ジャーニマー国内の遠方の町、人里離れた集落までも送られる」
ダダビット族はすでに門を出て駆け抜けているのかもしれない。
「ダダビット族のおかげで、情報の発信先が増えたんだね」
「ああ、確実に。彼らのおかげで、われわれの新聞社も広く情報を届けることができるんだ。ありがたいよ」
ジョアンナとエラディンの会話をそばで聞いていたリアナが話に加わる。
「わたくしの故郷の近くにダダビット族の集落がありました。我々エルフィー族もダダビット族も人里離れた山の奥深くに住んでいて、自然に囲まれながら静かに暮らすのを求めている種族だからこそ、こんな風に町に出て、新たな役目を果たしているという姿を見ると不思議な気持ちになります」
「……リアナ姉は、故郷に帰りたいと思う?」
「うーん、どうでしょう? 今の暮らしに充足感を感じているので、故郷へ戻ることへの渇望はないかもしれません」
「そっかぁ、わたしはいつか自分の故郷に行ってみたいなって思う。もう記憶が戻らないのかもしれないけれど、自分がどこから出てきたのかを知りたい」
「……ええ、まっとうな望みだと思いますわ。記憶がもどる手がかりが見つかるといいですね」
「ありがとう」
ジョアンナたちより少し前を歩いて先導していたコゴアミンが、立ちどまり、ここの路地を入りますと案内した。路地に入っていくと、日が差し込みにくいのか薄暗く、小さな建物が密集して立っていて、それぞれに、職人たちの工房がある。靴職人が皮を縫い合わせて靴を作っていたり、ミシンをあやつり洋服を作っている職人がいたり、織物職人が機織り機をカチャンとカチャンと操り絨毯をつくっていたりした。
「ここのエリアは衣料品関係のものを作る職人が集まっているギルド地区ですね」
コゴアミンが路地の曲がり角を何度か曲がっていく。
カンカンカンという音が聞こえてきたかと思えば、少し開けた場所で金物職人が金づちでトンカン叩いて金属を伸ばしている。
「ここの金物職人街では、我々ピソ職人も様々な調理器具を作ってもらってお世話になっています。この前もね、使いやすいように様々な大きさのボウルを作ってもらいました。あと、あそこを見てください」
コゴアミンが指さした先では、砥石を使ってショリショリと刃物を研いでいる職人がいた。
「あの刃物職人の刃物はすごく切れ味がいいんですよ。ねぇエラディンさん」
「ああ、確かに素晴らしい剣を作ってもらった」
「勇者が持つ多くの剣をあの職人がつくっているんですよ。それだけ腕が良くて」コゴアミンは嬉しそうだ。
「師匠は、まだその剣を持っているの?」ジョアンナが尋ねる。
「いや……、勇者を引退したときに剣は返却したのだ」
勇者職をはく奪されたことをエラディンはずっと恥じていた。
「かわりに、ペンを持たれたのですよね」リアナが優しくフォローする。気まずい沈黙が流れる。
金物職人が金づちでトンカントンカン、リズムよく金属をたたきのばしている音だけが周囲に響く。
「コゴアミン、さっきから回り道ばかりしていないか? 目的のピソ―ラまで、メインストリートからそこまで離れていないはずなのだが」
沈黙を打ち破り、エラディンが前を歩くコゴアミンに話しかける。
「すみません、みなさんにギルド地区の魅力をご紹介したくて。つい、遠回りをしてしまっていました」
「取材時間に間に合うように案内してくれよ」
「時間に間に合うのならよいですよね? あともう少しご案内したいところが!」
「……まったく。遅刻したら、報酬を下げてやるからな」エラディンがボヤく。
「まぁ、まぁ、よいではありませんか。わたくしギルド地区の様子を初めて知るので、とても興味深いです」リアナがなだめる。
ギルド地区を案内するコゴアミンのテンションはいつものとおりだなとジョアンナは思う。ピソ職人だけにかかわらず、何か手に職をもって極めている職人に対して、コゴアミンは強い尊敬の念を抱いているのだった。
コゴアミンが最後に案内したところは、野菜や魚、穀物、香辛料など食料品が並んでいるマーケットだった。
「ピソ―ラに行く前に、これは特に見せたいものです。こちらの粉ひき小屋をご覧ください」
コゴアミンが指さした小屋の奥で、石臼でゴリゴリと何か穀物が挽かれて粉になって出てくる様子が見える。粉ひき小屋の屋根の上に、風車が回っており、その風の力で石臼がまわり粉が挽かれるという仕組みだった。
「これは、ちょうどギムの実を聞いてギム粉をつくっているところなんです。これがなかったら、ピソはできませんからね。この挽きたてのギム粉をもとにピソをつくると、より香りが強いピソが出来上がります」
コゴアミンにギルド地区を何度か案内してもらったことがあったが、製粉されギム粉ができる光景はジョアンナもはじめて見た。少し黄色がかった粉だ。あれが捏ねて生地になり窯で焼かれると、金色に光るのが不思議だ。何の変哲もない粉なのに、熱を帯びると、輝きだす。石臼がゴロゴロと周り、ギム粉が周りに山を作りながら積もっていく様子は、いつまでも眺め続けていられそうだった。
「では、みなさん!そろそろ取材の時間が迫ってまいりましたので、目的のピソ―ラにまいりましょう」
コゴアミンが、案内するところをすべて案内し終えたのだろう、ギルド地区の奥からメインストリート方面に向かって一行を案内していった。
「コゴアミンめ、ひとたび案内を任せると、調子がよいな。結局、メインストリートの近くまで戻るじゃないか」エラディンがため息をつく。
「いいじゃないですか、逆に今日の報酬額は上げたらどうですか? ピソ―ラ案内だけでなく、ディープなギルド地区のガイドをしたガイド料として」
リアナが言った。
第7話(つづき)
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