人生が終わったと思った日に考えたこと
少し動けるようになった頃、 神社へ行った。
重たい身体を引きずるようにして、 境内へ入った。
特別なことをしたかったわけじゃない。
ただ、 この気持ちを少し、
どこかへ置いてきたかった。
私は、 立ち直れる気がしない。
それが、 正直なところだった。
社会復帰なんて、 想像もできなかった。
仕事も、 書くことも、 使命も、 全部が遠かった。
でも、 手を合わせた時、 ふと思った。
今の私には分からなくても、
未来の私は知っている。
なぜそう思ったのか、 うまく説明できない。
でも、 そういう感覚だけがあった。
だったら、
いつ頃の私が知っているんだろう?
一年後?
違う気がした。
二年後?
それも違う。
五年後。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、
ふっと、 何かが緩んだ。
五年後くらいなら、 いけるかもしれない。
根拠なんてなかった。
現実は何も変わっていなかった。
人生はまだ、 ボロボロだった。
でも、 五年後の私は、 きっと知っている。
そう思えた。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
その言葉が、 ふと頭をよぎった。
いつかこの苦しみも、 喉元を過ぎる日が来る。
そう思ったら、 少し笑えてきた。
こんな状態でも、
五年後を計算している自分がいる。
どこかで、 「さすがだな」 と、 うっすら思った。
昔から私は、 こういうところがあった。
どんなに止まって見えても、
完全には終わったと思わない。
高校生の頃から、 私は、
冬の桜みたいな人生観を、
どこかで持っていた。
冬の桜は、 止まって見える。
もう死んでしまったみたいに見える。
でも、 根は死んでいない。
春が来れば、 また咲く。
今の私も、 止まっているだけかもしれない。
根は、 まだ死んでいないのかもしれない。
当時の私には、
五年後のことなんて何も分からなかった。
ただ、
「五年後なら」
という細い糸だけを、
手の中に持っていた。
それだけで、十分だった。
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「軸へ戻るまで」シリーズです。
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