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小さなソウルメイトは心優しいハンターだった


十歳の息子が、私の背中をぽんぽんと叩いた。

「ママ、大丈夫だよ」

怒ってしまった後のことだった。

ドラマを見ていると、

息子は時々、嫌そうな顔をする。
親が子どもに向かって怒鳴る場面だ。

「誰が世話してやってると思ってんだ!」

息子は、少し黙る。
「そんな言い方、おかしいよ」

先輩後輩みたいな上下関係も、
あまり好きじゃない。

「なんで同じ人間なのに、偉そうなの?」
と、不思議そうにしている。

私は、その感覚を自然に受け止めてしまう。
たぶん、家の中で
“親子の上下”をあまり作ってこなかったからだ。

話すときは、まず息子が話す。
私は遮らずに聞く。

「そっか」「そう思ったんだね」と言いながら、
最後まで。

そのあとで、
「じゃあ次、ママの番ね」
と言って、私が話す。

そんなふうに、順番に話してきた。

もちろん、私は親だから、
ご飯を作るし、洗濯もする。

息子がまだ一人で生きていけないから、
代わりにやっていることは多い。

でも、それは、たまたま私のほうが先に生まれて、
少しだけ多くのことを知っているから、
“担当している”だけのような気がしている。

だから私は、「親だから偉い」という感覚が
昔からよくわからない。

むしろ、一人の人間として
息子を尊重したいと思っている。

不思議なのは、息子もまた、
私を“母親”というより、
一人の人として扱ってくることだ。

私がしんどくて、
土曜の朝になかなか起きられなかった日。
「ママ、大丈夫?」
と声をかけて、朝ごはんを作ってくれた。

夕方、具合が悪くて夕飯を作れなかった日には、
「今日はカップラーメンでもいいんじゃない?」
と言って、お湯を入れて持ってきてくれた。

「ママ食べな」と。

私が疲れていそうな日は、
「ママ、リラックスだよ」
と言いながら、カフェオレを入れてくれる。

十歳なのに。

でも、綺麗ごとだけではない。

私は普通に怒る。
朝リビングに行くと、
息子がビクッと肩を揺らす時がある。

昔、起きるなり、
「まだYouTubeやってたの?」
「勉強は?」
と、刺すような空気を出していたせいだと思う。

その小さな反応を見るたび、
胸の奥が、少し静かに痛む。

あの緊張は、私が作ってしまったものだ。

本当は、安心していてほしいのに。

息子を見ていると、時々、
自分を見ているみたいになる。

息子も私も、不安がある時、
すぐには言葉にしない。

まず一度、自分の中へ潜る。
黙って抱え込む。

外から見ると平気そうに見えるのに、
内側ではずっと考えている。

そういうところが、少し似ている。

この前も、公園で「逃走中」をした。
息子がハンターで、私は逃走者。
私は本気で逃げる。
手加減すると息子は嫌がるからだ。

公園を全力で走って、隠れて、また走って。

その日の夜、スマホを見たら、
移動距離が4.9kmになっていた。

十歳の息子から本気で逃げ回って、4.9km。

守っているというより、
一緒に生きている。

育てるというより、
並んで歩いている。

そんな感覚が、確かにある。

そして、あの日。
私が怒ってしまったあと、息子は静かに言った。

「ママ、悲しかったよね」
「あんな態度されて、辛かったよね」
「ごめんね」

そして、背中をぽんぽんと叩きながら、
「ママ、大丈夫だよ」
と言った。

私は、この子を育てているつもりでいた。

でも、違ったのかもしれない。

たぶん私たちは、
親子になる前から、どこかで会っていた。

そうとしか思えない瞬間が、確かにある。



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