英語力ゼロで、ロンドンの先生になった話
不安だった。
ロンドンの空は灰色によどんで、
来る日も来る日も
「ああ、また朝が来てしまった」と思った。
力の入らない全身を、
指先から1cmずつ、わずかに足を動かして、
ベッドから床へと落としていった。
13年前、私は会社をやめたあと、
なんの就職の保障もないのに、
幼児教育を学びにロンドンへ渡った。
「智子は本当に授業がわかっているのか?」
「智子の発音じゃ、aなのかuなのか、さっぱり分からない」
「教育実習は来期に延期したら?」
日本語を取り上げられた私は、
完全なる無力だった。
この英語力で、エッセイにプレゼン、
教育実習をこなせるわけがない。
(英語が私の足を引っ張る!)
(日本語だったら、全然できるのに)
(幼児より中学生の方が教えがいがある)
(こんなことする意味があったのだろうか?)
できない理由から、 やる価値がないにまで発展し、
開いた教科書の字面を素通りする目線とともに、
幾度と自問を繰り返した。
ある日、ふと、自分に問うた。
「やる意義とか、向き不向き、できるできないはどうでもいい。 もし、何の努力も苦しみもなく、ただ、簡単に モンテッソリーの資格が手に入るなら、もらっとくか?もらっとかないか?」
その答えが、
【とりあえず、もらえるモノはもらっとくよな】
だった。
もうやめよう、
自分の力があるとか、ないとか、
できるとか、できないとか、
こなせるとか、こなせないとか、
もう、考えるの、やめよう。
単純に、
「モンテッソリーの資格をとる」それだけだ。
そう腹に決めた途端、
今までのすべてが、全部、言い訳だったと知った。
教科書を、パソコンを閉じ、
机に真っ白い紙を広げて、
ペンを持ち、こう書いてみた。
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私、智子はモンテッソリーの経営者です。
あなた、智子さんはモンテッソリーの経営者です。 彼女は智子さん、モンテッソリーの経営者です。
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深呼吸をした。 また書いた。
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私、智子はモンテッソリーの経営者です。
あなた、智子さんはモンテッソリーの経営者です。 彼女は智子さん、モンテッソリーの経営者です。
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深呼吸した。
ぽろっぽろっと、涙が出てきた。 また書いた。
_____________________
私、智子はモンテッソリーの経営者です。
あなた、智子さんはモンテッソリーの経営者です。 彼女は智子さん、モンテッソリーの経営者です。
_____________________
私の学校の入り口、かわいい生徒、
サークルタイムで子供たちを囲って歌う私、
細部にわたって、イメージをする。
そして、何十回も、何十回も、 こみあげる何かを感じながら、疲れ果てるまで、 書き続けた。
翌朝、目が覚めたとき、
同じ朝の景色が、全く別のものになった。
自分の人生を自分の手の中に取り戻した瞬間だった。
これを書いた日から、逆襲劇が始まった。
できない、なんて言わせない。
教育実習はトップクラスの成績で通過、
「智子のプレゼンは素晴らしい」と
手本にされたり、
「智子は英語ができないのに、なんでできるの?」と 不思議がられるまで、
自分を成長させることができた。
そして、あの日から半年後、
無事に国際教員免許の資格を取った。
おまけに、途中から欲が出て、
ロンドンのインターナショナルスクールの先生の職まで手に入れた。
27歳の闘いの思い出。
当時の教育実習録と数学モジュールを久しぶりに見ていたら、 心の奥底から、当時の熱い達成感が よみがえってきたまで。
〈編集後記〉
この文章は、 10年くらい前に書いたものです。
27歳だった頃の出来事を、 13年後に振り返って書きました。
当時の私は、 まだあの頃の熱や悔しさに、 手が届く場所にいたんだと思います。
今読み返すと、 もう、この熱量では書けない。
時間って、 本当に人を遠くへ運んでいくんだなと思います。
でも、 あの灰色のロンドンで、 「自分の人生を取り戻したい」 と必死だった感覚だけは、 今もどこかに残っています。
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過去に書いた文章をまとめて
「昔シリーズ」と名付けました。
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