あたりまえではない——臨床実習で学生に伝えたいリハビリの意義
「あたりまえに会えること」は、本当にあたりまえなのでしょうか。
会いたいときに病室へ行き、顔を見て、声をかける。そんな何気ない行為は、特に急な病変などあり得る、神経疾患や循環器疾患を抱える患者様にとって、決して当然のものではありません。むしろ、それはとても尊く、限られた時間の中で成り立っている“幸せな瞬間”だと感じています。
私には、今でも忘れられない出来事があります。
同じ職場で働いていた看護師さんのことです。
子ども同士が同い年で同じ小学校に通い、住んでいるマンションも同じ。家族ぐるみで関わり、学校のことや日常のことをよく話していました。彼女はとても明るく、周囲を自然と笑顔にするムードメーカーのような存在でした。
そんな彼女が、ある日突然体調を崩しました。診断は白血病でした。
放射線治療を乗り越え、一度は職場に復帰しましたが、その後再発。再び治療に臨みましたが、根治は難しく、40歳という若さで亡くなりました。
あまりにも突然で、受け入れがたい現実でした。
誰もが「また元気に戻ってくる」と信じて疑いませんでした。
亡くなる未来など、誰一人として想像していなかったのです。
このような出来事は、決して特別なものではありません。
医療・介護の現場にいれば、望ましくはないものの、日常の中に存在しています。
だからこそ私は、「健康」や「命」はお金では買えない、かけがえのないものだと強く感じています。
臨床実習で学生と関わる中でも、この考えは大切にしています。
特に、重複疾患が多く寝たきりの患者様に介入する際には、必ず伝えていることがあります。
それは、「ご家族が会いたいときに会える状態をどう支えるか」という視点です。
単に拘縮予防のために関節を動かすだけでは不十分です。
その介入が、患者様とご家族の時間にどう影響するのかを考える必要があります。
例えば、
・呼吸状態や循環動態を踏まえた上で、ヘッドアップや座位が可能か
・その際のバイタルサインの変動や疲労の程度はどうか
・介入での反応の変化はどうか(発語がない方の場合も)
・会話時の表情や声量に変化はあるか
・どの関節可動域が改善すれば、食事や更衣、オムツ交換の介助量が軽減するか
こうした具体的な視点を持って評価し、介入することが重要です。
適切な全身状態評価に伴う機能への介入は行いつつ、それは単なる機能改善ではありません。
「もう一度、顔を見て話せる時間」を支えるためのリハビリテーションです。
予期せず人が亡くなる現実がある中で、
会いたいときに会えることは決してあたりまえではありません。
もし仮に、「お金を払えば寿命を延ばせる」と言われたら、私たちはいくら支払うでしょうか。
それほどまでに、「会える時間」には大きな価値があります。
リハビリテーション職として私たちにできることは、
そのかけがえのない時間を、少しでも長く、少しでも良い形でつなぐことです。
学生には、ぜひこの視点を持ってほしいと思っています。
目の前の一つひとつの介入が、患者様とご家族の大切な時間を支えていることを、忘れずにいてほしいのです。
臨床実習指導を行う方も多いと思いますが、ベッドサイドでのリハビリ見学をしてもらう際の一つの視点として、伝えていただけると幸いです。
