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【小説・ヴィーナス症候群】[484]おてあげですね

第1章 マイルドヤンキー社会

筑波山の麓にある茨城県新治市は、かつては商業の街だった名残をまだ引きずっている。
だが中心街のシャッターは下りたままで、活気と呼べるものは祭りの日にだけ一時的に戻ってくる。

その祭りの準備会合が、商工会議所の一室で開かれていた。
商工会青年部の定例会だ。

「今度の祭りでよ、新治カレー出すだろ。あのイメージの服、デザインしてみたんだよ」

そう言って紙を広げたのは、青年部長の鮏川泰斗だった。
途端に場がざわつく。

「さすが泰斗さん、筑波工業のデザイン科出身ですもんね」

誰かがそう言うと、他の参加者も曖昧にうなずく。
鮏川泰斗は、「新治の金正日」と呼ばれた市長・鮏川泰然の息子だ。
思いつきで何かを言い出しても、正面切って反対する者はいない。

「でさ、これ着せるモデル、誰か東京から呼んでこようと思ってさ」
「いいですね!」
「でも高けぇんだよな……」

そのやり取りを横で聞いていたのが、市役所商工観光課の若い職員、池田朝陽だった。

「あ、それでしたら」

池田は一瞬も迷わず手を挙げた。

「僕の中学の同級生に、モデルやってる人いますよ。声かけられます」
「お? モデルなんていんのか?」
「まあ……試着モデルみたいなもんらしいですけどね」
「可愛いのか?」
「そりゃもう。腕があったら新中トップレベルの美少女だったのに、って言われてました」
「……腕?」
「ちょっと……障害者で……」
「まあいいや。そんなに可愛いなら連れてこいよ」

泰斗はそれだけ言って、もう興味を失ったように資料を畳んだ。

池田は胸の内で小さくガッツポーズをした。
あの「新治の金正恩」に気に入られれば、この小さな町での立場は揺るがない。

強い者を見極め、その下につく。
マイルドヤンキー社会を生き抜くための鉄則だ。
綺麗事では、ここでは生きられない。

幸い、中学時代のクラスLINEはまだ残っていた。
池田は迷いなく、彼女にメッセージを送った。

久しぶり。ちょっと相談あるんだけど。

返事はすぐに来た。

土曜日に帰省するつもりだったけど、1日早めて金曜日に帰ろうと思う。

池田は画面を見つめ、満足そうに笑った。
これは悪い話じゃない。
むしろ、彼女にとってもチャンスのはずだ。

第2章 綺麗事じゃないんだよ

その「腕があったら新中トップクラスの美少女」、戸頭紬は、新治市駅に降り立った。

生まれつき両腕のないヴィーナス児であり、アパレル業界で着用モデル、いわゆる「トルソーさん」としてフリーで仕事をしている。

駅前にそびえるのは、かつての三和屋デパートの建物だ。
廃業後、そのまま居抜きで新治市役所になっている。

「おっ、戸頭、久しぶり!」

池田が軽い調子で手を振る。

「どうも、お久しぶりです」

「で、本題なんだけどさ。戸頭にとってチャンスだよ」
「チャンス?」
「新治の金正恩って知ってるだろ? 市長の息子で……」
「ああ……悪さするたびにお父さんの市長に揉み消してもらってるっていう?」
「そうそう。でも今は更生して、建設会社で働いててさ。市の商工会青年部長なんだぜ?」
「はあ……」
「その正恩がさ、お前をモデルに起用したいって」

紬は一瞬、言葉を選んだ。

「モデルって……私の腕がこうだって、分かってるんだよね?」
「顔は可愛いって言ったら、連れてこいって」
「連れて行かれて、何をされるの?」
「別に悪いことじゃないって。今度の祭りで新治カレーのキャンペーンやるからさ、正恩がデザインした服を着てほしいんだよ」
「新治カレーって……ああ、あの肉の煮込みとレンコンが入ったカレー?」
「そうそう! 技能実習生のパキスタン人が作ってるニハリ! 分かってんじゃん!」

紬は少し考えてから言った。

「そっか。じゃあ見積もり出すから、拘束時間教えて?」
「……はあ? 見積もり?金取るってこと?」
「でも、仕事なんだよね?」
「いやいや、仕事とか拘束時間とか考えないでさ。帰省のついでだって思ってくれればいいんだよ」
「交通費も出せないってこと?」
「そうは言うけどさ、お金より大切なものってあるじゃん?」

紬は静かに言った。

「要は、タダ働きしろってこと?」
「いや、たとえ今回はそうだとしてもさ、それを引き受けることで今後の仕事の幅が広がるわけじゃん」
「戸頭ならタダでやってくれるだろうって?」
「そうじゃなくて! あーもう……目先のお金にしか興味ないわけ?人脈って財産になるんだよ?」

池田は、説得する側の顔になっていた。

「例えばさ、これまで地元の仲間だと思ってたお前に金を払います、ってなったら線を引くことになるんだよ? それでもいいの?
いや、俺はそれでも損しないよ? でも長い目で見て、お前がそれでいいのかって話。心配になるんだけどな〜」

「そりゃ、新治で生きてくならそうなんだろうけど」
紬は即座に返した。
「別に、そんなつもりないし」

池田は、ふっと息を吐いた。
諦めたようで、どこか見下すような表情だった。

「……おてあげですね」

「お前が、そんなに薄情だとは思わなかった」
「フリーは、こういうの引き受けちゃダメだから」

その言葉は、池田には届かなかった。

第3章 トルコミのネタ

筑波参宮鉄道の車内。
土浦行きのディーゼルカーが、ゆっくりと田園を抜けていく。

いつもなら常陸吉田で高速バスに乗り換える。(450
だが紬は、そのまま終点の土浦まで行くことにした。

駅近くの、レンコン天ぷらで有名な福田屋に入る。
トルソー仲間の呼続芽衣に教えたら、すっかり気に入ってくれた店だ。(237

席に着くと、すぐに芽衣にLINEを送った。

芽衣ちゃんの言う通りだった。仲間ならタダ働きしろって

返事はすぐに来た。

「でしょ? 地元の絆って本当にロクなことないから。よっぽど喧嘩の強いヤンキーじゃなかったらね」(221
「田舎って、ヤンキーか引きこもりしかいないよね」
「弱肉強食の力社会だよ、田舎って」

紬は、天ぷらが揚がるのを待ちながら、
トルソーたちの掲示板——トルコミを開いた。

「フリートルソー雑談」スレッド。

今日あったことを、淡々と書き込む。
地元。
市役所職員の同級生。
商工会青年部長。
見積もりを出した瞬間に、空気が変わった話。

それはもう、愚痴というより、
よくあるネタだった。

投稿ボタンを押したとき、
紬はようやく、少しだけ肩の力を抜いた。

ここでは、
少なくとも「おてあげですね」と言われることはない。

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