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【小説・ヴィーナス症候群】(53)改革に挑む青年議員・反省すべきところは反省し

第1章:朝の異変

目覚ましの音は、いつもより軽やかだった。

都内のマンション、高層階の一室。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、白い壁を柔らかく照らしていた。

改革派の若手議員・五条誠司は、いつものようにベッドの上で背伸びをした。
昨夜はPPPの講演も懇親会も手応えがあり、帰宅後のグラス一杯が心地よく効いていた。

「……よし、今日もいけるぞ」

スマホを手に取る。
ロックを解除すると、通知の数が尋常ではなかった。

X(旧Twitter)だけで、99+。
LINEのグループも、赤い数字がいくつも浮かんでいる。
ニュースアプリには「国会議員の“不適切発言”がSNSで拡散」との速報が……。

まさかと思ってXを開いた瞬間、
スクロールする指が止まった。



ようあんなんと結婚する奴おったなぁ
→国会議員が障害者に対して“不適切発言”?
→テレビカメラが回っていた懇親会での音声がSNSで拡散



動画は短い。
笑い声に混じって、確かに自分の声が入っていた。

(……え?)

その場にいたサッカー部の旧友の顔が、フラッシュバックのようによぎる。
リラックスした雰囲気、ただの冗談。
でも、冗談の“つもり”で済まされる空気ではないと、ようやく理解する。

キッチンに向かう足取りが、ほんのわずかに重くなる。
背中に、見えない何かが乗っている気がした。

テレビをつけると、ワイドショーのコメンテーターが言った。

「発言の真意がどうであれ、“あの場”で“あの言葉”を言った事実は重いですよね」

画面の下には、見覚えのある自分の顔写真と、
「改革派の若手議員」「注目のホープ」といった文字。

五条は、まだ信じられなかった。
この程度のことで? 昨日まであんなに褒めていたのに?
それが一夜にして、この騒ぎ……。

背後でスマホがまた震えた。
党本部からの着信だった。

第2章:謝罪文の投稿

「五条さん、出ましょう。さすがに、これは……」

朝9時過ぎ。
事務所に駆けつけた広報担当の塩谷は、顔面蒼白のままタブレットを差し出した。
画面には、炎上した投稿を取り上げる各ネットメディアの記事がずらりと並んでいた。

《若手改革派議員、“差別的発言”に批判殺到》
《発言は、偶然記録されていた会場の記録映像に含まれていた》
《政策提言に熱心な一方で、意識の低さが露呈か》

スタッフたちは沈黙していた。
iPad越しに音声を繰り返し再生する者も、目を伏せたまま固まる者もいた。

塩谷(元・女性キャスター)は一瞬顔を上げ、視線を五条に向けた。
有馬(元・経産官僚)は、静かに資料をめくりながらも、手が止まっていた。

「謝罪文は……出すべきでしょうね」と、有馬が口を開いた。

「でも、謝罪してもまた火がつくパターンもありますよね」
学生インターンの藤田が、心配そうに言った。

五条は、深呼吸を一つした。

「謝るだけじゃ、何も変わらない。俺は、きちんと説明する。
俺の原点も、あの夜の空気も、全部込めて書くよ」

その言葉に、塩谷はわずかにうなずいた。
そして、デスクの前に座った五条は、スマホを手に持ち、自らXにログインした。

昨夜の会合における私の発言が、一部の方々に不快な思いを与えたことを深くお詫び申し上げます。
私の軽率な言葉により、ご本人や関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを、心より反省しております。

青春を共に過ごした森之宮高校サッカー部の旧友と再会し、思春期の記憶に引き戻されたような心の緩みがありました。
再会の場で思い出話が弾む中、つい“軽口”をたたいてしまったこと、それがこうして多くの方に届いてしまったことに、私自身が一番驚いています。

しかし、反省すべき点は真摯に反省し、改革への情熱は決して曲げません。
今後は一言一言により一層の配慮を持ち、皆様の信頼に応えられる政治を目指してまいります。

五条誠司

投稿ボタンを押したあと、しばし誰も何も言わなかった。

だが、最初に反応したのは、炎上が続いていたネットユーザーたちだった。

「“思春期に戻った”って何?」
「森之宮高校巻き込むな」
「やっぱりサカ豚か」
「結局“軽口”だったって言い訳じゃん」

数分で、投稿には数千件のリプライと引用リポストがついた。
トレンド欄には《五条議員》《謝罪文》《森之宮高校》の3つが並んだ。

スタッフの誰かが、小さくつぶやいた。

「……火、消えてないですね」

五条はモニターの画面を見つめながら、ただ呟いた。

「でも、俺は……間違ったことは、してない」

その言葉に、誰も答えなかった。

第3章:君の改革は、君の手で

午後3時すぎ、議員会館。
五条誠司は、青年局副局長からの一本の電話で控室に呼び出された。

「本部がリモートで話したいってさ。あまり長くはならないと思うけど」

五条は、やや不機嫌にスマホをスーツの内ポケットへ戻した。
背筋を伸ばし、正面のモニターに映った党幹部たちの顔を見据える。

映っていたのは、幹事長代理、広報本部長、政調副会長、選対副本部長。
いずれも若手には睨みの効く顔ぶれだ。

「……あの発言、正直に申しまして、擁護は難しい。
本人確認も済んでいるし、ネットの反応も“冗談では済まされない”という声が圧倒的です。何より当事者団体、当事者を多数雇用しているアパレル業界、義肢メーカーなどからも党本部に多数の抗議が殺到している。
それとPPPの時に使ったバトントワリングの女の子、これもSNSで拡散されているが写真の使用にあたって本人の許可を得たのか? ご両親から党本部に『政治活動に利用を許可した覚えはない』と弁護士を通じて抗議が来ているんだ。こちらは損害賠償に発展する可能性もある」

幹事長代理が低く静かな口調で切り出す。
五条は、しかし納得のいかない表情のまま、口を開いた。

「すみません。ただ、あの発言、ほんとに“文脈を無視して切り取られた”んです。
同級生との昔話の中で、ちょっと気の緩んだ冗談だっただけで……」

「“冗談”だった?」

広報局長が食い気味に言った。

「五条くん、こっちは君を守る立場で聞いてる。けど、君自身が何を“冗談”と思って、どういう“文脈”で言ったのか、それを今ここで説明してくれないか?
——“ようあんなんと結婚する奴おったな”って、どういう流れで?」

五条は、いったん息を飲んだ。

「……森之宮高校の旧友と再会して、思春期のノリというか、まあ、昔の部活仲間って空気があって。
その流れで“あいつ結婚したらしい”って話になって、“すげーな”って驚いた感じだったんです。“あんなん”ってのは、“昔水泳で頑張ってた子”くらいの意味で……」

幹事長代理は腕を組んで聞いていたが、ふと重ねた。

「で、その“驚き”を、“ようあんなんと結婚する奴おったな”と?」

「……まぁ、はい。でも、文脈としては、“障害のある女性でも家庭を持てる時代になった”というか、ポジティブな意味での“驚き”だったつもりです」

政調副会長が画面越しに静かに首を横に振った。

「それで当事者の方が納得すると思うか?
音声が残っていて、動画が出回っていて、君の顔が映っている。
擁護しようにも“言い逃れ”にしか見えないんだよ」

「言い逃れなんかしてません!」
五条の声が、会議室の空気を震わせた。

僕がやってきた改革今まで支持してくれた人たちの熱量、全部無視するんですか?
今ここで僕を切るって、それこそ“改革ごっこ”じゃないですか!」

一瞬、沈黙。
その間に、誰かの短い息がマイク越しに聞こえた。

「……感情は分かる。でも、これは政治判断だ。
党HPからは君のプロフィールを削除する。
あとは、君自身で“説明”を考えてくれ」

「繰り返すが、党として擁護はできない。
君の改革は、君の手でやってくれ」



リモート会議が終了すると同時に、画面が真っ暗になる。

横で控えていた青年局副局長が、苦笑いを浮かべた。

「……彼ら、ずいぶん冷たいよな」
「でもまぁ、党ってのは“自己保身の集団”やからな。
改革は応援するけど、火の粉はかぶらない。そういう世界」

五条は言葉を返さなかった。
ただ、自分の手のひらにスマホを握りしめたまま、モニターを見つめていた。

スマホには、たった今、自動更新された党公式サイトの画面が映っていた。
“五条誠司”の名前も、顔写真も、何もなかった。

第4章:記者会見

その日は、雨だった。

午後1時。衆議院第二議員会館の会見室。
報道陣が敷き詰めたカメラとマイクの前に、五条誠司が姿を現した。

いつもより黒っぽいスーツに、落ち着いたネイビーのネクタイ。
手元には原稿があるが、彼はそれを一度も見なかった。

壇上に立った五条は、一礼し、はっきりとした声で口を開いた。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。
国会議員として、そして一人の人間として、今の自分の立場を説明する責任があると考え、この場を設けました」

フラッシュが一斉にたかれる。
五条は一拍置いてから、まっすぐ前を見据えた。

「一部報道で取り上げられた、私の不適切な発言について――
それがどのような意図であったにせよ、多くの方に不快な思いを与えたこと、改めて深くお詫び申し上げます」

深く頭を下げると、空気が少しだけ張り詰めた。

「私は“言葉の重み”というものを、今回初めて身をもって知りました。
軽率な一言が、どれほど人を傷つけるか、制度や信頼を揺るがすか。
そしてその結果、私自身が多くのものを失ったことも、事実として受け止めています」

一部の記者が筆を走らせる。

「しかし、それでも私は、政治が“改革”の旗を降ろすべきではないと思っています。
私の信念は変わっていません。
技術が人を救う時代に、制度がそれを邪魔してはいけない。
それを問い続けてきたことは、これからも間違いだったとは思いません」

言葉を噛みしめるように、口を結ぶ。
しばらくの沈黙の後、五条は静かに言った。

「以上をもちまして、本日付で衆議院議員を辞職いたします」

その瞬間、カメラのフラッシュが再び弾けた。
質疑応答の時間は設けられなかった。
会見の場は静かに、そして不思議な重たさを帯びたまま終了した。

控室に戻ると、スタッフたちは無言だった。
塩谷は黙って資料をまとめ、有馬は静かに椅子に座っていた。
誰も「お疲れ様でした」とは言わなかった。

それでも五条は、ひとつ深呼吸をしてから、ポケットに手を突っ込み、言った。

「……次、考えなあかんな。やれることは、まだある」

誰も答えなかった。

第5章:スタッフの散り散り

議員辞職会見から三日後の午後。

五条誠司の事務所に、かつての喧騒はなかった。
応接スペースの棚は空っぽに近く、壁からはポスターもすでに外されている。

かつて10人以上いたスタッフも、今では4人に減っていた。
いや、「残っていた」と言うよりは、「まだ事務手続きに追われている」という方が近い。

最初に姿を消したのは、学生インターンの藤田だった。
会見翌日、「実家の都合で」とLINEひとつ残し、机の荷物ごといなくなった。
彼はもう事務所のグループチャットにも姿を見せない。

次に辞表を提出したのは、広報担当の塩谷だった。
元キャスターの彼女は、「メディア対応の限界です」とだけ残し、五条に一礼して去っていった。

何も言わなかったが、あの懇親会の夜、
「村内凛」に関する発言で彼女がビクリと顔を上げたのを、五条は覚えている。

残ったのは、有馬だけだった。



その日、有馬は無言で会計処理のファイルを閉じ、ふと口を開いた。

「……退職届、僕も出します」

五条は目線を上げた。

「有馬まで?」

「はい。別に“見限った”わけじゃありません。
ただ、この件が落ち着いたら、別の場所でまた制度を見つめたいと思いまして」

「そうか……」

返す言葉はそれだけだった。

第6章:森之宮という名前の重み

《“ようあんなんと結婚する奴おったな”発言、母校にも波紋 森之宮高校・同窓会関係者から怒りの声》
《「謝罪文で母校の名前を出すな」──在校生やOBが困惑》

トレンド上位に突如浮上した「森之宮高校」というワード。
きっかけは、五条誠司・前衆議院議員による発言炎上と、それに続く謝罪文だった。

「青春を共に過ごした森之宮高校の旧友と再会し、思春期の記憶に引き戻されたような心の緩みがありました」

「緩み」という言葉に、母校の名を重ねて釈明に用いたことで、
批判の矛先は、在校生・教職員、そしてOBにまで広がっていった。



大阪府立森之宮高校。
大阪城の北東、旧市街地の高台に建つ石造りの校舎は、100年以上の歴史を持つ。
曽根崎高・上町高・松虫高と並ぶ府立四天王の一角に数えられ、
東大・京大・阪大といった難関大学への進学実績は全国でも有数だ。
政界・財界・官界・学界──あらゆる分野に、数々の著名なOBを輩出している。


放課後、校門の前で立ち止まる生徒たちは、困惑と嫌悪を隠さなかった。

「“五条議員”? うちの先輩なん? ……え、うそやろ」
(男子生徒・3年)

「よう“あんなん”って、ほんま最悪やと思う。
 あんな発言して、なんで母校の名前まで出すのか、意味わからん」
(女子生徒・2年)

「サッカー部の名前も出てたやん。勘弁してほしい……」
(サッカー部員・2年)



東京同窓会支部長を務めるのは、白石巌(しらいし・いわお)氏。
森之宮高校から慶應義塾大学医学部に進み、厚生省の医系技官として入省。
医政局で課長、技術総括審議官などを歴任し、退官後は医療法人理事長を経て政界入り。
衆議院議員として3期在職し、厚労副大臣の経験も持つ。
現在は、医療・福祉・健康関連企業が加盟する経済団体「全国健康産業推進連盟」で顧問を務めている。

今回の件に関して、白石氏は報道各社の取材に応じ、怒りを滲ませた口調でこう語った。

「彼の政策にいちいち口を出す気はありません。
でも──あんな形で、母校の名前を使うのは卑怯です。
心底、情けない」



さらに、同窓会本部会長・荒川道隆氏。
五条と同じ森之宮高校のOBであり、関西精工株式会社の代表取締役社長。
関西経済団体「関西産業振興会」の副会長を務める財界人だ。

昨日のPPP講演会では、壇上の五条に声をかけ、
「後輩が立派に育った」と称えていた人物である。

だが今回、報道陣の問いかけに対しては冷たく、こう答えた。

「学校の名前を軽々しく使うな。
わしにとっては、もう“後輩”やない」

記者がPPPでのやりとりを尋ねると、
「そんなことあったか? 覚えてへんな」とだけ言い、質問を打ち切った。



その記事を、東京・文京区のマンションの一室で、五条誠司は読み終えていた。
かつて議員宿舎を引き払い、仮住まいとして選んだ高層マンション。
広くも狭くもない白い部屋の机に、議員バッジのケースがひとつ置かれていた。

彼はスマホを伏せ、椅子にもたれてしばらく天井を見つめていた。

その視線に、力はなかった。

やがて、誰に言うでもなく、
ただ自分の中でだけ、言葉が落ちた。

(……もう、いいか)

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