【小説・ヴィーナス症候群】[496]望郷という片想い
クリスマスといえば、名古屋なら久屋大通のクリスマスマーケットだ。
テレビ塔の下に屋台が並び、ホットワインの匂いとイルミネーションが、冬の街を少しだけやさしくする。
東京でフリーの「トルソーさん」をしている呼続芽衣は、仕事帰りの電車の中で、ふとそんな光景を思い出した。
生まれつき両腕のないヴィーナス児にとって、「トルソーさん」という仕事は、アパレル業界ではごく普通の障害者雇用の一つになっている。
芽衣も今は、ブランドごとに現場を渡り歩くフリーランスだ。
――とはいえ、故郷の記憶が、すべて甘いわけではない。
小学生の頃、義手で無理やり手拍子をさせられた。(第420話)
中学生になると、今度はスクールカーストがはっきりしてきて、居場所はますますなくなった。(第221話)
高校では、文化祭の出し物で「お化け屋敷に出てよ」と本気とも冗談ともつかない誘いを受けたことがある。(第237話)
その時、芽衣は笑えなかった。
そんな学校生活だったから、恋なんて考える余裕はなかった。
それでも、愛知は懐かしい。
好きだったわけじゃないのに、なぜか忘れられない――
それはまるで、片想いのような望郷の念だった。
その話を、芽衣はドレスブランド・Feliceに所属する「トルソーさん」、檜皮谷奈緒にした。
撮影後、控室でコーヒーを飲みながらの、他愛のない会話だ。

「そんなの、誰だってそうだよ」
奈緒はあっさり言った。
「私だって徳島だけどさ。奇形児だって言って、隣の学校から見物に来られたりしてさ。不登校になって、東京の通信制高校に出てきたんだよ」(第293話)
「でも高円寺の阿波踊りは毎年見に言ってるし、和三盆とか好きなんだよね」(第442話)
芽衣は、奈緒がそんな過去をさらっと話すことに、少し驚いた。
「それでね、最近、仕事で岩手の盛岡に行ったんだけど」(第479話)
奈緒は続ける。
「夕方の5時になると、街で石川啄木の『春まだ浅く』が流れるの。ああ、啄木って岩手の誇りなんだなって思ったらさ。日記には『故郷の山河は友達だけど、人々は敵だ』とか書いてあって。自分は優秀だから嫉妬されてる、借金もあって嫌われてた、みたい」
芽衣は思わず笑った。
「さすが……奈緒ちゃん、ガチモンの文学少女だね」
望郷の念なんて、きっとそんなものなのかもしれない。
嫌だった記憶も、距離ができると、形を変えて残る。
いつだったかの仕事終わり、総武線の黄色い電車に乗った時など、水道橋でドアが開くと、巨人戦帰りの中日ファンがどっと乗り込んできた。
ユニフォームやタオルを見ていると、芽衣は一瞬、「今日勝ちました?」と声をかけたくなったものだ。
「私も愛知なんです」って。
もちろん、そんなことはしなかった。
そういえば、急に手羽先が食べたくなった。
目指すは神田の手羽先の店、「三歩」。
ドラゴンズファンが集まることで有名な店だ。
電車を乗り継いで店に入ると、ちょうど店内が一体になっていた。
〽️遠い夜空にこだまする
竜の叫びを耳にして
ナゴヤドームに詰めかけた
ぼくらをじいんとしびれさす
いいぞ 頑張れ ドラゴンズ
燃えよドラゴンズ〜

大合唱の中、芽衣はカウンターに腰を下ろした。
帰らない故郷。
それでも、遠くから想ってしまう場所。
クリスマスの片想いは、
手羽先とビールの湯気の中で、静かに続いていた。
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