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【小説・ヴィーナス症候群】(14)五体満足に生まれてこなきゃよかった

その春、私は四つ目の内定をもらった。

「おめでとう」
ベンチの隣で、菜摘が乾いた声で言った。いつものアイスコーヒーの紙コップを両手で包みながら、彼女は私の右肩――つまり、義手の付け根のあたりをちらりと見てから、すぐに視線をそらした。

「ありがとう。でも、まだ決めてない」
そう答えたものの、本当はもう心は決まりかけていた。あの広告代理店は、企業としても人としても好感が持てたし、面接で義手に触れてこなかったのも印象的だった。十把一絡げの「ヴィーナス児」ではなく、一人の「舘合翠」として見てもらえたような気がした。

「私、もう9社落ちてるんだよ」
菜摘が静かに言った。「エントリーシートも面接も頑張ったのに、“印象が薄い”って。どうすれば印象に残るの? 髪をピンクにでもすればよかった?」

冗談めかした口ぶりだったけれど、その笑顔にはひびが入っていた。

「…翠ちゃんはさ、腕がないってだけで、全部覚えてもらえるんだよね。“あ、あの子ね”って。それだけで、もう面接の半分は勝ってるようなもんじゃん」

私は何も言わなかった。

「そっちは“ヴィーナス児”ってだけで、社会の象徴みたいになってる。私なんて、“五体満足の普通の就活生”だから、全部ふつうに競争して、ふつうに落とされる。もう、惨めでしかない」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に古い記憶がよみがえった。



私たちが生まれた頃、「ヴィーナス児」という言葉は社会をざわつかせていた。
両腕がない状態で生まれてくる赤ちゃんが、ある時期から日本各地で相次いで報告された。出生前検診では異常なし。母体も健康。原因は薬でも、遺伝でもない。共通点が一切なかった。けれど、なぜか――女の子だけが、両腕のない状態で生まれてきた。

マスコミは「新しい奇形」「第2サリドマイド事件」と報道し、SNSでは“見えない環境ホルモンの影響か”と騒がれた。世間は不安と差別の入り混じった好奇心で、私たちを「ヴィーナス児」と呼んだ。まるで彫像のように、両腕を持たない少女たち。

母が言っていた。「翠が生まれたとき、病院の玄関にはカメラがいて、看護師さんが裏口から出してくれたのよ」

私たちは、生まれながらにして“社会問題”だった。

「…ごめんね菜摘。私、たぶん、生まれた瞬間からニュースだったんだよ」

「…え?」

「“ヴィーナス児”って、原因は分かってないみたいだけど、でも、私たちはその“象徴”として育ってきた。だからたぶん、どこに行っても“意味のある存在”として扱われる。たとえ私自身がただの一人の学生であってもね」

菜摘は俯いたまま、紙コップを強く握りしめていた。

「知ってるよ。だからって許せるもんじゃないけど…知ってる。
でもさ、就活先の社員たちが、“うちのトルソーさん”って呼んでるの聞いたとき…私、めちゃくちゃ惨めだったよ」

「……」

「服を着せるマネキンが“トルソー”でしょ? それをあなた達にかぶせて、“会社の顔”とか言って…。ふつうの社員よりも話題性があるから、モデル兼PR担当なんだって。その子、うちの学部でレポートも出してなかった子だよ? 就活もしてなかった。見た目が良くて、両腕がないから“時代に合ってる”って、それだけで引き抜かれてさ。なんで私は、ESで“印象が薄い”って言われてるの?」

しばらくの沈黙のあと、菜摘はぼそっと言った。

「私も…五体満足に生まれてこなきゃよかったって、思った」

私はゆっくり義手をはずした。両肩の切断面が、春の日差しの中であらわになる。

「私ね、電車に乗ると、子どもに泣かれる。レストランでスプーン落としても拾えない。服を汚して笑うしかない。でも、それでも、菜摘に“羨ましい”って思われるの、つらいよ」

菜摘は唇をかみしめて、震える声で言った。

「…ごめん。翠ちゃんのことが憎いんじゃない。ただ、自分のことが嫌になるの」

「わかってるよ。でもね、私も菜摘みたいになりたかったよ。“普通”に生まれて、“普通”に比べられずに済む人生を歩みたかった」

「…障害者雇用ってさ、昔は“かわいそう枠”だったのに、今は“便利枠”になってるよね。企業は助成金もらえて、税制も優遇されて、義手が進化してるから“戦力になる障害者”を欲しがってる。つまり、使いやすければ、歓迎されるってわけ。なんか、皮肉だよね」

「そうだね。私も、利用されてるって感じること、あるよ。
でも、私は社会の“装飾”として雇われたくない。ちゃんと自分の言葉で、自分の仕事で、必要とされたいんだ」

風が吹いた。桜の花びらが一枚、私の肩に落ちた。

「でも、ごめん。今日だけは、まだ仲直りできそうにない」

菜摘はそう言って立ち上がった。

「うん。私も今日は、泣きたくない」

菜摘は背中を向け、歩き出した。私は両腕のない肩で春の風を受けながら、ひとり、空を見上げた。

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