【小説・ヴィーナス症候群】(43)ヴィーナス症候群研究の「いま」
ヴィーナス症候群研究のいま──“見える身体”と、見えない未来
日曜夜9時、教育テレビの科学番組『フロンティア・サイエンス』。
今週の特集は、ある静かな先天異常について。
「ヴィーナス症候群研究の現在地」
きっかけは、一ヶ月前の国会質疑だった。
「義手で日常生活を送れている人を、1級にしておくのは制度として見直すべきではないか」
発言したのは、福祉行政に批判的な立場で知られる若手議員・五条誠司。
その言葉は単なる制度論を超え、かつて“ヴィーナス児”と呼ばれた当事者たちの存在を、改めて社会のまなざしの下に置くことになった。
彼女たちはいまも生きている。
そして──新たな命も、いまも静かに、生まれ続けている。
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舞台は、東京都・国立医療科学研究センター。
先天異常研究ユニット。カメラが研究者たちの間を抜け、主任研究員・高梨義三博士の前にたどり着く。
スライドに映されたグラフを、高梨は指さす。
「これが、ヴィーナス症候群の年間発症数です。ばらつきはあるものの、年に30〜50人程度。
およそ女児出生1万人に対して1人──それが、この疾患の推定発生率です」
画面が切り替わる。
「性別比」の棒グラフ。青の列──男児の数は、ゼロのまま。
「100%、女児です。これは偶然とは言えません。
ここまで性差が極端な先天異常は非常にまれで、原因はまだまったく分かっていません」
高梨は、仮説だけが増え続けている現状を淡々と語る。
「遺伝子異常説も、環境要因説も、いずれも決定的な根拠には至っていません。
妊娠4週以前の神経発生段階に何かが起きている可能性はありますが、立証には至っていない。
我々は、いまだ“なぜそうなるのか”という問いにすら、答えられていないんです」

スタジオのナレーションが静かに重なる。
「この症候群の第一世代は、すでに出産適齢期を迎えている。
だが、実際に子を産んだ当事者は、ごくわずか。
遺伝するかどうか──それすら、語れるほどのデータが存在しない」
高梨博士は、引き出しから一冊のファイルを取り出す。
手書きのラベルには、《後代出生例(仮)/追跡中・統計未成立》とある。
「いずれ、次の世代の症例が見えてくるかもしれない。
でも今は、問いだけがあって、答えがない状態が続いているんです。
そんななかでも、子どもたちは毎年、生まれてきているんです」
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番組は、支援団体「コルチカムの会」の事務局長・守実徹にも話を聞いた。
元・自治体の福祉課長。現在は当事者家族からの相談窓口を担っている。
「“義手で生活できてるなら1級じゃなくてもいい”──って、それ、順番が逆なんですよ」
そう言って守実は、机の上の装具費申請書を手に取る。
却下された申請には、「医療的必要性なし」と赤字で記されていた。
「義手があるから生活できてるんです。ないと、生活そのものが成り立たない。
それを“できてるから支援はいらない”と見るのは、制度が“結果”だけを見てるということです」
制度の障害等級では、握力や肘関節の可動域といった基準が用いられる。
だが、ヴィーナス児に腕や肘はない。測定そのものが成立しない。
「たしかに1級相当にはなります。でも、制度が想定している1級の“中身”とは、全然違うんです。
書類の言葉で支援が決まるなら、その言葉が“何を想定して書かれてるか”まで見直さないといけない」
守実の表情は静かだが、言葉には力があった。
「目立つ障害なのに、理解はされてない。
彼女たちは“できるようにしてきた”だけで、“できる人”じゃない。
それを忘れて支援を削ろうとするのは、本当に危ういことだと思っています」
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ヴィーナス症候群──
発症率は、女児1万人に1人。
原因不明。遺伝不明。環境要因は推定にとどまり、いまだ有力な仮説すら存在しない。
それでも、日本では毎年30〜50人の女児が、この疾患を持って生まれてきている。
名前のないまま、制度の隙間で、誰にも説明されないまま。
科学がまだ届かない場所で、
彼女たちは今日も、静かに息をしている。
