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【小説・ヴィーナス症候群】(223)野グソ系YouTuber

モロッコのマラケシュから帰国して(218)、ようやく日本の蒸し暑さに落ち着いた汗を感じたとき、私は「ああ、生きてる」と思った。

命あっての物種――この言葉の重さが、あの灼熱の広場でようやくわかった。
日の出とともにジャマエル・フナで乞食を始め、炎天下で意識を失いかけ、「麻帆ちゃん、もう来たの?」なんて、死んだはずのぱんつっちの声まで聞こえた。
たぶんあれは幻覚だった。でも、その幻覚に救われた。私は、死ななかった。

帰国後、初めてカメラの前に座った。
「モロッコで乞食、オススメできません」
それだけ言って、動画を閉じた。
編集もサムネもなし。ただ一言、テロップで出しただけ。視聴者はコメント欄でツッコんでいた。

「いや行かねーよそんなとこ」
「お前は何をやってんだ」
「元気そうでなにより」

悪くない反応だった。なんとなく、またやっていけそうな気がした。



ある日、一本のメールが来た。差出人は「うんこチャンネル」。

一瞬、迷惑メールかと思った。けれど文面は丁寧で、動画コラボのオファーだった。
送り主の名前は、「ウン子」。どこかで聞いたことがある。少し調べて、思い出した。
あの、野グソ系の子だ。
全国の名物を食べ、数時間後に自然の中で排泄する。それをモザイクと自然音で包んで編集し、最終的には「自然との一体感」みたいなポエムで締めくくるスタイル。
驚くべきことに、登録者数は軽く私の倍以上いた。

「よくBANされないな……」と呟いて、それから気づいた。

――この子、どうして私と?

自分がそんなジャンルだとは思いたくなかった。けれど、あの動画以降、私も“やばい側”に見られているのかもしれなかった。ショックだった。
けど、会ってみるだけ会ってみようと思った。



待ち合わせ場所は新宿西口の喫茶店。現れたウン子は、驚くほどアイドルみたいに可愛かった。前髪パッツン、あどけない笑顔、目はキラキラしていた。

「麻帆さん、はじめまして!モロッコ、拝見しました!感動しました!」
「え……ありがとう、ございます」

「……ほんと最初は、ただの“食べてみた”系でやってたんです。誰も見てくれなくて、コメント欄も静かで……自己満で編集して、自己満でアップして……。正直、もうやめようかなって思ってた頃でした」

 ウン子はストローをくわえ、アイスカフェラテを一口すすった。

「でも転機が来たんです。熊野古道。本宮近くの小さな食堂で、焼きたての鮎の塩焼き定食食べて、気持ちよく歩いてたら、お腹にドーンと来て。道の真ん中で……もうやるしかなかった。で、気がついたらGoPro、回ってたんですよね。ほんの出来心」

 麻帆は無言で頷く。ウン子は語り口を熱くしていく。

「その動画、バズりました。“聖地で聖なる脱糞”ってタグでトレンド入り。登録者が一晩で5万人増えて……再生回数、いま700万超えてます。信じられないでしょ?」

 彼女の目には、誇りと興奮の光が混じっていた。

「でね、そこからはもう、“どこで何を食べて、どこで出すか”っていう、私なりの旅が始まったの。地方の美味しいものを紹介して、その地の空気を感じて、最後に身体で記憶する。わたしのやってることって、ある意味“旅の全う”なんですよ」

 彼女は手のひらを開き、次々と地名を数えていく。

「鹿児島・指宿、砂蒸し温泉のあとに“とんこつ”食べて、知林ヶ島の干潟で。高知・桂浜ではカツオのタタキ丼→龍馬像裏。白川郷じゃ朴葉味噌ステーキ→合掌造りの畑。戸隠神社の蕎麦→参道の杉並木の陰。北海道・美瑛の豚丼→ラベンダー畑の丘の上……」

 麻帆が少し目を見張ると、ウン子は小さく笑った。

「企業案件も入るようになったし、地方の観光協会からオファーも来る。“野グソはしないでほしいけど、食レポだけでも”って。無理だけど」

 彼女は肩をすくめた。

「今じゃ月収も会社員の倍以上、旅費も機材も全部経費で、好きな場所に行ける。私がこんなに成り上がれるなんて、ほんと信じられない。でも──最初のきっかけが、あの熊野古道だったってことだけは、忘れないようにしてます」

話を聞いているうちに、地獄のような言葉が飛び出した。

「今度、清里でソフトクリーム食べてから星空の下で野グソって、最高だと思いませんか? 空もきれいだし、景色もいいし!」

「……思わない。イカれてるよあんた」

思わず、口に出ていた。

彼女はそれにも笑って、「ぱんつっちさんにも言われました」と肩をすくめた。
「え、ぱんつっちに会ったことあるの?」
「はい。去年、DMしたんです。“一緒に野グソしませんか?”って。でも『お前と一緒にできるかバカ』って返ってきて……殺されちゃって、かわいそうですよね」

私は息を呑んだ。あのぱんつっちでさえ断るレベルの特級呪物とのコラボを、私が受けられるわけがない。

「ごめんなさい、今はちょっと……」
「わかりました。今度は松島でしようかな、牛タンもおいしそうだし、日本三景だし!」

ウン子は満面の笑みで言い、アイスティーを飲み干すと、ぴょこんと頭を下げて去っていった。



あれ以来、また動画を出せていない。

でも、カメラの前に座るたび、私は思い出す。マラケシュの太陽。ジャマエル・フナの石畳。死にかけたあの朝。
それでも私は、生きている。

きっとまた、撮れる。
とりあえず今日は、クーラーのきいた部屋で、アイスコーヒーでも飲もう。


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#金目麻帆

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