見出し画像

【小説・ヴィーナス症候群】[294]障害者雇用の地域格差

第1章 通販カタログのピンク

撮影現場は、原宿のスタジオ。
 白壁にピンクの紙バックを貼った簡易セットの前で、「Ria」の新作ワンピースを着た家久綾音は静かに立っていた。

空調の音と、カメラのシャッター音だけが、空間に浮かんでいた。

「Ria」は原宿に実店舗を構えるガーリーブランドで、週末には多くの女の子たちが訪れる。
 一方で、通販サイトやSNSでの販売にも力を入れており、今日の撮影はそのEC向けカタログ用だった。
 スマホの画面越しで「欲しい」と思ってもらうための、静かで正確な写真。
 派手さはないが、重要な仕事だ。

ピンクのワンピースは、今月のメイン商品。肩のフリルが二段になっていて、胸元のピンタックは縦に三本。襟元とウエストに細いリボンがあしらわれていて、素材はシフォン。スカートの裾にも小さなギャザーが三段ほど重なっている。

「じゃ、綾音ちゃん、こっち見てー。うん、いいね、可愛い」

撮影スタッフがスマートフォンの画面を覗きながら、軽く声をかけた。
 モデルというより、“着せる対象”としての扱い。カタログ撮影では、いつもそんな感じだ。

 綾音は生まれつき両腕がない。
 肩から先が、なだらかに滑らかな皮膚で終わっている。
 だからこそ、こうしたノースリーブの服を着たときに、布が歪まず、綺麗に落ちる。
 動かない。干渉しない。ずれない。
 いまのアパレル業界では、そうした身体が、静止した“展示用の肉体”として重宝されるようになっていた。

このような仕事——通称「トルソーさん」と呼ばれる職業は、十数年前から制度化が進んだ。
 きっかけは、いわゆる「第2サリドマイド」と呼ばれた現象だった。(1
 医療的には原因不明のまま、全国で数万人にひとりの割合で両腕のない女児が生まれる事例が相次いだ。
 社会問題化したのち、当事者団体や支援団体の働きかけもあって、障害者雇用の一形態として「衣料展示支援従事者」あるいは「義肢着装支援従事者」という職種が法制化され、いくつかのファッションブランドが専属で雇用するようになった。(154

「トルソーさん」という呼称は、その制度的な職名よりもずっと一般に浸透している。
 家久綾音も、都内での就職先としてRiaのトルソーに採用されたひとりだった。(15

「じゃ、あとは商品撮りバージョンねー。上半身アップいきまーす」

スタッフが三歩前に出る。綾音は少しだけ顔を正面に戻し、表情を固定する。笑いすぎない、でも無表情でもない。服の甘さに合わせて、わずかに口角を上げる。

スマートフォンのシャッター音が続く。

画面越しの自分は、少し浮いているようにも見えた。
 ピンクのワンピースも、ピンクの背景も、綾音の肌に近い色だ。
 この空間の中で自分だけが“商品ではないもの”に見えて、ふと、奇妙な感覚を覚えた。

「はい、じゃ、OKでーす! 綾音ちゃん、おつかれさま〜」

スタジオの空気が少しだけ緩む。
 綾音はスタッフに軽く頭を下げ、ロッカースペースへと戻る。

ワンピースのファスナーを背中から引き下ろし、身をねじって脱ぎ、ロッカーの下段から自分の義手を取り出す。磁気アタッチメント式の基部を肩に装着し、音もなく両腕を繋いでいく。
 少し重いが、慣れている。ワンピースを畳み、ハンガーに掛け、私服に着替えるのも自分ひとりでこなす。

この義手がないときだけが、「商品」になる時間。
 そう思いながら、スマホの画面をのぞいた。

「しおりちゃん」から、LINEが来ていた。
 山形に住む、昔のサマーキャンプ仲間。
 当事者団体「コルチカムの会」のサマーキャンプに参加したのは、もう10年ぐらい前になってしまったが、ヴィーナス児同士として、今も連絡を取り合っている数少ない友人だった。

第2章 遠いラ・フランス

「おつかれー、着替え終わったらそのまま上がっていいよー」
 スタジオのスタッフにそう言われ、綾音は控室で身支度を整えた。
 両腕の義手を装着し、バッグを肩に引っかけ、原宿のスタジオを出たのは18時すぎ。
 小田急の各停に乗って世田谷の弦巻に帰り着いたのは、ちょうど19時半だった。

夕飯を済ませて寝間着に着替え、ベッドに腰を下ろすと、ようやくスマホを開いた。
 LINEの通知がひとつ点いていた。

しおりちゃん
 ──「今日、電話してもいい?」

「うん、大丈夫だよ」と返信すると、すぐに呼び出し音が鳴った。
 綾音はスマホを枕元に置いて、スピーカーモードにする。

「……もしもーし。あ、出てくれた。ありがと」
 「ううん。ひさしぶりじゃん。元気してた?」
 「ぼちぼち、かな……」

山形に住む間沢栞とは、「コルチカムの会」のサマーキャンプで知り合った。
 もう十年近く前になるけど、何かと相性がよくて、今でもたまに連絡を取り合っている。

「なんかね、最近ほんとに転職したくてさ」
 「今って、どこで働いてるんだっけ?」
 「市役所。非常勤の障害者雇用。週4で時給制」
 「あー、言ってたね」

「人間関係が濃くてさ、ほんと逃げ場がないのよ。
 みんな悪い人じゃないんだけど、会話の輪から外れると、すぐ“あの子最近元気ないね”とか言われるし」
 「わかる、それ。距離感ないとこってきついよね」
 「職安にも行ったんだけどさ、“地方の障害者雇用は労働力過多ですからね”って言われて、もう笑うしかなかった」

笑ってるようで、声は乾いていた。

綾音は一瞬だけスマホを握り直してから、言った。

「こっち、マジで求人過多だよ? この前なんかさ、ア・ミューズもSherieも“トルソー急募”って回ってたし」
 「……ア・ミューズ?」
 「うん、下着のブランド」
 「……Sherieは?」
 「キャバドレス」

電話の向こうで、完全に沈黙。

「……それってさ、下着とか、キャバクラで着る服ってこと?」
 「う、うん。まあ、そういう系だけど……」

綾音の語尾が弱くなる。
 彼女にとっては“普通の案件”だったけれど、地方で暮らす栞には、その言葉がまるで異世界の話に聞こえたらしい。

「……無理だよ。そんなの、わたしには」
 「え? でもさ、栞ちゃん可愛いし、全然似合うと思うよ」
 「似合う似合わないじゃなくて……わたし、そういうの、人に見せられない」

綾音は、うまく返せなかった。
 無意識のうちに、自分の感覚を押しつけていたことに気づく。

「……まあ、親もいるしね」
 栞がぽつりと言った。
 「親、置いて行けないよ。ラ・フランスの収穫、手伝わなきゃだし」
 「ラ・フランスいいなあ。こっちだと、スーパーで2個入り700円とかだよ」
 「……」
 「え、なに?」
 「東京の子はいいよね」
 「ん?」
 「選択肢、いっぱいあるから」

綾音は、言葉を失った。

第3章 求人過多、労働力過多

通話が終わって、スマートフォンの画面が消えると、部屋の中がやけに静かになった。
 窓の外では、猫の鳴き声と、遠くの国道を走るトラックの低いエンジン音。
 世田谷の夜は、相変わらず穏やかだ。

綾音は義手を外し、ベッドの脇の充電台にそっと置いた。
 両肩から先は、また無音の空間に戻った。
 視線を落とすと、肌の上でネグリジェの布がふわりと沿っている。
 柔らかく、何も引っかからず、静止したままの布地——それが、仕事で“求められる身体”の条件だった。

「……わたしさ」

ひとり言のように声が出た。
 部屋には答える人もいない。けれど、それでも言葉にしないと、胸の中に何かが残りすぎてしまいそうだった。

「両腕がないってだけで、苦労してきたつもりだったけど……」

スマホを見つめる。
 通話履歴の一番上には「しおりちゃん」と表示されたまま。

「栞ちゃんに比べたら、全然……」

親は、実家にいるけど、何かを強いてくることはなかった。
 アパレルでトルソーをやりたいと言ったときも、むしろ背中を押してくれた。
 そして、最初からこの街に住んでいて、ブランドの面接も、家から電車で30分だった。

親ガチャにも、出生地ガチャにも、勝ってるね
 かつて、他のヴィーナス児の子にそう言われたことがある。

当時は、何が“ガチャ”なのか、いまいち分かっていなかった。
 でも、今日の栞ちゃんとの電話で、ようやく実感した。

求人票の選択肢も、交通費の感覚も、着ていい服の許容範囲も、
 全部、「ここ」だからこそ与えられてるものだった。

「人の気持ち……分かってあげられてないのかな、わたし」

その声は、自分に向けた問いだった。
 優しいつもりで言った言葉が、相手には残酷だったのかもしれない。
 “こっちは求人過多だよ”
 “下着とかキャバドレスとか、いくらでもあるよ”
 それを言う自分の言葉が、どれだけ異世界だったか、ようやく気づく。

ラ・フランスの収穫。
 親を置いていけないって言った栞ちゃんの声が、耳に残っている。

求人が“ない”ということ。
 出ることすら、夢にもできないということ。

綾音は、静かに毛布を引き上げた。
 両肩の滑らかな丸みが、ゆっくりと布に沈んでいった。

#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群
#家久綾音
#過多文芸部

いいなと思ったら応援しよう!