【小説・ヴィーナス症候群】(36)ボディ・ポジティブ
春の東京。
広い通りが歩行者天国になり、色とりどりの行進が列をなしていた。
音楽、ドラム、歓声、スローガン。
多様性を祝う都市型のパレード。性的マイノリティ、障害者、家族連れ、外国人、そして、ちょっと奇抜な格好をした誰か。
そのなかに、ひときわ目立つ集団がいた。
銀色のレオタードに白いブーツ。
肩から先が、誰ひとり、なかった。
彼女たちは「ヴィーナス児」と呼ばれていた。
原因不明のいわゆる「第2サリドマイド事件」で生まれつき両腕がなく生まれてきた女性たち。
その中に、紬の姿があった。
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戸頭紬は、フリーの「トルソーさん」だ。
ヴィーナス児に限られた職業で、被服試験やフィッティングのモデルを務める。視覚障害者とあん摩師の関係に似て、制度と文化に組み込まれた仕事でもある。
ファションブランド等の企業に属さず、地味な案件を一つずつ受けて生計を立てている紬が、今回のパレードに参加した理由は単純だった。
報酬が良かった。
銀のレオタードで、街中を歩く。
それだけでも十分に“非日常”だったが、受けてしまえば、もう戻れない。
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控室には、同じように両腕のない、銀色のレオタードを着た女性たちが静かに並んでいた。
皆が皆、「トルソーさん」だった。
そのなかに、見知った顔があった。
「紬さん、お久しぶりです」
黒髪のボブに自然な笑みを浮かべた女性――矢野恵麻。エマちゃん。
以前の水着撮影ではピンクのウィッグをかぶっていたが、今日は素顔のままだった。
「エマちゃんも参加なんだ」
「うん。ギャラ、よかったし。
こういうの、アリアナとかビヨンセだったら絶対出るでしょ?
ステージって、見せたもん勝ちだから」
紬は少し笑った。
彼女は歌手志望で、バイト感覚で何でもやるけれど、こういうときの言葉にはブレがない。
自分にはない強さだった。
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そのとき、控室の正面に、スーツ姿の男性が現れた。
団体名のネームプレートと「ディレクター」の肩書き。髪はきっちり撫でつけられ、歯がやけに白い。
彼は喉を軽く鳴らして、ゆっくりと話し始めた。
「皆さん、今日はお集まりいただき、本当にありがとうございます」
声に、よく通る自信があった。
そしてその下に、視線を泳がせないようにする努力のような、微妙な緊張がにじんでいた。
「今回のパレードは、これまでになく挑戦的な取り組みです。
『ボディ・ポジティブ』、すなわち“身体のあるがままを肯定する”という価値観。
これは単なるスローガンではなく、実存的で、政治的なムーブメントです」
誰も反応しないまま、演説は続いた。
「1970年代、アメリカのフェミニストたちは、身体をめぐる社会的規範に疑問を投げかけました。
“痩せていなければ美しくない” “完全でなければ価値がない”――そんな偏見に抗して、“あるがまま”という概念が生まれました」
(なにそれ……全然知らない)
(なんでアメリカの歴史?)
(レオタードの意味は?)
「義手を着けず、そのままの身体で街を歩く。この挑戦が、どれだけ強いメッセージになるか――我々は深く確信しています」
彼の目が衣装の光沢をなぞるように動いた。その意識の高さが、何かを隠そうとしているのが伝わった。
「今回の衣装。これは“可視化”のための表現です。
“銀”という色には、鏡のような役割があります。見る者が、見る自分自身を映す構造。
レオタードは、柔らかさと力強さ、脆さと誇りを同時に伝えられる素材――という考えのもとに選びました」
(それ絶対後づけでしょ)
(ぜったい「露出した女を見たい」だけでしょ)
(っていうか、早く終わってくれないかな)
「……本日は何卒、よろしくお願いいたします」
やっと一礼して、控室を出ていった。
「ま、バイトって、だいたいこういう温度差ありますよね」
恵麻のつぶやきに、紬は小さく笑った。
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午後三時、パレードが始まった。
銀のレオタードに身を包んだヴィーナス児たち――トルソーさんたちが、都心の通りを進んでいく。
音楽。歓声。スマホのシャッター音。
すべてが、彼女たちの「そのまま」に注がれていた。

沿道の反応はさまざまだった。
——大学生くらいの女性二人組。
「すごい…ほんとに両腕ないんだ」
「目の前で見るの、ちょっと……圧あるね」
——中年男性と連れの女性。
「子どもに見せたくないなぁ」
「でも、隠すことじゃないと思うよ。普通に歩いてるだけでしょ」
——若い母親。
「この子が大人になる頃には、こういう人も“普通”になってたらいいな」
「でも、“こういう人”って言い方、もう古いのかも」
——スーツの男性たち。
「仕事らしいけど、これって“見せる覚悟”ってやつだな」
「覚悟というか、商売っぽくない?」
「でも目、離せなかったよな……」
——高校生たち。
「かわいそうって思ったら失礼なんだよね?」
「腕ないの、やっぱちょっと怖かった」
「でも、スタイル良すぎない?映えてた」
——通りすがりの年配女性。
「昔もいたわね、こういう子たち。薬でね」
「今のは違うらしいよ。先天性だけど原因不明って」
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SNSにも次々と投稿が流れていった。
《#銀色の肯定 #ヴィーナス児 #トルソーさん》
《泣いたって人多いけど、私は直視できなかった》
《あの衣装に“誇り”はあるの?そこだけ気になる》
《たぶん私は、まだ見る覚悟がなかったんだと思う》
《でも、歩いてくれてありがとう。目を背けてたものを見た気がした》
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パレードは終点に差しかかり、列が自然にほどけていく。
控室に戻ると、スタッフがタオルを持って迎えてくれた。
紬の肩にも、そっと白いタオルがかけられる。
そのまま、深く息を吐いた。
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「お疲れさまでした」
恵麻が明るく言った。
汗でぺたっとなった髪を風が揺らしている。
「終わったね」
「うん。私は……ちょっとバズった気がする」
「そっか……私は、早くギャラ振り込まれないかなって」
恵麻が吹き出す。
「それ!めっちゃリアルなやつ!」
「意味とか感動とか、あとでいい。
今は、仕事が終わって、あとは振り込み待ち」
二人は顔を見合わせて、もう一度だけ静かに笑った。
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おわりに
観客のなかには、拍手を送る人もいれば、目をそらす人もいた。
スマホ越しに「すごい」と言う人もいれば、
小さく「こわい」と呟く人もいた。
誰かのための行進だったのかもしれない。
誰かの視線にさらされるだけだったのかもしれない。
でも、紬と恵麻は歩いた。
誰に求められたわけでもなく、どちらも“自分の理由”で。
それは、正しさでも、勇気でもない。
ただ、生き方のひとつとして、銀色の共鳴だった。
