【小説・ヴィーナス症候群】(40)トルソーは移動する
スクール水着。
またか、と弓張渚は思った。
今日の現場は、アパレルブランド「Confeito」。渚が呼ばれたのはこれが三度目だが、内容はいつも同じ。
「レトロ調スクール水着」の撮影だった。
人工のプールに白いパラソル、椰子の木、海外リゾート風のデッキチェア――背景は完璧に“非・学校”だった。にもかかわらず、モデルが着るのはいかにもなスクール水着。こんな風景、日本のどこの学校にもあるはずがない。
「……なんで背景だけ金かけるかな」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた。

弓張渚は、生まれつき両腕がない。女児一万人に一人の割合で生まれる先天性四肢欠損――通称「ヴィーナス症候群」の当事者だ。原因は分かっていないが、なぜか男性には発症例がない。
そして、この障害を持って生まれた女性の多くが就職先として選ぶのが、服や義手のフィッティングモデル、通称「トルソーさん」という職業だった。
渚もまたその一人。ただし企業には属さず、フリーで各地の現場を渡り歩いている。今日の撮影もそのひとつ。腕がないぶん、服のラインが素材のまま見える――それが売りだということは分かっている。
「はい、もう少し肩、右に」
指示されるのはあくまで体の傾きや肩の向き。腕がない渚には、手や肘を使ったポーズの指示は当然ない。
撮影は淡々と進み、何着かの水着を着て撮り終えたころには、午後の光がスタジオに差し込んでいた。控室で着替えを済ませ、スマホを確認すると、今日のギャラの振込通知が来ていた。
「……あれ?」
交通費が、どう見ても足りない。往復の電車代すら出ていない気がする。
廊下で見かけた総務課の女性に声をかけた。
「すみません、交通費なんですけど……」
「あっ、ごめんなさい。確認するので、少し待っててください」
控室に戻る途中、渚は営業担当の男性を見つけた。名刺で「直藤(ちょくどう)」という珍しい名前だったのを思い出す。
「直藤さん、ちょっといいですか?」
「はい、お疲れさまです。どうかしました?」
渚は率直に尋ねた。フリーだからこそ、聞きたいことは遠慮せずに聞く。
「このスクール水着の仕事……トルソーの中じゃ評判悪いですよ。今どき、あんなの着たい子や、着せたい親って本当にいるんですか?」
直藤は、渋い顔をして首をかしげた。
「まあ、着るのは子供で、買うのは親だけど、買わせてるのは教育委員会ですからね。我々が営業をかけるのも、そういうところ」
「……教育委員会?」
「ええ、教育委員会の偉い人って、大抵男性でしょ。まあ、そういうことです」
「え〜……」
思わず声が漏れた。大学の頃、教育学部の友達が「小学校課程に来る男の中には、ちょっと変なモチベーションの奴がいる」って言っていたのを思い出す。
(じゃあ私たち、そういうロリコン教師の手伝いしてるってこと?)
なんだか気持ち悪くなった。でも、それ以上を考えるのが面倒だった。
「……給料さえちゃんともらえれば、いいんだけどさ」
しばらくして、総務の女性が現れ、現金で交通費の差額を手渡してくれた。
「打ち間違いだったみたいです。すみません」
「いえ、助かります」
「お疲れさまでした」
その言葉で、現場は終わった。駅へ向かいながら、渚はスマホのスケジュールアプリを開く。
《明日:サイセイ義肢・見学対応》
「……サイセイか」
頭の片隅に、冷蔵庫の卵がもうなかったことを思い出す。駅前のスーパーで卵と牛乳を買って帰った。
***
翌日。
サイセイ義肢の工場は、昨日のアパレルスタジオとはまるで違った。
金属の匂い。機械音。作業着を着た技術職たちの無言の視線。
ここは、ヴィーナス症候群が社会的に注目されたことで急成長を遂げた日本義肢業界の中でも、最も有名なメーカーだ。見学ルートは整備され、海外からの視察者も多く、その案内役にトルソーさんが駆り出されるのも珍しくない。
渚の担当は、義手の着用例を見せながら順路を案内する役目だった。特に派手な演出はない。ただ、決められたルートを歩き、見せるべきものを見せるだけ。
作業を終え、社員食堂に入ると、割出結菜(わりだし ゆいな)が手を振った。
「お疲れ〜。渚ちゃんも今日ここ?」
「うん。久しぶりだね」
「最近、外人の視察が増えてぇー、会社から“英語くらい話せ”って言われてぇ。今、英会話教室通ってんの〜。会社のお金で」
「いいな〜。英語覚えたら、シンガポールとか行ってみたいなぁ」
「行ける行ける〜。出張とかあるし、向こうの義肢メーカーに呼ばれて行ってる子もいるよ」
食事を取りながら、渚は昨日のことをふと思い出して口にした。
「昨日ね、スクール水着の撮影だったんだけど、“あれ、買わせてるの教育委員会の男たち”って言われてさ……。なんか、気持ち悪くなってきちゃって」
「えぐっ」
結菜は目を見開いた。
「でしょ? 結局あれって、欲しい子どもがいるからじゃなくて、“そういう人たち”の事情で作られてるんだなって思うと、なんかもう」
「どこ行っても決定権握ってるのはオッサンどもでぇー、うちらトルソーは、それに従うだけ」
渚はちょっと笑って、言った。
「……まさに、自分で移動してくれるトルソーってわけね」
「それ言うと悲しくなるやつぅ〜」
ふたりで苦笑いを浮かべながら、食堂の味噌汁をすすった。明日も、どこかの現場で、また「お疲れさまでした」と言われる。
そうして、トルソーは今日も移動する。
