Vol.45 遺伝子は変わらないのに、なぜ生活習慣で発症率が変わるのか。ーー同じ遺伝子でも違う未来を生きられる、エピジェネティクスの話。
生活習慣で病気のなりやすさが変わるのは、遺伝子の「使われ方」が変わるからです。
Vol.8 Vol.8 「遺伝だから仕方ない」でも「家族にいないから大丈夫」でもない。|ドクターO とVol.10 Vol.10 遺伝的に高リスクでも、生活習慣で運命は変えられる。|ドクターO で「遺伝的素因と生活習慣」の話を書きました。「家族歴と遺伝的リスクは違う」「遺伝的高リスクでも生活習慣でリスクは下げられる」——これらの結論は、Khera AVら(NEJM 2016)の心疾患研究やHan Xら(J Clin Endocrinol Metab 2020)の糖尿病研究で繰り返し示されてきた通りです。
しかし、ここで素朴な疑問が湧きます。なぜ生活習慣が遺伝的リスクを「打ち消せる」のか。DNA配列は生まれてから死ぬまで原則変わらないはずなのに、なぜ生活習慣で発症率が変わるのか。今回はその答えとなる「エピジェネティクス」の話をします。いつもよりちょっと難しい話になることをご了承ください。
DNAは設計図です。しかし設計図があっても、それをどう「使うか」で結果は変わります。同じレシピ本を持っていても、料理人によって出来上がる料理が違うのと同じです。エピジェネティクスとは、この「DNAの使い方」を制御する仕組みのこと。具体的には、DNAメチル化やヒストン修飾などによって遺伝子の発現(オン/オフ)が調節されます。
これを最も劇的に示したのが、一卵性双生児の研究です。一卵性双生児は、基本的に全く同じ遺伝子を持っています。Fragaら(PNAS 2005)の80組の一卵性双生児を対象とした研究では、若い双子はエピジェネティックパターンがほぼ同じだったのに対し、50歳前後の双子ではメチル化や染色体修飾が大きく異なっていました。同じ遺伝子を持って生まれても、人生で経験する環境・生活習慣の違いが、遺伝子の使い方を変えていくのです。
具体例として、最も研究が進んでいるのが喫煙によるエピジェネティック変化です。AHRR遺伝子のcg05575921という部位のDNAメチル化レベルは、現在喫煙者では非喫煙者と比べて顕著に低下することが、複数の大規模研究で繰り返し示されています(Zeilinger Sら, PLoS One 2013、Gao Xら, Clin Epigenetics 2015ほか)。重要なのは、禁煙するとこのメチル化が時間とともに回復に向かうこと。「禁煙すれば体は回復する」という直感的な事実が、エピジェネティック・レベルでも観察できます。
つまりエピジェネティクスは、私たちが日々していること——食事・運動・喫煙・飲酒・睡眠・ストレス管理——が、遺伝子の使い方を通じて、体に「読み取り可能な記録」として残っていく仕組みなのです。
ここから2つの重要な含意があります。
一つ目。生活習慣の効果は「数値が下がる」だけでなく、もっと深いレベルで体に刻まれている。健診の数値(血圧・血糖・脂質)が良くなることは表層的な変化ですが、その裏で遺伝子発現のパターン自体が変化している可能性があります。
二つ目。エピジェネティック変化は可逆的。DNA配列の変異と違って、メチル化パターンは生活習慣の改善で元に戻りうる。これは「今からでも遅くない」というメッセージのエビデンス的な裏付けにもなります。
念のため断っておくと、エピジェネティクスは「遺伝はあてにならない」という話ではありません。Vol.8 Vol.8 「遺伝だから仕方ない」でも「家族にいないから大丈夫」でもない。|ドクターO で書いた通り、ハンチントン病のような単一遺伝子疾患は遺伝が決定的です。多くの慢性疾患も、遺伝的素因(DNA配列レベル)はベースとして存在します。エピジェネティクスは、その上に乗る「生活習慣の効果のメカニズム」を説明する話です。
「遺伝だから仕方ない」でも「遺伝は関係ない」でもなく、遺伝という土台の上で、自分が日々どう過ごすかが、文字通り遺伝子の使い方を変えていく——これが現代の予防医学が見せてくれている世界です。Vol.10 Vol.10 遺伝的に高リスクでも、生活習慣で運命は変えられる。|ドクターO で書いた「矢印は自分に」というメッセージの分子レベルの根拠が、ここにあります。
出典:
Fraga MF, et al. “Epigenetic differences arise during the lifetime of monozygotic twins.” Proc Natl Acad Sci USA. 2005;102(30):10604-10609.
Zeilinger S, et al. “Tobacco smoking leads to extensive genome-wide changes in DNA methylation.” PLoS One. 2013;8(5):e63812.
Gao X, Jia M, Zhang Y, Breitling LP, Brenner H. “DNA methylation changes of whole blood cells in response to active smoking exposure in adults: a systematic review of DNA methylation studies.” Clin Epigenetics. 2015;7:113.
Khera AV, et al. “Genetic Risk, Adherence to a Healthy Lifestyle, and Coronary Disease.” N Engl J Med. 2016;375:2349-2358.
*noteの記事の内容は筆者の個人としての見解です。筆者所属の医療機関の見解とは一切関係ありません。内容の正確性には細心の注意を払っておりますが、万が一不適切な内容がございましたらご指摘いただけましたら幸いです。
いいなと思ったら応援しよう!
公益性も考え、私のnoteでの記事は、一部を除いて無料公開しております。
活動の原資は皆様からのご厚意・サポートとなりますので、応援しても良いよ、とお感じになられた方はよろしければサポートをお願いいたします!!