見出し画像

義母と私。|パート2:子供ができたことを、最初に電話した人。|家族の部屋

誰に、最初に伝えたいか

妊娠がわかったのは、自転車旅行の途中でした。

夫にはすぐに伝えました。


でも、家族への報告はどうするか、二人で話し合いました。

初めての検診で、病院から流産の確率が30%以上あると言われていたこともあって、最初は3ヶ月まで待とう、NIPTテストが終わって安定期に入ってから外部に伝えよう、という方針でいた。

でも初めての妊娠で、不安でいっぱいだった。

信頼できる家族の誰かには早めに伝えたい、と私から夫に言いました。

夫は「誰に言いたい?」と聞いてくれた。

少し考えて、口から出てきたのは、なぜか、義母の名前でした。

実家の母より先に、夫の母に伝えたいと思った。

当時、私と実家の母のあいだには、まだうまく消化できていない溝があった。

だからというのあったけれど、それ以上に、あのベトナムでの3週間で築いた何かが、私の中でそうさせたんだと思っています。


「心配することより、今を楽しみなさい」

ビデオ電話をすると、義母はまず思いっきり涙を流しながら喜んでくれた。

そして、私が流産の確率のことを少し漏らすと、満面の笑みが声から伝わってくるような温かさで、こう言いました。

「心配しなくていい。心配事は子供が生まれてからもずっと続くんだから。私だってもう何十年もずっと心配し続けてる。多分死ぬまで息子たちのことは心配し続けるけれど、心配することより、今できることと、今楽しむべきことをもっと楽しみなさい。起こるべきことは起こるようになるから、どういう結果になっても自分を責めたり不安に思ったりしないで。今のこの妊娠期間、この時にしかできないものを楽しんで。」

その言葉を聞きながら、自分の母のことを思いました。

お母さんも、私と兄のことをずっと心配し続けてきた。それがお母さんという存在なんだと、この時初めてリアルに感じた瞬間でした。

もうすぐ40代にさしかかろうとしている息子のことを、今でも心配し続けているこの人が言う言葉だから、届いた。


去年の夏、初めて「まかせられる人」に出会った

息子が生まれて、初めてフランスへ渡航したのは去年の夏でした。

新婚で、新米ママで。その高揚感と必死さで毎日をのりきっていた頃です。

義父の余命宣告もあって、家族全体が大変な時期と重なっていました。夫の心はそちらに向いていて、私は私で、慣れない育児と新しい環境への適応でいっぱいいっぱいだった。

そんな中で、義母の存在が心のよりどころになりました。

子どもが生まれて初めて、まるごと任せられる人に出会った、という感覚でした。

友達やナニーさんとは全然違う。

純粋に、愛だけをベースに接してくれる存在。
そこには利害もなにもなくて。

何よりうれしかったのは、任せることを、心から楽しんでくれていたことです。

「明日何かしたいなら、いつでも言ってね」と毎晩言ってくれた。

滞在中はスケジュールをまるっとあけてくれていて。

助けてもらうことへの遠慮が強かった去年の私は、その言葉をうまく受け取れなかった部分もあります。

でも近くに身内がいるという安心感だけで、だいぶ救われた。


去年の夏、一番楽しかった時間

夫日記にも書いたけれど、去年も義母とフランス滞在中にパリを離れてプロバンスへ小旅行をしました。

自宅にいる時とは違って、みんなどこか開放的になる。

去年一番楽しかったのは、きっとそういう旅先で、義母と夫と、息子と夕方からアペロして夕食するまでの、なんでもない時間だったと思います。

何をしたとか、何を食べたかじゃなくて。

ただそこに一緒にいた、という幸せな感覚しか残っていない。

そしてその時間が、私に教えてくれたことがあります。

幸せって、作るものじゃなくて、気づくものなんだということ。誰かと同じ時間を過ごすだけで、それが十分すぎるくらいの幸せになる。


産後鬱を、一番最初に気づいたのも義母だった

去年の夏と、今年の夏。同じ場所で、まったく違う私がいました。

去年は、何とか回っていたけれど、今思えば、すでに産後鬱の入り口にいた頃でした。

今年、フランスについてすぐ、私の変化に一番最初に気づいたのは義母でした。

体重が激減していたことも、顔色も、雰囲気も。誰よりも先に、何かを感じ取っていたようでした。

「今回のフランスでは、好きなものをいっぱい食べてもらわなきゃ。」

着いた初日に、そう言われました。


毎朝、パンオショコラが置いてあった

夫から前もって言われていたことがあります。

「お母さんは、一度これが好きと言うと、永遠にそれをたくさん買ってくるから気をつけなよ(笑)」と。

本当にそうでした。

滞在中、毎朝、焼きたてのバゲットと一緒に、私が好きだと言ったパンオショコラが、私の分だけ欠かさず置いてありました。

朝イチで、私が目覚める前に、近くのパン屋さんに買いにいってくれて。

食べない日があっても、何も言わない。でも翌朝もまた、そっと焼きたてのやつが置いてある。

しょっぱいものが食べたい気分の日は、生ハムやスモークサーモンを冷蔵庫から取り出して食べていたら、それも気づいていたようで。

朝の気分で好きなものが選べるように、どちらもいつも揃えてくれるようになっていた。

初めて会った時に私が好きだと言ったペパーミントティーも、フランスについたら台所にそっと2箱置いてありました。彼女は苦手で飲まないのに。

よく考えるとうちの母親もそうだなって。

何が好きかわからないなりに、帰国して冷凍庫をあけると、遠い昔に一度好きだと言ったアイスクリームを買いためておいてくれる。

母親って、そういうものなのかもしれない。


送り出す側の気持ちを、初めて知った

帰国の朝。

義母は、泣く姿を見せたくないからと、ドアのところでお別れをしました。

でも外でタクシーを待っているあいだ、窓からそっとこちらを覗いていました。

私たちがタクシーに乗り込むまで、ずっと。

その姿を見た時、胸が詰まりました。

今まで私はずっと、送り出される側でした。

いつか息子が、こうやって遠くへ出かけていく日が来る。その時、私もきっとこんな気持ちになるんだと思ったら、じわっと目の奥が熱くなりました。

ベトナムに帰国してから、用があるわけでもないのに、無性に大阪の実家の母に電話したくなって、電話しました。

義母の姿が、きっかけになっていたと思います。


義母との時間が、実母との関係を変えた

義母と時間を積み重ねていく中で、気づいたことがあります。

私と実家の母との関係が、ぐっとよい方向に変わっていきました。

お手本が、目の前にあったからだと思っています。

尊重するということ。押しつけないということ。でも、必要な時にそこにいるということ。

そのすべてを、義母を見ながら少しずつ学んでいた。

夫がかつてこんなことを言いました。

「お母さんはもうすぐ80歳にさしかかるし、自分よりずっと長い人生を生きてきた人の生き方や考え方を変えるつもりはない。僕ができるのは、愛することだけだ。」

今は、その言葉の意味が、自分の実家の母に対しても、そのままあてはまる気がしています。

変えようとするんじゃなくて、愛する。それだけでいい。

育ててくれた親だから。

そして自分が親になったいま、

親にも親で人生色々あって。

それでも、こうして愛で接してくれる。

そう思えるようになったのは、義母との時間があったからです。


▼ 次回、パート3に続きます。 義母と私。|パート3:繊細な人が、見知らぬ人に注意できる理由。

▼ パート1はこちら 義母と私。|パート1:ベトナムで出会った日のこと。

▼ 義父の話はこちら 余命数ヶ月から1年。義父は今朝も走りに出かけた。

▼ まなラボとは 産後鬱で離婚寸前だった私が、ダナンの朝に決めたこと。



いいなと思ったら応援しよう!

まなラボ | 何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。 もし気が向いたら、チップでそっと応援してもらえたらうれしいです。 いただいたチップは、書く時間と心の余白に使わせていただきます。

この記事が参加している募集