一生ボロアパートでよかった【38】
あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。
↓前話
↓本編
「大丈夫」と言って傷を隠すことは、一時的な見栄張りには有効です。でも一方で、それは長期的には膿を蓄えることにもなると知っていなければなりません。私が作った傷は膿まずにかさぶたになりましたが、父は見えない傷に膿を蓄えていったようでした。
あれから父は、私には気づけない速度で、徐々におかしくなっていきました。
母が蒸発した後も、父はしばらく仕事には行っていたのです。もちろん、全てが今まで通りというわけではありませんでした。父が帰宅する時間は以前よりも遅くなったし、休日もどこかへ出かけるようになりました。きっと母の捜索を続けていたのだと思います。私は母の捜索はしませんでしたが、節約のためにお米の炊き方を覚えて、食事代を浮かせるように努力しました。真っ白いお米が私の好物だと思い込めるほどに、毎日お米を炊いて食べていました。おにぎりにすると、冷めても美味しく食べることができました。私は相変わらず不登校でしたが、それでも、2人でどうにかあの窮状に堪えようとしていました。
しかし、そこに追い討ちをかける出来事がありました。母が蒸発して2ヶ月ほど経った頃のことでした。私は定期的に投函される学校のプリントを確認すべく、自宅のポストを覗きました。チラシや学校のプリントと一緒に、白い封筒が投函されていました。それには宛名がなく、封もされていませんでした。私はその封筒を不思議に思って、中身を取り出しました。封筒の中には、離婚届が入っていました。母の名前が、母の筆跡で、書かれていました。
今思えば、私がその封筒を見つけた後に、隠すか捨てるかすればよかったのです。でも、当時の私はそうしませんでした。この両親にとって離婚することは良いことだと思うようになっていたからです。千切れて舞い散った海苔は、もう白いおにぎりに巻くことはできないのです。それに、その時の私はもう、お米だけの真っ白いおにぎりでも十分美味しいと感じはじめていました。
しかし、父にとってはそうではありませんでした。父に離婚届を見せた時、明らかに顔色が変わったのがわかりました。父は何も言葉にはしませんでした。しばらくそれを眺めてから、そっと折りたたみ、わずかに震える手で机の上に置きました。父はダイニングテーブルの椅子に静かに座り込み、しばらく呆然としていました。
残念なことに、私はその時、冗談と誤魔化すための口の達者さを持ち合わせておらず、慰めの言葉をかける勇気さえも持ち合わせていませんでした。父が項垂れるようにゆっくりと降参の姿勢になってから、どうやら私は間違いを犯したらしいという実感が湧きました。そして、後になって理解しました。たぶんあの瞬間、父の中にあった重りのようなものが崩れて砂になって、嵐に吹かれて飛んでいったのだと思います。私にもその経験がありました。
それから父は仕事を休むようになりました。朝から晩まで家にいて、お酒を飲んでいました。一日中お酒を飲むようになってしばらくすると、父は少し元気になりました。酔っ払いながらテレビを見て、「ほんとこれしょーもねーな」と言って薄く笑っていました。私はその様子を見て、安心したのをよく覚えています。
私も、お酒の量が増えたことは心配していました。私は父に何回か、飲み過ぎじゃないかと注意しました。父は決まって「大丈夫、自分が飲める量はよくわかっているから」と答えました。酒が強いという自負を持っていた父は昔から、「俺は酒には簡単に呑まれない」ともよく語っていました。私はその"自称酒豪説"を信じていました。
私は父に、仕事に行けとは言いませんでした。不登校である私が言っていいセリフだとは思わなかったからです。なにより、不登校の私自身が、そんなことをわざわざ人から言われたくないし、言われなくてもわかっていると思っていました。それに父は、私に今まで学校に行けとは言わなかったのです。それに救われていた私は、とてもじゃないけど父に仕事に行けなんて言えませんでした。
ただ、お金の心配はありました。父が働かなくなってから一度、私は父にお金の心配を口にしたことがありました。その時も父は「大丈夫」と言って片付けました。「まだ貯金がある」とか「クビになったわけじゃない、休んでるだけだから」と言っていました。私は父の言葉を信じるしかありませんでした。私自身も不登校だけど、退学になったわけではないし休んでるだけだったので、父の理論に自分自身を重ねました。私達はよく似た親子だから仕方ないと思いました。お金がどうにかなってるうちは、お金のことは父に任せようと思いました。
父は、お酒と一緒に私にも菓子パンを買ってきてくれました。私はお米を炊くのがすっかり習慣になったので、それをもったいないと思うようになりました。なにより菓子パンには飽き飽きしていました。私が何度か「お米があるから、もうそんなの買ってこなくていいよ」と言うと、父は菓子パンを買ってこなくなりました。ただおかずは欲しかったので「ご飯は自分でなんとかするから、お金ちょうだい」と酔っている父に言いました。父は気前よく一万円をくれました。私はそのお金で、ご飯のおかずにお茶漬け海苔やご飯ですよを買いました。それが一番簡単で、節約になると思いました。これは父と家計のためでもありました。しかし、私のその思いやりは、その後父との会話を激減させることになりました。
つづく
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