一生ボロアパートでよかった【43】
あらすじ:新築の白い家を買った時、家族は幸せを手に入れたと思っていた。同時に、これからもその幸せが続くと確信していた。しかしその後、家族はそうはならなかった。白い家はゴミ屋敷に変貌し、父はアルコール依存症になり、母は蒸発した。そして少女は…。その過程を振り返る中で見つけた、少女にとっての本当の幸せの形とは?
これは、メンタルヘルスリテラシーの啓発を目的とした小説。
↓前話↓
【前話要約】元親友・アオイちゃんの来訪の末、ユイは学校へ行く決断をする。アオイちゃんに手を引かれて、ついにユイは学校へ向かう。
↓本編
アオイちゃんに手を引かれて登校する道すがら、何人か他の生徒を見かけました。私の心臓は正直で、他の生徒を見かけるたびドキリと脈打ちました。校門の前まで来ると尚更でした。足取りが重くなると、アオイちゃんに力強く手を握られて勇気付けられました。私達は足早に校門を越えました。私は周囲の視線が怖くて顔を伏せていました。しかし、朝練をする運動部の声や吹奏楽部の演奏の音が聞こえてくると私はハッとして、アオイちゃんの元気よく跳ねるポニーテールを見上げました。
「アオイちゃん、吹奏楽部の音がする」
「ああ、うん、そうだね」
「もしかして、私のせいで朝練、休んだの」
「ううん、いいの、今日は自主練の日だから」
アオイちゃんが私のために部活の朝練を休んだことは明白でした。他の部員が朝練に励んでいるのに、部長のアオイちゃんが行かないなんてことはありえないことでした。私は罪悪感が背中にのしかかるのを感じると、自然と猫背になって足元に視線を落としました。
玄関に到着すると、アオイちゃんは靴を脱いで下駄箱に仕舞い、「ほら、早く早く」と私に靴を脱ぐよう急かしました。それでも視線を上げない私にため息をついたアオイちゃんは、呆れた様子で声を上げました。
「もう!人の心配なんてしてないで、まずは自分の心配!はい、靴片付けて!」
アオイちゃんは私の背中を払うように2度叩くと、私の靴を取り上げて下駄箱に仕舞い、再び私の手をとり歩き出しました。手厳しい言葉のアオイちゃんとは裏腹に、元気に揺れ動くポニーテールは、私に「大丈夫、大丈夫、気にしないで」と言っているように見えました。そのポニーテールの揺れが止まったのは、保健室の前でした。
アオイちゃんはくるりと振り返り、私の目を見て両の手を握り直しました。
「私ができるのは、ここまでだから」
「………うん」
「勉強の方法はいくらでもある。別に教室に行かなきゃいけないわけじゃない。まずは勉強する環境に身を置くことが大切だと思う。私は、学校に来ることが正解だとも思ってないけど、でも、ユイちゃんはあの家で勉強に集中できないでしょ」
「………うん」
「だから、明日も迎えに行く」
「うん………でも、アオイちゃん、朝練は」
「まずは自分の心配って、言ったでしょ」
「………うん」
「私は放課後部活頑張るからいいの、だから帰りは1人で帰ってね」
「………うん」
「明日も朝家に着いたら呼び鈴鳴らすから」
「………うん」
「………ねえ、最後に一回、腕見せて、右の」
「え」
離れると思ったアオイちゃんの手が、離れ切る前に私の指先をちょこんと指先だけで捕まえました。今日ここに至るまでのアオイちゃんの勢いに反してあまりに弱々しく言うので、私は密かに面をくらいました。
アオイちゃんが遠慮気味に私のセーラー服の袖をまくるのを、私は抵抗せずに見ていました。この時、私はまだアオイちゃんの意図が読めていませんでした。肘まで袖が捲られると、2ヶ月前に負った傷が現れました。母が蒸発した時に父と格闘した際にできた傷でした。痒くて引っ掻いて剥がれるを繰り返していたので、一部はまだかさぶたでした。
「着替える時に見えたんだ。……ねぇ、この傷、どうしたの」
私は言葉が出ませんでした。何か良くないことを疑われているのはすぐにわかりました。迂闊に答えてはいけないと思いました。しかし視線が泳ぐことで、私の動揺はしっかり表現されていたと思います。アオイちゃんはじっと傷を見つめて私の答えを待っていました。
「さっきも言ったけど、別に私に全部を言う必要はないよ。………でも、誰にも何も言わないで助けてもらえるほど、この世界は優しくはないんだと思う。助けて欲しいときは、ちゃんと誰かに言わないと、助けてもらえないよ」
パンッッッ
突然、アオイちゃんは私の傷を思い切り引っ叩きました。
予期せぬアオイちゃんの行動に、私は目を見開きました。瞬時に「痛い」という感覚と、いったい何がアオイちゃんを怒らせてしまったのかという戸惑いが矢継ぎ早に心の中に生まれました。私は動揺を隠せずに「い、痛い…」と独りごち、反対の手のひらで傷を守るように覆いました。
アオイちゃんはもう追及はしないと言わんばかりに身体の向きを変え、保健室のドアを思い切り開け放ちました。それから始業式の日と同じように「せんせーっ」といい加減に保健室の中に声を投げ込みました。
すぐに奥からホノカ先生が現れました。
「はーい!……あ、ああ!金井さん!久しぶりね!」
相変わらず女神のようなホノカ先生は、安心感のある笑顔を私に向けてくれました。しかし、私は始業式の日のホノカ先生との「また明日」を反故にしていたので、後ろめたい気持ちになりました。私はアオイちゃんのポニーテールに目線を逸らし、軽く会釈をしました。
「先生、この子ずっと不登校で、今日からまた登校するんですけど。別に保健室に登校してもいいんですよね。保健室でも出席扱いに出来るって、坂井先生には言質はとってます」
「え、えっ、うん、とりあえず、そうね」
「あと、この子の傷、見てもらえますか、この赤くなってる傷」
赤くなってるのは、つい先ほどアオイちゃんが思い切り引っ叩いたからでした。傷跡こそしっかり残っているものの、かさぶた以外、傷は綺麗な状態でした。私はそこで悟りました。アオイちゃんが傷を思い切り引っ叩いたのは、先生に見せるためだったのだと。
「どうやって出来た傷なのかは私にはわからないですけど。ともかく、悪くなってないか見てください」
「え、ええ。赤くなってるんじゃ、化膿してるかもしれないね、見てみようか」
「じゃ、そろそろ朝礼になるので、私はこれで」
アオイちゃんは私を一瞥すると、踵を返し保健室を出て行きました。保健室の扉が閉まる直前、アオイちゃんのポニーテールが左右にめいいっぱい揺れるのが見えました。まるで、「また明日」と手を振っているようだと思いました。
つづく
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