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一生ボロアパートでよかった【44】

あらすじ:新築の白い家を買った時、家族は幸せを手に入れたと思っていた。同時に、これからもその幸せが続くと確信していた。しかしその後、家族はそうはならなかった。白い家はゴミ屋敷に変貌し、父はアルコール依存症になり、母は蒸発した。そして少女は…。その過程を振り返る中で見つけた、少女にとっての本当の幸せの形とは?
これは、メンタルヘルスリテラシーの啓発を目的とした小説。

↓前話↓

【前話要約】不登校だったユイは、元親友アオイちゃんに手を引かれて数ヶ月ぶりに学校へ向かう。途中2ヶ月前に負った傷についてアオイちゃんに問われるが、ユイは答えられないでいた。するとアオイちゃんに傷を思い切り引っ叩かれ、『助けて欲しいときは、ちゃんと誰かに言わないと、助けてもらえないよ』と忠告をされる。その後保健室に誘導されたユイは、養護教諭のホノカ先生に再会する。

↓本編


【44話】 告白の機会チャンス


「橋本さん、よね、あの子」

 アオイちゃんが保健室を去った後、ホノカ先生は私に顔を向けて、そう質問してきました。

「橋本さんとは仲良いの?」

 私は答えることができませんでした。なぜなら、その日一緒に登校するに至れど、決してアオイちゃんと仲が良いと言える関係ではなかったからです。その日も始業式の日も、ただアオイちゃんが菩薩のように私に救いの手を差し伸べてくれたのでした。私がアオイちゃんを友達と呼ぶには、あまりにも分不相応な気がしました。返答に困った私は俯き、ホノカ先生の足元に視線を向けました。ホノカ先生はこの日も始業式の日と同じく、オシャレな黒のローヒールを履いていました。

「きっと、橋本さんは金井さんのことを心配して、ここに連れてきてくれたのよね」

 何も話さない私からどうやって推測したのか、ホノカ先生はおよそ正解に近い答えを導き出しました。そうでしょと言わんばかりに、ホノカ先生は私の顔を覗くように首を傾げました。くりっと丸い好奇心旺盛そうなホノカ先生の目が私の視界に入りました。私は気まずさを覚えながらも、ホノカ先生と目を合わせました。

「あの子、たまにちょっと怖い雰囲気出すけど、………うん、イイ子よね」

 続くホノカ先生の言葉は、くじを迷いながらも思い切って引き抜いたかのような褒め言葉でした。私が小さく頷いて返事をすると、ホノカ先生はホッと息を吐き、私に微笑みました。

「そうよね、うん、良い子よね、金井さんにとっても」

 私の返答に、ホノカ先生はなぜか安心したかのような様子でした。一方私は、相変わらず身の置き所がわからず、体を硬くして立っていました。ホノカ先生は黒いクッションの丸椅子を私の前に差し出し、座るよう促しました。

「ほら、ここ座って。背もたれがなくて不便よね。後で机と椅子も持ってこようかしら。そうだ、坂井先生にも金井さんが来たこと、私から伝えておくね」

 私が丸椅子に座ると、ホノカ先生は「まずは傷を見ようか」と言いました。私は咄嗟に傷痕を左手で覆って隠し、「いや、大丈夫です」と答えました。

「あら、痛いことはしないわよ、まずは見るだけ。ね、一回見せてみて」

 ホノカ先生に両手を優しく包まれると、私は地味で無駄な抵抗をやめました。ホノカ先生の手が添えられたまま、ゆっくりと傷痕を隠す左手が外されました。傷痕をじっと見つめられると、さらに居心地が悪くなりました。私の背骨は降参の姿勢になりたがって、自然と丸まっていきました。

「んんーー?そんなに赤くないかな、さっきは赤く見えたけど」

 ホノカ先生の言葉に私は内心、そりゃそうだ、と思いました。アオイちゃんが傷痕を引っ叩いた後の赤みは、そう長くは残りませんでした。叩かれた時の痛みも、もう無くなっていました。

「ちょっとかさぶたが残ってるだけで、傷は綺麗ね。化膿もしてなさそう。治りかけだし、大丈夫そうね」

 だから大丈夫って言ったのに、と私は思いました。なにせ、この傷を負ってからもう2ヶ月が経っていました。

「それにしても、この傷、どうしたの?結構深かったでしょ」

 ホノカ先生にそう質問をされると、私の足元で保健室ここに至るまでの地獄が広がるようにして思い起こされました。私はその足元の地獄を見下ろして、じんわりと嫌な汗が流れました。それからふと、アオイちゃんの言葉が思い出されました。

『助けて欲しいときは、ちゃんと誰かに言わないと、助けてもらえないよ』

『どうやって出来た傷なのかは私にはわからないですけど。ともかく、悪くなってないか見てください』

 そこで私は悟りました。アオイちゃんが私の傷を思い切り引っ叩いた理由の最後の着地点はここだったのです。アオイちゃんは、ホノカ先生に傷の治りを見せるために引っ叩いたわけではありませんでした。たぶん、傷ができた経緯を私がホノカ先生に言えるように取り計らったのでした。

「一応聞いておくけど、自分で傷つけたわけじゃない?」

「ちっ、違います」

「誰かに傷つけられた?」

「………ち、違います」

 「そう」と言ったホノカ先生は、真偽を確信できないような様子でした。私もこの返答では誰も納得しないことは理解できました。でも、あまりに急な展開に、私は決心することができなかったのです。アオイちゃんが取り計らってくれたせっかくの機会でも、他人にあの家の惨状を打ち明けるのはとても勇気が要りました。いや、勇気なんて生ヤサシイ言葉では正しい表現になりません。当時の私にとって、他人に我が家の惨状を打ち明けるということは、白昼人前で自らの首にナイフを当てがい助けを求めるような、そんな決死の覚悟が必要でした。例えそんな決死の覚悟を決めても、無視されたり、冗談やめてよと笑われたりして、まともに取り合ってもらえないのではないかという恐怖もありました。そんな恐怖に打ち勝って助けを求めるなんてことは、当時まだ子どもだった私には不可能でした。

 そして最後に足元の地獄に見たのは、2ヶ月前に傷を負ったあの日の父の姿でした。警察に電話で相談しようとした父を私が無理矢理止めて、父は結局電話を切ったのです。父が電話を切る前にぽつりと言った「大丈夫です、間違えました」は、私の耳の鼓膜にしぶとくこびりついていました。あの日の父の背中を思い浮かべると、今の私の猫背と重なる気がして、私は歪な笑みを口元に浮かべました。

「大丈夫です、間違えて……傷がついただけなんで」

 結局、私は家のことを告白することはできませんでした。あの日警察に助けを求めようとした父を止めた私に、先生へ助けを求める資格があるのか。それだけは瞬時に答えが出ました。

「まあ、また何かあったら言ってね。いつでも聞くから。ちょっと私、一度職員室に行ってくるね」

 ホノカ先生は机の上の書類と筆記用具を手に持ちました。ホノカ先生の視線が私から外されると、ホノカ先生にも嫌われただろうかと一瞬怖くなりました。でもホノカ先生が頭をポンポンと優しく撫でてきたので、少し肩の力が抜けました。

「ずっと座って待ってるのも辛いかしら?ベッドで寝てる?」

 ホノカ先生がそう私に聞いた瞬間、ガラッと大きな音を立てて保健室の扉が開け放たれました。

 扉の前に立っていたのは、坂ティーでした。



つづく


↓1話からまとめたマガジンです☺️

↓1話読切の短編小説も書いてます🤗

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