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①日本語とタイ語でダブルリミテッドになりかけた話 -小学校編-


はじめに 自己紹介と「ダブルリミテッド」との出会い

私は日本とタイのハーフです。
母はタイ人、父は日本人。タイで生まれ、幼い頃は日本とタイを行き来しながら育ちました。そんな環境で育った私は、母のタイ語、母の習いたての日本語、そして日本の学校の日本語が混ざり合う環境にいました。

「ダブルリミテッド」という言葉との出会い

ある日、偶然ネットで「ダブルリミテッド」という言葉を見かけ、思わず「これ、まさに昔の私のことだ…」と手が止まりました。

ダブルリミテッドとは、二言語を使用する環境にいるが、両言語共に年相応のレベルに達していない状態ことを指します。

https://himetaro.com/eigo-soukikyouiku-demerit

たとえば、日英バイリンガルの10歳の子が、どちらの言語も年相応の能力に満たない、そんなイメージだそうです。

今でこそ通訳・翻訳の仕事をこなせるまでになった私ですが、小学校中学年ごろまでは、日本語もタイ語もまさに「どっちつかず」の状態でした。

その頃の私の言語発達の記録を三部に分けて振り返っていきますが、本記事では幼少~小学生の私の言葉の記憶をたどります。※関連記事は文末に載せています。



小学校低学年の私と言葉の違和感

当時の私はこんな感じでした。

  • 日本語を話すとき、語尾がタイ語風に上ずる

  • タイ語を話すとき、日本語風の語順になってしまう

  • 語彙が同年代より幼い

  • 言葉の選び方が、どちらの言語でも少し不自然

  • ネイティブ同士のやり取りの速度に乗り切れない

つまり「通じるし日常生活は問題ないけど、ネイティブとはどこか違う」状態。どちらも微妙にできて、どちらも微妙にできなかった。でも、当時の私は、その違和感が何なのか理解できませんでした。

ターニングポイントは小学4年生の塾

転機は小学4年生頃に通い始めた中学受験塾。ここで初めて、偏差値や順位という数値化された結果で現実を突きつけられることに。

国語の成績だけが極端に悪かったのです。

  • 暗記科目は記憶さえすれば何とかなる

  • 算数もパターンで解けるようになる

  • でも国語の長文読解だけは、どうしても苦手

時間をかけて同じ文章の同じ段落を繰り返し読んだところで、内容が頭に入ってこない。筆者が何を言いたいのかが分からない。解説を読んだところで、そもそも解説自体が理解できない

「文字は読めるのに、分からない」──それが私の国語の壁でした。

「分からない」と言えなかった私

授業中、本当は理解していなくても「分かったフリ」をして頷く。迷惑をかけたくない、できない子と思われたくない。そんな思いから、本音を隠していました。

けれど、この“わかったフリ”が、私のつまずきや孤独をますます見えにくくしていたと思います。

「できない理由が分からない」もどかしさと孤独

当時は自分がつまずいていたことを説明する力も持っていませんでした。

困っていることを言語化できない
何故できないのか分からない。何をどうすれば良くなるのかも分からない。そして、周りに相談できる大人もいませんでした。

教師も親も自分も、誰もこの「言語の迷子状態」を理解できなかった。私の言語のズレや理解力の問題は、「ただの国語が苦手な子」としてスルーされてしまっていたのです。

「普通に話せる子」として見過ごされた私

日常会話は普通にできる。「てにをは」も正しく使える。だから周囲からは“ちょっと国語が苦手な子”としか思われなかったのも無理ないと思います。

けれど実際には、言葉の芯が育っていなかったように思います。人と会話はできても、抽象的な表現や論理的な読解はできない。そんな状態だったと思います。

タイ語の衰え

この頃になると、塾通いで日本の生活が中心となり、タイ語に触れる機会は激減。

  • 家庭内の日常会話だけ

  • タイの親戚と話すのは国際電話カードを使った数分間の駆け足の通話だけ

  • 日本にはタイ語のテレビ番組はもちろん、YouTubeもスマホもなかった時代

インプットもアウトプットも極端に減った結果、私のタイ語はこの時点で成長停止。以降、大学時代に自力で巻き返すまで、じわじわ退化していく一方でした。


そして迎えた中学受験本番

「やればできる」「頑張れば報われる」と信じて挑んだ中学受験。
しかし私はそこで、人生レベルの大きな挫折を味わうことになります。

第二部:続きはこちら↓


最後に 私が「ダブルリミテッド」と向き合う理由

振り返ると、私の幼少期は「わかってもらえない苦しみ」に満ちていました。

言葉の違和感。
理解できない読解問題。
誰にも気づかれない孤独。

言語ができないことそのものより、「誰にも理解されずに一人で抱え込むこと」がつらかったのだと思います。

今、私は母となり、娘のトリリンガル育児に向き合う中で、当時の自分に手を差し伸べるような気持ちでこの記事を書いています。

この記事が、かつての私と似たような子どもや、その親御さんの気づきになれば嬉しいです。


mari.



♢この記事の読者さまより頂いた質問に回答↓
「ダブルリミテッドになりかけた経験があるのに、娘を3ヶ国語で育てているのは何故か?」


♢関連記事
幼少期の「言語の迷子期」の経験の記録。ダブルリミテッドになりかけた話しなど。


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