分人主義と分身主義(5)
脳科学の研究が躍進した成果として、「幻想」と「実体」を見分ける目を持つことが大切だということがわかりました。
それにより、どうして自然界からはぐれてしまった我々人類が、長いこと対立したり争ったりしてきたのかが判明します。
人間の幻想だった「幻想の三大元凶」のせいだったのです。
(およそ7分です)
前回の記事でも言いましたが、まだ科学者の中に、「実体」と「幻想」の区別を科学の基本とすべしという基本姿勢が行き渡っていないのです。大学の教授もその基本を知らないので、学生も知る術もありません。
大学の教授に対して、こんなことを言うなんて偉そうに聞こえるかもしれませんが、それは全く逆で、自然界様の声を聴く真の科学である分身主義は、むしろ、この地球上に偉い人などいないし、それは単なる虚像だったと知るべきだ、という視点です。(* 人間の声を聞く似非科学が、偉い人を作ってしまうのです)
今までの個人主義は、成功は本人の能力や才能ともてはやしたがり、失敗は自己責任と無下に突き放します。だけどこの21世紀になって、科学は、成功も失敗も一人の功績や責任ではなく《環境》に作られていた、と教えてくれました。(* というか、成功も失敗もお金を基準にして判定されるだけのものでした。お金がこの世界から消えれば、誰もがその環境の中で成功者なのです)
だからたとえ大学の教授でも偉いわけではなく、現在の《環境》に育てられて行動させられていただけなのです。(* 今までは、その科学的事実を知らなかった個人主義だから、偉い人だったのです)
科学的な事実から言えば、今の私だって、現在の《環境》に育てられ、行動させられ、語らされているだけの媒体です。だけどまだ今は分身主義的世界ではなく個人主義的世界なので、私の言葉が偉そうに聞こえてしまうはずです。でも偉い人なんてどこにもいなかったと言える分身主義的世界に、早くなって欲しいと心から願います。
(* それでももし傲慢な我々人類だから、「偉い」という言葉でうぬぼれたいなら、80億全部の人が、誰にもできないその人、一人一人の環境で、その分身さんを生きてくださっているという意味で、世界中のみんな一人一人が成功者で同等に偉いのです。そして、その意味で、自分という分身も含めて、世界中のみんなに感謝するべきだったのです)
つまり、英雄もヒーローも犯罪者も、たまたま英雄やヒーローや犯罪者の配役を、その環境に任されただけだったわけです。環境が逆転すれば、人を救ったその英雄が、人を殺した犯罪者になっていて、その犯罪者が英雄になっていたはずです。
この21世紀となった今、科学がそのからくりを解明してくれたのです。
前回の記事(4)で、いくつか例を挙げさせていただいた学説は、ほとんどの物理学者の固定観念となっていて、教授と呼ばれる人たちもそれをそのまま学生に教えたり、我々に書籍などで教えています。
だけど、実体と幻想を見分ける訓練をするところから科学を始めていなかったばかりに陥っている、その間違った固定観念と同じように、実は、我々が抱いている「自分」や「自由意志」という固定観念も、間違いだと教えられる科学者が、まだいないのです。
実は、私が科学のそれぞれの垣根を取り払って統合しようと考えた時に、「実体」と「幻想」に分けるところから始めたのですが、それによってわかったことがありました。それを「元凶の三大幻想」と名づけました。次の3つです。
自分という幻想:ここまで聞いていただいたように、これは人類が遠い昔に言葉を覚えたことにより、「自分」という観念(=幻想)が生まれてしまったのでしたね。この錯覚により本能の自我が観念の自我になり、それが感情と結びつき「欲望」になります。(* 基本的には動物の本能行動に欲望は発生しません。人間には言葉によって増幅される「感情」というものがあります。この「感情」が具体的なモノに向けられた時、我々の心に「欲望」が生まれるのです)
欲望と結びついた「自分」という観念は、当然、自己中心的(=利己的)を指向し、そこから人類の対立の歴史が始まったのです。個人主義というのは近代になってその「利己的」を正当化するものとして生まれた思想です。自由意志という幻想:科学的に正確に言えば、「《環境》に浮かび上がらされた意志」を自分の意志(意思)と言っていただけなのです。だから自分由来の意志ではなく、環境由来の意志なので、とても自分の自由意志などと呼べるものではなかったのです。
我々は、好きなことをしていると、それは自分の自由意志でしていると思い、嫌いなことをしていると、それは自分の自由意志ではないと勘違いしていますが、本当は「好き / 嫌い」も環境に作られているのです。
犬は好きになろう、猫は嫌いになろうなどと、自分の意志で決めている人などいません。
(* この、人間は自分発の意志(意思)で自分の人生を切り開いているという個人主義的な傲慢な感覚こそ、世界に対立と争いをもたらしていた根本原因です。科学者こそ、この意識は間違いだったと、先頭を切って教えてくれなくてはいけないのです。何故ならこれは科学が解明したことだからです。そしてそれを知ることが平和に繋がるからです。
つまり、人間は《環境》の海の中で踊らされている “媒体” だった、と謙虚に理解することによって、環境という名の下に人類が一つになり、平和になるのです)お金という幻想:現代は世界がお金に支配されていて、人の思考や行動もお金に操られているので、お金さえあれば、自由と健康と幸福を手に入れられると誰もが考えます。だけど本当は、お金があるから、本当の自由も本当の健康も本当の幸福も手に入れられなかったのです。
これら「元凶の三大幻想」は、『分身を知った科学(自然界様の声を聴いた科学のお話)』の『遺言書④自分という幻想』、『遺言書⑤自由意志という幻想』、『遺言書⑥お金という幻想』で詳しく解説しています。
人間は「自分とは何か」「人間とは何か」「宇宙はどのようにできているのか」と疑問を持ちます。どうしてでしょうか?
犬も猫もウマもサルも‥‥、全ての動物がそんなことは考えません。彼らは自然界と地続きだからです。
言葉を持ってしまったことで自然界からはぐれてしまった人類だけが、もう一度自然界と手を繋ぐために疑問を抱くのです。
だから、もう一度自然界と手を繋ごうと、科学をするのです。科学だけが「実体(=自然界)」と直接会話ができる唯一の学問だからです。(* 「直接会話ができる」とは、実験や観察や観測をするという意味です)
でも、皮肉なことに、言葉を持ってしまったことで自然界とはぐれてしまった我々が、もう一度自然界と手を繋ぐためには、言葉を用いるしかありません。それは、一旦人間の幻想に引き入れることを意味します。
ということは、どんなに「実体」の本当の姿を見ようとしても、それを見た瞬間、人間は「幻想」に変えてしまうのです。
それを私はいつもメデューサの比喩で表します。

ギリシャ神話の魔物メデューサが、見たもの全てを石に変えてしまったように、人間は見たものを全て「幻想」に変えてしまいます。言葉を持ってしまった人間が、何かを認識するということは、幻想の領域に引き入れてしまうということです。
人間には他の動物のように「実体」のありのままを決して知ることはできません。(* 他の動物たちは自然界と地続きなので、実体を実体のまま受け取ります。なので、人間のように疑問を抱いたりしません)
さて、ここまで科学にとって「実体」と「幻想」を見分ける目の大切さを聞いていただきました。そして「実体」を認識するためには一旦「幻想」の領域に取り込まなければいけないとわかりました。
その上で、科学的とは何かというと、それは「人間の「幻想」と「実体」とのギャップを埋めるために、どこまでも「幻想」を「実体」に近づけようと努力する学問である」と言えます。決してその逆であってはいけません。
前回の記事では、個人主義の言う「個人」は錯覚(=幻想)だったと言いました。では、科学が教えてくれた、どこまでも実体に近づけた「自分」とは、一体どんな姿だったのでしょう!?
人間の声(=自分たちの希望や偏見や欲望)を聞く傲慢な科学ではなく、自然界様の声を聴く謙虚な科学はどのように答えているか考えてみてください。
それこそが、約140億年前に産声を上げていたこの「宇宙」だったということです。

この記事では、今の社会では成功できなかった、偉くもない負け組の私が、今の社会で勝ち組と言われている偉くもない先生たちに向けて、偉そうに語らされてしまいましたが、最後にダメ押しで偉そうに言わされようと思います。
あなた方が私の1000倍も努力をさせられ、1000倍も知識を持たされていらっしゃるのは重々承知しています。だけど、生まれた時から違う方向を向かされていたせいで、(あなた方とは違う意味で)10倍も違う努力をさせられ、(あなた方とは違う方向で)100倍も考えさせられてしまった私が気づいた科学の基本(=実体と幻想を見分ける目)を、まず養ってください。
そして言葉を持ってしまってから間違った錯覚(元凶の三大幻想)に囚われ続けている自分に気づいてください。それは取りも直さず、あなた方が魅了されている “科学” が、この21世紀に至って解明してくれたことだからです。
そして、自分の右手と左手が競い合ったり、自分の心臓が肺を攻撃するような研究を続けている自分に気づいてください。
あなた方はそのつもりではないかもしれませんが、この個人主義という環境そのものの中に、それは組み込まれているのです。
どんな研究も、最終的には軍事兵器に利用されたり、最終的には他者に勝つための学問になってしまっているではないですか!?
間もなく終わりを迎えている、この個人主義的な世界から、我々を救ってくれるのは科学を置いて他にありません。科学者のあなた方が我々をそこから救い出してください。
➡ 分人主義と分身主義(6)
(分人主義と分身主義の違い、そして仏教の「自我の滅却」との関連について考察します)

★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。
noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。
でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。