分人主義と分身主義(7)
人類は本能を理性で抑制している動物ではなく、無意識だった「本能の自我」が、意識的な「観念の自我」に変わったことによって、知性で本能をより強めてしまったのです。
(7~8分です)
ところで、科学的に見れば、人間は決して野蛮な「本能」を理性で抑制している動物ではなく、むしろ知性で本能を強めてしまったのです。より本能が喜ぶ方法を工夫して強めてしまったということです。
例えば、肉食動物は生存に必要な量だけ食べれば、後は、目の前を獲物が通り過ぎてもそれ以上は食べないそうです。
だけど、人間はただ食べるのではなく、煮たり焼いたり味付けしたり、見た目も美味しそうに見えるように盛り付けたりして工夫します。人間は想像力を使って、「食欲という本能」を意識的に演出・加工することによって高めるので、必要以上の量が差し出されても、お腹が痛くなるまで食べ続けたりします。
また例えば、孔雀のオスは綺麗な羽を広げてメスにアピールしますが、意識的に模様を描き替えたりはしません。しかし人間の場合は、より魅力的な羽に作り替えようと演出・加工します。
例えば、化粧をしたり、肉体改造をしたり、整形したり、ファッションの力を借りてさらに異性を魅きつけようとします。
お金が存在しない動物たちは高価な持ち物を身に付けたりしないけど、人間たちは、他者より高価な持ち物を身に付けて優位に立ち優越感に浸ろうとします。自分の本能の喜ばせ方を心得ているんです。
策略で他者を貶めようとしたり、論争で相手を論破しようとしたりするのも、他者より優位に立ちたいという欲が、意識や感情が伴うことで、動物より強まっているせいなのです。
さらに言えば、性欲という本能です。人間は他の動物と違って交尾(性交)の方法もいろいろ試したり工夫したり、人間特有の「感情」なども加わることで本能をさらに演出・加工します。それにより、発情期だけ交尾をする動物たちと違って、年中、より強い快感を得ることに成功しました。
そのせいで、人類の「性欲という本能」は、より強まり暴走しやすくなってしまったようです。
以前の「記事(3)」で聞いていただいたように、本能は引き継ぐほどに利己的を増します。それが生存に適応していくことだからなので仕方ありません。それは別に悪いことではありません。
ところが、人間は言葉を持ったことで「自我(これが自分であると信じている観念)」が作られました。そのことにより、他者の行為が、この「自分」にとって善か悪かを判断する能力が生まれました。
それが理性の始まりです。
その後、人間全般にまで拡張されたのが我々が今使っている「理性」ですが、この「自分にとって善か悪か」が、その原義です。
それにより、動物なら悪いことでも何でもない行為が、人間にとって(元は自分にとって)、悪い行為と裁定されることになってしまったのです。
例えば、蜘蛛が生存のために巣を張って獲物を捕らえるのを見て、腹を立てたり責めたりする人間などいません。むしろその鮮やかさに感嘆する人さえいます。
だけど、人間が欺罔(虚偽の事実を信じさせること)の網を張って年寄りからお金を奪ったらどうでしょう。「なんて巧みな欺罔の網なんでしょう!」などと褒める人はいません。

理性は野蛮な本能を抑えるどころか、動物にとっては悪でも何でもなかった本能的行動を、人間(自分)にとっては「悪」と裁定することになってしまったのです。
だから見方を変えれば、むしろ、理性が「悪」を作った張本人とも言えます。理性がなければ「悪」という概念も生まれなかったからです。
「人間は本能を理性で抑制している動物である」などと言う人がいますが、元々、観念的な本能(=自分中心的なもの)から生まれた理性に、本能を抑える力などあまり期待できません。むしろ自分の自己中に対する弁護に活用されたりします。
人間には、動物の本能に、人間特有の感情などが結びついてたくさんの「欲」が生まれましたが、実は、その全てが本能という利己的なものから来たので、世界の平和を阻害する可能性のあるものだったと言えます。(* 動物にあるのは本能で、人間の欲(欲望)とは違うものです)
動物にある本能が人間になるとどのように強まるか見てみます。
支配本能・被支配本能:
この本能が人間になると、他者や国家を支配し、自分の意のままに動かしたいという「欲」になり、対立や紛争の大きな原因を作っています。歴史を見ても、領土拡張や覇権争いなど、この「欲」が多くの戦乱を引き起こしてきました。
被支配本能は、権力者に自ら支配され、その庇護下に置かれることでおこぼれに預かったり、安心感や責任の軽減、危険を回避しようとしたりします。群居本能、差別本能:
この本能が人間になると、自分たちの属する集団(民族、宗教、国家など)を絶対視し、他の集団を劣ったもの、あるいは敵とみなす感情となり、それは差別や憎悪を生み出し、紛争の火種となります。所有・獲得本能:
この本能が人間になると、生きていく上で不可欠な資源(食料、水、エネルギーなど)を独占しようとする「欲」になり、資源の少ない地域との対立を生み出し、紛争に繋がります。
また、際限のない経済成長を追求し、多くの富を求め続ける「欲」は、環境破壊や貧富の格差を拡大させ、社会の不安定さを増大させます。また、他者の富を羨み、奪おうとする感情も争いの原因となり得ます。闘争本能、攻撃・破壊本能:
この本能が人間になると、過去の恨みや憎しみを忘れず、相手に報復しようとする感情と繋がり、暴力の連鎖を生みます。
また、報復したり抗議したりしている自分は、この本能が満たされている状態なので、それが集団となるとますます攻撃性が加速されます。防衛本能:
この本能が人間になると、単なる物理的な危険だけでなく、心理的な苦痛や葛藤、社会的なプレッシャーなども「脅威」として感じ、そのような不快な感情や受け入れがたい考えから自分自身を守ろうとします。心理学で使われる、投射、退行、抑圧、昇華、合理化といった自我防衛機制が働きます。
また、国家間の場合、相互不信がエスカレートして軍拡競争に陥ります。
どうですか?
現代の個人主義が行き着いた世界が、これらの全てを満たしていて、もはや終末期に達していることがわかりますよね。
ちなみに、これらの話は『分身を知った科学(自然界様の声を聴いた科学のお話)』の『遺言書⑦ 本能を知性で強めてしまった動物』に詳しく解説しています。
人間中心の科学(=人間の欲や恐怖や怒りなどの感情が必要とした科学=似非科学)が、E=mc² の利用法を知ってしまった今、この世界情勢の先に未来を感じる人がいるとしたら、よほど能天気です。
これこそが、言葉を覚えて、自・他の意識を持ち、敵を作ってしまった人類の、つまり「個人主義」の、当然の帰着だったとよくわかりますよね。ちょっと考えれば誰もが想像ができたことでした。今、まさに世界は、「個人主義」が作ってしまった最終段階に入っています。
あなたはこの状況に目をつむって、「自分が生きているうちに、自分に目立った危害が及ばなければ、未来の人間たちに何が起ころうと知ったこっちゃない」と個人主義的に割り切ってしまえる人ですか!? でも、こんな状況下で、安らかな日常を維持して幸福に生きていくことはできないはずです。
今の世界で活躍している人たちでも、よく観察すると、お金に執着した「子供」が、そのまま大人に成長したような人たちも結構います。
専門用語や難解な用語を並べ立てて、さも高等な駆け引きや議論をしているように見えますが、内実は、嘘や言い逃れの上手い、ちょっと機転の利く自己中の「子供」がそのまま大きくなったようなもので、多くの知恵を身に付け、知識も増え、権力を持った分、子供よりもむしろ非道徳で狡猾で質が悪いくらいです。
世界情勢を語らせても視野が狭く、どうしたら世界が平和になり世界中の誰もが幸福に暮らせるようになるかよりも、いかにして他国より経済的・軍事的に優位に立てるかということしか頭に浮かびません。
自国内の政党同士でも足の引っ張り合いばかりで、「子供」の口喧嘩に毛が生えただけにしか見えない時があります。
だけどそれが「大人」と呼ばれている我々です。
だから「大人」を卒業して「大人の大人」にならなければいけないと考えます。それと同時に、これから育つ子供たちに、科学が導いてくれた分身主義を伝える必要があります。
この21世紀、科学は「大人の大人」になる道しるべを我々に提示してくれています。それをお伝えするために、私は、人類への「遺言書」を書かされました。(* 何度も言いますが、私は媒体なので書かされたのです)
「分身主義」は
自然界様の声を聴いた科学が
21世紀の人類に届けてくれた
《人類への bible》です。
自然物である我々人類を生み、育んでくださった自然界様の声を、21世紀の科学が、次のように我々にわかる言葉に翻訳してくれました。
「私はもう、この21世紀であなた方を見限るつもりでいます。この自然界の中に勝手に人間界というものを作って、お金や武器などという危険なものを使って暴れまわり、長いことやりたい放題でしたね。ずいぶん根気強く見守ってきたつもりでしたが、もう我慢の限界です。
だけど、あなた方は、私とちゃんと話をするために科学というものを作りましたね。それに免じて、もう一度だけチャンスを与えましょう。
世界の環境が、あなた方の「錯覚の自分」が作る「環境」から、私としっかりと手を繋いだ、「真実の自分」が作る「環境」へと変化すれば、新しい歴史が幕を開けることでしょう。それは、お金や武器に頼ることのない、みんなが助け合って仲良く生きる明るい世界です」
「真実の自分」を知った「大人の大人」に成長した人たちが、どうして自分の本当の身体を傷つけ合うことができるでしょう。
だから、科学が導いてくれた「分身主義」は一時しのぎの綺麗ごとは言いません。
むしろ利己主義を最大化せよ!
利己的がここまで来たからといって、躊躇することはありません!
このまま突き進め! と言っています。
どういうことなんでしょうか!?
「真実の自分」を知った「大人の大人」に成長した人たちにとっては、自分を思いやることと他人を思いやることが同じ意味です。だから利己的を最大化するとは、自分の全身の欲望(=幸福=世界平和)に気を配るということだからです。
我々はみんな《環境》の海の中で踊らされている分身同士です。そしてその全身は140億年前に産声を上げていたこの宇宙でしたね。
それが「真実の自分」だと、自然界様の声を聴いた科学が教えてくれていたじゃないですか。
➡ 分人主義と分身主義(8)
(「分身主義」が描いている平和な未来の世界に思いを巡らせて、まだ来ぬ幸せに浸ってみます)

★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。
noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。
でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。