分人主義と分身主義(2)
この記事では分人主義と分身主義の、それぞれの特徴と、「自分」意識の相違点を考察します。
(およそ11分です)
次に、「分身主義」を説明します。

左の図はたった一つの受精卵が細胞分裂を繰り返して人体が作られる図です。どの細胞も同じ設計図で書かれているのですが、それが置かれる《環境》によって違う発現をして、それぞれの器官や臓器が作られます。これを「分化」と言います。
右の図は、同じように、最初はたった一つのビッグバンという宇宙の小さな種が一瞬にして大膨張し、その時に存在していた素粒子が原子になり分子になり、やがて置かれた《環境》によって、天体や銀河を構成したり、さらに犬や木や人間に分化した図です。分身という意味は、この分化した身体から取りました。
左図で見た「自分」は、全ての器官や臓器を包み込んだ、現在の我々の誰もがイメージしている「自分」です。
だけど、それは右図に「人間」と書いた分身に過ぎず、科学が解明した「真実の自分」は、自然界の万物を包み込んだ「宇宙」です。
だから、「宇宙万物の一つである我々は “分身” ですが、我々の “全身” は宇宙である」という表現をするのです。
つまり、「真実の自分」は、約140億年前に産声を上げていて、分化した天体や植物やあなたや私という分身は、同じ設計図の細胞が、その置かれた《環境》によって、自分の右手になったり、左手になったり、心臓になったり、肺になったりしているのと同じで、それらを全てひっくるめた「真実の自分=全身」はこの宇宙である、という視点です。
人間(=分身)はお母さんのお腹から産まれる時に産声を上げますが、宇宙の万物(=自分の全身)の産声は、まさにビッグバンの瞬間です。
それでは今度は、「分人主義」と「分身主義」の両者の違いを図示してみます。次の左図が「分身主義」、右図が「分人主義」です。

分身主義は科学が導いてくれた視点です。ビッグバンの時に存在していた素粒子が、その置かれた環境によって、天体や生物や、様々な物体が生まれて来た、と理解します。そしてそれらの集合体(=全体)が「本当の自分」です。つまり我々は皆、約140億年前に産声を上げていた、と考えます。
科学的に見れば、天体も植物も犬もサルも、「自分」の本体の一部だったということです。それが *自然界中心の真の科学の視点です。
*自然界中心の真の科学とは人間中心の科学に対する言葉です。
真の科学は実体(=自然界)の声を謙虚に聴くもので、人間中心の科学は人間の声(=欲望や偏見や自尊心など)を聞く傲慢なものです。現代の科学は、人間の欲望や偏見に科学の方法論を利用しただけの学問になっている場合が多いので注意が必要です。
その一例が、人を殺りくする兵器です。これは明らかに人間の声(=欲望や恨みや怒りや恐怖など)に科学を利用しただけの、言わば似非科学です。
(* 自然界中心の真の科学は、天体も植物も犬もサルも、そして、彼も彼女もあなたも私も、お互いに、この「自分の本体」の一部と考えます。この身体の生成の過程で、たまたまその《環境》に置かれた細胞が右手や左手や心臓や肺になっていたように、です)
人間は言葉を持ってしまったため自然界からはぐれてしまった唯一の動物です。そして、モノに名前を付けるので、本当は全部つながっている「宇宙」をバラバラにしてしまうのです。言葉を持たない動物は、本能的な自我しかなく、人間のように物を別々に意識しません。彼らの意識を「自然界と地続き」と表現します。
つまり、人間は、自我や知性を持った自分たちのことを、高等動物などと称して、「自我に目覚めた」などと形容していますが、それはこの宇宙の生物のわずか0.0000000000001%に過ぎない人間の傲慢な視点で、本当は、自然界から見たら、自然界に背中を向けて眠りに落ちてしまった状態だったのです。
(* このパーセンテージはでたらめです。いかに少ないかということを表現したかっただけです。現在、地球上に約80億人いるとされる人間ですが、アリだけで見ても、約2京匹(2の後に16個のゼロがつく数)と推定されています。つまり人間1人に対して、およそ250万匹のアリが存在すると考えられています。だけど個体数で比較するとさらにバクテリアが圧倒的に多いです。人間はこの地球上を我が物顔でのし歩いていますが、とんでもない思い上がりです。傲慢な人類は、当然、このままでは自然界様から「自滅」という裁定をくだされてしまいますよ)
本当は、人類は「自我に目覚めた」どころか、この自然界から見れば、言葉を持ったことで自然界からはぐれてしまい、人間界という幻想の世界で眠りに落ちてしまった、唯一の「落ちこぼれ動物」に過ぎなかったのですよ!
分人主義と分身主義の大きな違いは、分人主義は「恋人、友人、同僚、上司、‥‥」たちを自分にとっての他者として見ていますが、真の科学の視点である分身主義は、「恋人、友人、同僚、上司、‥‥」を他者とは見ません。
(* 自分と同じ宇宙の分身、あるいはお互いをお互いの分身と見ます)
受精卵という一つの細胞が、たくさんに細胞分裂をしていく過程で、置かれた《環境》によって、同じ設計図でありながら違う発現をしていくのと同じように、それは他者ではなく自分という本体の一部と見ます。それを全てひっくるめて「自分」と見ます。だから、一人一人の人間、一つ一つの物を分身と言います。
この「全てひっくるめた自分」こそ、科学が解明した「真実の自分」です。現在の我々が抱いている、この身体の内側が自分という意識は、人類が言葉を持ったことにより、脳を中心とした神経系が錯覚することになった「自分」だったのですよ!
その錯覚の「自分」が、社会の中で埋没させられないために、「個人主義」という自己保身の思想が生まれたのです。
自分の「本体」は、科学的に言えば、この宇宙の中でどこにも切れ目がなく一つに繋がっていたものなので、分身同士が争ったら、自分の本体を傷つけていると、科学は教えてくれています。
(* 例えばミサイルを敵地に落として「敵をやっつけた」などと歓喜していますが、それは自分で自分の本体の一部でもある地球や人間を傷つけていたのです。繋がっている一つの身体なので、その影響が、戦争当事者でない分身である自分にも、必ず何らかの被害が及んでいるはずです。我々は鈍感なのでその影響に気づけないだけです)
それに対して、分人主義は、「戦争を目撃している分人は、自分を悲しませる分人だから、それを見聞きする分人の配分を減らそう」などと考えるだけで、まだ世界から戦争をなくすことはできません。それでは、本体の自分が傷ついたままで、本当の意味で幸せにはなれないのです。
分人主義は、他者に対処する分人である「自分」に、つまり錯覚の自分に、まだ強く愛着しているからです。
カッチリとした「個人」は存在しないけれども、「分人を全てひっくるめた自分」にとっての他者を、「今この他者に対している分人は、自分を好きになれる分人か、それとも自分を嫌いにする分人か?」と自分の感情を基にした構成比率を意識することで、むしろ「自分」を強く意識しています。
好きな人と向き合っている分人は、自分が自分を好きな自己肯定できる分人です。
その逆の、「苦手な人」「嫌いな人」「意地悪な人」‥‥、そういった他者に向き合っている時の分人は、自分が嫌いな自分の分人なので、なるべく関わり合う配分を減らした方がいい他者です。分身主義には存在しない「避けるべき他者」や「敵」が、分人主義には存在するのです。
そう、分人主義は、他者に対処する分人である「自分」に、つまり錯覚の自分に、まだ強く執着しているのです。
とは言っても、分人主義と分身主義は似たような考え方をする部分もあります。分人主義は、例えば、「あなたにとって嫌いな、意地悪な人であっても、それは、自分に対してその人間が見せている、その人の一つの分人に過ぎない」と言います。
確かにそうですよね。
分身主義もそのように考えます。例えば、あなたに対して「意地悪な人」も、その人の置かれた《環境》に、そのような個性的な反応をするように作られている、媒体であることに変わりなく、だから今あなたと接しているその環境が、彼の意地悪な応対を作ってもいたのです。
(* 我々は「環境の媒体」であると同時に、環境を作っている媒体でもあります)
つまり、あなた自身も、環境を通して、あなたに意地悪をする人の片棒を担いでいたということです。
科学が解明したその事実は、次のようにも考えられます。
もしあなたがその人の《環境》で生まれ、その人の《環境》で育っていたら、容姿から体型から性格から何から何まで、そのような反応をするその人自身になっていて、今この瞬間、その人と同じ行動をしていると理解できます。
(* 遺伝もその人を作る《環境》に含めますよ ☚ 重要な視点)
逆にその「苦手な人」「意地悪な人」「相性が悪い人」という人たちが、あなたの《環境》で生まれ、あなたの《環境》で育ち、あなたの《環境》に置かれていたら、それはそのまま今のあなたになって、この文章を読んでいたということです。
人は「それぞれの置かれた《環境》に、ある個性的な反応をするように作られる、媒体である」、「我々は《環境》の海の中で踊らされている媒体である」というのはそういう意味だからです。
どうですか?
どこにも敵などいないでしょう!?
我々が抱いている「自分」という概念や、「自分の意思」で思考し行動しているという信念は、科学的に言えば間違いで、つまり神経系のとんでもない錯覚で、本当は《環境》の中で踊らされている媒体だったのです。
別に人間だけが特別な物体でも何でもなく、この宇宙の他の万物と全く同じ、《環境》の中で踊らされている媒体だったのです。
(* 確かに人間のように思考するような知能を持った動物は他にはいませんが、思考も、実は《環境》に記憶させられた “言葉” が、まるで生成 AI が言葉を生成するように、脳内で受動的に行わされていたのです)
それを知れば、自分の代わりに、その置かれた環境で演じさせられている分身さんに対して尊敬や許しや感謝が生まれます。
そして世界中の人が、この分身主義的な視点を持てば、「苦手な人」「意地悪な人」「相性が悪い人」を許せる気になり、むしろ自分の代わりにそんな環境の被害者となって頑張ってくれている分身に感謝する気になり、平和になると思いませんか!?(* というより、誰もが仲良くするために工夫をすると思いませんか? 何故って全部をひっくるめて自分と知った人たちなので、敢えて自分の一部を傷つける行動は取れなくなります)
英雄もヒーローも、また大統領も大金持ちも、その人の努力や能力でなったわけではなく、《環境》がその人に努力をさせ、《環境》がその人の能力を作っていたのです。(* もちろん遺伝もその人を作る《環境》に含めますよ ☚ 重要な視点)
(* 私は、今では大統領や大金持ちは、他の分身さんたちの身代わりとなってその《環境》にいてくれたために、大統領や大金持ちにさせられている被害者、のように捉えているので、彼らに感謝し、また申し訳なく感じるようになりました)
それがわかれば、妬みも過剰な尊敬もなくなります。
また、犯罪者は《環境》の被害者でもあるので、それがわかれば、怒りや恨みも半減します。むしろ「自分の本体」のために被害に遭う前に救ってあげなければという気持ちも起きます。(* というより、そのような考え方が浮かび上がる分身主義的環境からは、犯罪者は生まれなくなります)
ここまでで、分人主義と分身主義の「自分意識」の違いを、ほんの少しでもお伝えできたでしょうか?
他者(=敵?)の存在しない分身主義的環境からは、妬みや過剰な尊敬や怒りや恨みなどの、争いを起こす元(=煩悩)が消えているのです。分身主義的な「自分意識」の変革は、やがて、この世界から危険なお金や武器を消し、みんなが助け合って笑顔で生きる、真の平和を作る唯一の道です。
私は、かなり以前から、「分身主義」は自分の口から語られている限りは誰にも伝わらない性質のものだと、感じていました。だから、『分身を知った科学(自然界様の声を聴いた科学のお話)』という “遺言書” を書いたのも、誰かがそのバトンを引き継いでくださって、そして私が死んだ後でもいいから、世界を一つにして、世界中のみんなが仲良く幸福感に包まれて笑顔で生きて、笑顔で死んでいけるような社会になってほしいという願いで、書き終えました。
だけど、前回の『記事(1)』に書いたように、「分身主義」が「分人主義」に完全に封印されてしまった今、私の遺書は誰にも認知されることなく、私の夢も閉ざされてしまったと一時は愕然としましたが、これはむしろ多くの人に「分身主義」を知っていただくチャンスと考えるべきだと思い直して、『分人主義と分身主義』という、この連載記事を note に書かせていただこうと思いました。
(10回で完結する予定です)
それで、平野啓一郎分身さんに読んでいただけることを願って、この場所に一つ目の手紙を置いていこうと思います。
拝啓
初めまして平野啓一郎様。
私は、もうじき70歳になる年金暮らしのジジイで、徳永真亜基と申します。
子供の頃から、世界が平和になるにはどうしたらいいのかと考え続け、46歳の時に「分身主義」というものに辿り着きました。
自分なりに、インターネットを通してそれを広めようと努力はしてきましたが、気づいたら、誰にも伝えられずに、この年になっていました。
それで死ぬ前に遺書として「分身主義」を置いてゆこうと一念発起し、3年半かけて『分身を知った科学 ~自然界様の声を聴いた科学のお話~』というkindle本を、今年( 2025年の 2月)、書き終えて提出しました。
ところが、「分身主義」と検索しても、「分人主義」と出てくるばかりで、ガックリと肩を落としました。あなたのような才能も行動力もない私だから、この先、本を宣伝することもできないので、自分の一生をかけて辿り着いた「分身主義」は誰にも知られずに、この時点でこのまま埋もれていくしかないと、目の前が閉ざされた思いでした。(* 「しょせん、人類には平和は無理なんだよ」と、私に思い知らせるために悪魔が出てきて、ニヤつきながらシャッターを下ろされてしまったような気さえしました)
その時は、どうして「分人主義」などという近似した名前をつけてくれたんだあっ、とあなたを恨みもしました。
だけど、よく考えたら、死ぬまではまだ少し間がありそうなので、何もせずに死んでいくより、むしろ「分人主義」と「分身主義」の違いを浮き彫りにすることで、少しでも多くの人に「分身主義」を知っていただけるかもしれないと考え直し、その努力をすべきだと気づきました。(* 分身主義的視点=真の科学の視点、で言えば「努力させられるべきだと気づかされた」と言うべきでした)
もっとも「分人主義」が出現しなくても、遅かれ早かれ私の力では、人類へ向けての私の遺言は、私の死と共に消えていたでしょう。
そのように考えると、むしろ、やる気が湧いてきて、今では「分人主義」という名前に感謝の気持ちです。
私は間もなく死んでいくだけのジジイなので、もはや名聞利養を求める気持ちは全くありません。著作権も名前も全く執着していません。よろしければ、あなたに全て差し上げます。
むしろ、世界平和には、錯覚の自我たちの自己保身とも言える「個人主義」が作ってしまった、この著作権という悪法や、お金や武器などという危険な物をなくさなければいけないと考えているくらいです。
私は、ただひたすらに、誰もが幸福に生きて、誰もが達成感と祝福の中で死んでいける、最も単純で、当たり前の平和な世界になることを願っているだけです。
「分身主義」を命名させられた媒体に過ぎない私の脳が、まだ「分身主義」というものを理解できる状態にある限り、諦めずに、少しでもそれが伝わるように、「分人主義」の力をお借りして頑張ってみようと考えました。
そのことへのお許しと感謝を込めて、高く遠くにいるあなた様に、いつか読んでいただけることを願って、この手紙をここに残していきます。
敬具
2025年6月吉日 あなたの分身
徳永真亜基分身より
➡ 分人主義と分身主義(3)
(「個人主義」について科学的に考察します。それと対比することで、分人主義と分身主義の理解が、より深まると考えるからです)

★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。
noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。
でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。