結末を知らなかった衣服たち─文化学園服飾博物館「衣服が語る戦争」(9/20まで)
256記事まで溜めてしまった下書きから、文化学園服飾博物館の戦後80年企画「衣服が語る戦争」訪問記を書き上げることにする。会期(9月20日)終了が迫っていて、興味を持った人にぜひつかまえて欲しいから。
衣服から戦争を見る
今年、NHK中部ブロックで放送された「あの日の食堂〜戦後80年の学徒たち」に脚本で参加し、例年以上に戦争と平和を考える夏となった。戦争についての発信と関心が原爆投下から終戦の一時期に集中する「8月ジャーナリズム」という言葉も知ったのも、この夏だった。
「衣服が語る戦争」展のことを教えてくれたのは、日頃から展覧会にアンテナを張り、足を運んでいる友人だった。文化学園服飾博物館の存在もあわせて知った。都営線の新宿駅が近い。

当時の学生の言葉
撮影どうぞの壁に「衣服が語る戦争」の年表があった。
年号とともに「太平洋戦争の状況」と「文化学園の出来事」が併記され,、その下に当時の学生が当時を語る言葉が並んでいる。

年号も生徒の言葉も戦車やミシンやハサミや困り顔のイラストも、縁を刺繍糸でかがったようなデザイン。
学生の言葉にはそれぞれ「戦車がこわした校舎」のようにタイトルがつけられている。大きな字と大きめの行間、空行を多めに挟み、読みやすい。着やすいように縫い方を工夫するような心配りを感じた。
学院が陸軍の作業場になり、海軍によって備品はほとんど持っていかれ、「使わない校舎は、網をかけてタンクでこわしたのです」「それを講堂からながめていた時ほど、いきどおりを感じたことはありません」とある。

「なくしたはさみ」と題した言葉には、空襲によって学院が焼けた昭和二◯年五月二四日のことが書かれていた。
「目をつぶっていてもわかるほど、使いなれていたはさみを無くしたのが残念でした」「はさみを置いておいた辺の土を掘ってみたが見当らず、焼野原に立ちつくしたまま、思わず泣いてしまいました」

結末を知らなかった衣服たち
展示室に入ってすぐの、はじめの挨拶。対話を試みるような語り口で、言葉がすっと入ってくる。
私たちは、終戦という歴史の結末を知っています。しかし、今回展示するものの多くは、その結末を知らない段階で作られたものです。
このくだりに、ハッとした。結末を知っている今と、結末を知らなかった当時。立ち位置の違いをまず示してくれたことで、心構えができた。
世田谷美術館「野町和嘉 人間の大地」展(会期終了。noteは追って書きたい)で写真に添えられた言葉と英訳が素晴らしく、書き留めずにはいられなかったのだが、今回の展示でも同じ気持ちになった。
先ほどのくだりの英訳。
We know how the war ended, but many of the items on display were created before that conclusion was reached.
日本語と英語をあわせて読むことで、よりメッセージが浸透するように感じたが、「英語は敵国の言葉であった」ということにも思い至る。
戦闘機柄が流行った
戦況に勢いがあった頃、繊維の技術の向上も相まって、戦闘機の柄が織り込まれた着物や浴衣が生産された。子どもが夏祭りで着るような小さな浴衣も。戦隊モノのヒーロー柄を着る感覚だっただろうか。
勝つと信じて疑わなかった頃のデザイン。
展示物の写真は撮れなかったが、後で調べてみると、「図説 着物柄にみる戦争」(インパクト出版会)という本があり、「図1 日清戦争軍旗一騎討文縮緬」から「図165 軍事遊戯図女児用生地」まで、目次で紹介されているものだけでも、いかに多様な柄が生産されていたかがうかがえる。
また、「戦闘機柄がトレンドだった? ファッションから見る戦争の歴史」という読み応えある記事(兪 彭燕)を見つけた。
今回の展示で見た着物の写真も。と思ったら、戦後70年に開催された「衣服が語る戦争」展のレポートだった。
企画された文化学園服飾博物館学芸員、村上佳代さんの言葉にある「戦争に対しての現実味」に感じ入る。
「戦争は突然に来るものではなく、じりじりと生活が呑み込まれていくものだということをわかっていただきたいし、私も戦争を知らない世代ですが、戦争を悲惨なものだとしか想像できなくなるのは、戦争に対しての現実味を失うのではないかと不安でした」
「身近な『衣』を通じてなら、自分がこうなったらどう思う?というのを考えやすいかと思いました」
「あの日の食堂」は食べものから戦時中の学徒動員を語ったが、戦時中も平時も、食べること、着ることは生活と切り離せない。だからこそ、「今とあの頃の違い」を自分のことに引き寄せて考えやすい。
ファッション誌が語る戦争
戦前から戦中、戦後のファッション誌の変遷も、とても興味深かった。こんなにわかりやすく、こんなにあっという間に、時代に塗り替えられてしまうのかという驚きと共に、抗えない渦の大きさと勢いを感じた。
被服協会が昭和4年に発刊した雑誌「被服」。当初、表紙は「羊」にまつわるモチーフが用いられていた。昭和11年には世界各地の民族衣装を広く紹介。そのことにも驚いたが、昭和16年には一転、「戦時被服展覧会」が特集される。
名称の変更を迫られた雑誌もあった。
「洋装」から「服装日本」へ。
「婦人画報」から「戦時女性」へ。
「スタイル」から「女性生活」へ。
「FUKUSO BUNKA」から「服装文化」へ。
敵国語である英語のカタカナ表記やローマ字も封じられた。
後で「被服」を探して見つけたこちらのnoteがとても勉強になった。「戦時下の生活を追うには、さまざまな出版物や回覧などの文書を一定期間、継続して追跡するのが手軽な方法です」とあり、今回の展示でそのことを実感した。
Harper's BAZAARの表紙と名称
アメリカの雑誌は、どうだったのか。
「Harper's BAZAAR(ハーパース バザー)」の1945年6月号が展示されていた。表紙は軍靴で行進する兵士の足元のモノクロ写真と、"TO THE AMERICAN PEOPLE"と国民に向けた長文メッセージ。
"Your sons, husbands and brothers who are standing today upon the battlefronts are fighting for more than victory in war."(あなた方の息子や夫や兄弟は勝利以上のものを勝ち取るために戦っている)で始まり、戦時国債に投資し、早期の勝利と"your fighting men"(あなたたちの兵士)の帰還を促しましょうと呼びかけている。
注釈には「ファッション誌とは思えないほどの強いメッセージが込められた表紙」とあった。
わたしが外資系広告代理店で働いていた頃、広告の掲載誌でもあり、トレンドの教科書でもあったHarper's BAZAARに、そんな過去があったとは。
Harper's BAZAARが戦前からあったことも知らなかった。戦前どころか1867年にニューヨークで創刊。戦時中も名称を変えなかったから今に続いている。「BAZAAR(バザール)」が浮かれていてけしからんという圧力はかからなかったのか、はねのけたのか。
表紙が後戻りすることのないように
Harper's BAZAARには、個人的な親しみもある。
日本でも大人気だったケイト・モスを起用したCMの海外ロケに同行できなかった(コピーライターは大抵留守番だった)わたしに、上司のクリエイティブ・ディレクターがサイン入りをもらってきてくれたのだが、ケイトが表紙を飾ったHarper's BAZAARのモノクロ写真にサインが入っている。
どの号だっけと調べたら、『ハーパーズ バザー』の表紙を飾ったケイト・モス カバー集」の特集記事のサムネイルになっていた。1996年の11月号。
現在から過去へ線を引き、ケイト・モスが表紙を飾った時代まで約30年。そこからさらに50年ほど線を伸ばすと、軍靴の表紙の時代へ続く。そんなに大昔ではない。決してその時代に後戻りすることのないようにと願う。
「被服報国」「軍民同装」の一方で
物資が乏しくなっていく中での衣服の変遷の展示もあった。日本では「被服報国」「軍民同装」のスローガンの元、自分のために装うことが抑制された。
防空頭巾にモンペ姿のマネキンと並んで立つ同時期のアメリカとイギリスのマネキンはワンピース姿だった。少ない布をやりくりしたデザインではあったが、今、街を歩いていても違和感はないと思った。
物資不足だけでなく精神面での制約が、日本はより強かったのだろうか。戦時中の国による装いの違い、そこに働いた心理をより知りたくなった。
写真を探したところ、戦後80年に「衣服が語る戦争」展から考える戦争と平和【マリ・クレールデジタル編集長の目】という記事のサムネイルに、日・米・英の衣装が並ぶ一枚を見つけた。ベージュとストライプ、どちらがアメリカでどちらがイギリスだったかは覚えていない。
「マリ・クレール」デジタル編集長、宮智泉さんによるレポート。ファッション誌に携わる人ならではの視点で書かれている。
時代の渦に巻き込まれ、その時には気がつかない、あるいは抵抗できないことはたくさんあります。しかし、その時にはわからなかったこと、感じなかったことも、歴史を振り返ると気がつくことはたくさんあります。博物館で、実際に展示されている品々が発する情報やメッセージの量は膨大であり、それらを見ることは、同じことを繰り返さないためにも重要です。
という力強いメッセージに深くうなずいた。
衣服が語る平和
ポスターのキービジュアルでも目を引く1997年にMOSCHINO(モスキーノ)が発表した空色のドレスは、後ろに鏡が置かれ、背中側を映していた。
正面側には鳩と「PEACE」の文字があしらわれているが、背中側には爆弾と「STOP」の文字があしらわれている。
正面が「平和」で、背中が「戦争」。
平和と戦争は表裏一体で、それは一瞬で反転する。平和から振り返れば戦争がある。そのことを忘れてはならない……。
一着のドレスに様々なことを考えさせられた。
展示に添えられた言葉にも感じ入った。特に、このくだり。
自分の分身ともいえる衣服に、平和への願いやメッセージを込めたり、平和を訴えるために衣服を活用しようとすることは、私たち一人ひとりの平和への切なる願いが表れたものとも言えるでしょう。
There are clothing items that carry wishes for peace, message of hope, or are used to advocate for peace. Fashion is often seen as an extention of ourselves, and these items are considered expressions of each individuals' heart-felt desire for peace.
衣服は戦争を語るが、平和も語る。
「装う自由」のありがたみ
じっくり見て回っていたら、閉館のアナウンスが流れた。
「おわりに」の言葉にも心打たれ、一部を書き留めたが、英訳を書き写すのは時間が足りず、読み上げて録音したものの、発音が悪すぎて、聴き取れない。書き起こせた部分も間違えているかもしれない。これから行かれる方がいたら、確かめていただきたい。この展覧会に込められた思いと、結末を知らなかった衣服たちが語る戦争を受け止めていただきたい。
戦時下の衣服の実態を見ると、衣料材料の不足に始まり、「装う」ことへの自由な思考が徐々に失われていくさまが感じられます。
When we look at _____clothing during wartime, we can learn how the freedom _____ tolerance for diverse styles addressed gradually diminished, beginning with the shortage of clothing materials.
現在、私たちが何気なく享受している自由な装いは、平和の上に成り立つ尊いものです。平和な社会がもたらす恩恵を実感していただければと思います。
The freedom to choose our clothings, something we often enjoy without much thought, is a precious privilege made possible by peace.
We hope that you would truly appreciate the blessings that a peaceful society brings.
何を受け止め、どう自分に落とし込むか。super-KIKIが見た「衣服が語る戦争」展(文化学園服飾博物館)──“着ること”と身体、社会をめぐる政治的な問い【戦後80年特集】にも考えさせられた。同じものを見て、違うものを持ち帰る「自由」もまた、戦後が続いているからこそ。
文化学園服飾博物館
戦後80年企画 衣服が語る戦争
2025年7月16日(水)~ 2025年9月20日(土)
開館時間 月~金 10:00-16:30/土 10:00-15:00
*入館は閉館の30分前まで
休館日 日曜、祝日、夏季休暇
入館料 一般1,000(800)円・学生500(400)円・小学生以下無料
*( )内は20名以上の団体料金
* 障害者とその付添者1名は無料
他にも訪ねたい博物館、美術館がある人には「ぐるっとパス」(2500円)がおすすめ。次回展示も興味深い。
衣が語る、物語が動く。
文化学園大学 国際文化学部 国際ファッション文化学科 舞台衣装展示
2025年10月6日(月)~ 2025年11月4日(火)
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目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。