8月ジャーナリズムを保温する
「8月ジャーナリズム」という言葉を知ったのは、今年の7月のことだった。
戦場体験放映保存の会が主催する「戦後80年目の戦場体験上映会」(会場は大好きな日比谷図書文化館)の2日目、「語らずに死ねるか! 無名の元兵士たちの声」に続いて上映された特攻のインタビュー動画の解説にあたった毎日新聞学芸部の栗原俊雄さんの言葉で知った。

常夏の「戦争と平和」
8月になると戦争と平和の記事が増え、8月が終わると静まる。ブームのような一時的な盛り上がりを揶揄して「8月ジャーナリズム」。
戦争と平和に旬などあってたまるかと、季節を問わず取り組んでいる栗原俊雄さん。ある日、「常夏ですね」と人から言われた。8月ジャーナリズムが年中続いているということだ。それが気に入っていると誇らしげに言った。
8月が近づくと、確かに考える機会は増える。実際わたしのnoteではどうなのか。
戦争と平和を扱ったnoteをいくつか書いている。見てみると、公開日が8月に集中していた。noteが8月ジャーナリズムになっていた。
紙の墓『絶後の記録』
時系列に並べてみると、『絶後の記録─広島原子爆弾の手記』について書いたnote「一冊の『紙の墓』」が2020年8月17日。
2020年8月。原爆投下から75年。わたしが小学生のとき、ヒロシマ、ナガサキは今よりもっと近く、生々しかった。年々遠ざかる原爆の日を、薄まる戒めを、少しでも胸に刻みつけておこうと手に取る本がある。
原爆を記録した本や文書にはいくつか出会ったが、これほど事実が痛々しく迫ってくる本を知らないし、これほど美しく切ない恋文も知らない。著者が妻を思う気持ちが胸を衝くたび、二人を引き裂いた戦争と原爆を憎まずにはいられなくなる。(中略)平和に慣れると、ありがたみを忘れがちだが、平和なときこそ、それを壊すものを恐れなくてはと思う。ほんの半世紀と少し前には、この国も地獄を味わったことを、思い返す機会を持ちたい。
8月だから書こう、書かなきゃとなって書いた覚えがある。このnoteを読んで『絶後の記録─広島原子爆弾の手記』を手に取ってくれた人が何人かいた。
英語版を読んで映画化を企画したKingaさんとの出会いもnoteに書いた。ルーマニアからハンガリーへ亡命し、後にアメリカに渡ったKingaさんは大学の恩師に『絶後の記録』を勧められた。原爆投下に翻弄されて家族と引き裂かれた著者に自身の体験を重ねたという。
戦争孤児と『走れ歌鉄!』
NHK FM青春アドベンチャー「走れ歌鉄!」の再放送に合わせて書いたnote「胸の燃料を焚きつけろ─青春アドベンチャー『走れ歌鉄!』」が1年後の2021年8月15日。
「走れ歌鉄!」を書き始めたのは戦後70年だった。
演出の小見山佳典さんに「青春アドベンチャーやりませんか」と声をかけていただいて、パッと思い浮かんだのが「鉄道もの」。そこからの連想で「戦後に戦争孤児たちが自分たちで機関車を走らせる」という物語が膨らんでいきました。
戦後70年の昨年夏から冬にかけて、何冊もの資料を読み、そこで知ったたくさんの戦争孤児たちの壮絶な体験や悲痛な想いを受け止め、登場人物たちに宿らせていきました。
ウクライナ侵攻と『最終兵器膝枕』
note「膝枕は戦争を終わらせられるか─『最終兵器膝枕』」は1年半後、2023年2月20日。8月ではないが、ロシアのウクライナ侵攻から1年が経とうとしているというニュースが流れていた頃だ。
小説『最終兵器膝枕』は、こんな書き出しで始まる。
長引く戦争を終わらせる方策を東西の首脳たちが話し合った。
「わが国に最終兵器があります」
昭和4年生まれと戦争
2024年6月11日のnote「80過ぎた者に元気ですかなんて聞いちゃあいけませんよ」には、書こうと思って書いたわけではないが、戦争の話が出てくる。
振り返っているのは2008年のことで、当時80歳だった人生の先輩との会話に戦争が出てきた。
植物園の椿を見ながら、「女房がこの花を苦手で、その理由を結婚してからずっと知らなかったんですが、やっと話してくれましてね。戦争で父親が亡くなったとき、暑い季節で、棺に入れる花がなくて、これだけが咲いていたんですって。真っ赤な椿だったそうですよ」と余語先生は語った。戦争がわたしよりずっと近くにあることは、余語先生も高田さんも同じだった。
わたしの40年ほど年上だったお二人は、その分わたしより戦争に近かった。もっと話を聞いておけば良かったと思う。
口紅とあんみつと舞鶴引揚記念館
その年の8月25日にnote「口紅引いて、あんみつ食べて─舞鶴引揚記念館」を書いた。これも8月だから書きたい、書かなきゃと思った。
船の中で息絶えた幼い少女に、乗り合わせた女性が持っていた口紅を塗ってあげた話が印象に残った。少女はおしゃれも恋も覚える前に短い命を閉じた。口紅を差し出した女性は、その後、おしゃれを楽しめただろうか。平和というのは、口紅を引いて、食事や買い物やデートに出かける自由があることで、それを奪うのも戦争なのだ。
Visual Vernacularと"No more Hiroshima"
翌年2024年の8月にはnote「『VVって何?』の先にNO MORE HIROSHIMA」を書いた。
このnoteで紹介している那須映里さんの"No more Hiroshima" Visual Vernacularは全世界に常夏で観て欲しい。
戦後60年『昭和八十年のラヂオ少年』
2025年3月22日公開のnote「3.22ラジオ放送百年─『昭和八十年のラヂオ少年』」は、ラジオ放送80年の2005年に放送されたFMシアター『昭和八十年のラヂオ少年』の脚本を掲載。14歳の元気がタイムスリップした先は66年前の昭和14年。そこで出会った同い年のフヂオの父親は徴兵されたばかり。
ラジオは「戦況は著しく進展しました。西へ西へと快進撃を続けるわが津田部隊は、今朝未明、敵の本拠地近くにある要塞を突破いたしました」とフヂオの父の所属部隊の戦いぶりを伝えている。
今年2025年はラジオ放送100年で戦後80年。ラジオ放送が始まった20年後から戦後が始まっている。
年に一度だけ思い出されても
このnoteは7月のうちに公開したかったのだが、8月になってしまった。
今年2025年は戦後80年ということもあり、8月より前から戦争と平和の記事やニュースに触れる機会が多かったように思う。
8月ジャーナリズムがあるように、周年ジャーナリズムもある。8月だから、80年だから、ニュースになる。記事になる。関心を呼ぶ。
過去の日記を「原爆」でワード検索したら、2007年08月17日(金)の日記がヒットした。タイトルは「年に一度だけ思い出されても」。
今年も24時間テレビの季節がやってきて、新聞でもテレビでもネットでも番宣記事を連日見かける。そのたびに、少し前に会った方に言われた言葉を思い出す。
「年に一度、24時間テレビの日だけ思い出されて、あとの日は忘れられてもなあ」とその脳性麻痺の男性は言った。
日本中が注目し、共感し、涙するその24時間の前にも後にも続いている日常がある。その日だけ、思い出したように思い出すことより、意識の片隅に意識して置いておくことのほうが意味がある。それはわかっているけれど、流されるように、追い立てられるように生きていると、きっかけでもなければ、立ち止まることを忘れてしまう。
花火のように派手でパーッと盛り上がって散るものは目を引くし、人を集めやすい。それに引き換え、燃え盛った火の名残を小さく灯し続けることはずっと地味だけれど、ずっと難しく、根気を要する。少し前に戦争関係の記念日が続いたこともあり、原爆の火を受け継ぐ人々のことを思ったりしながら、「年に一度だけ思い出されても」という一言が頭から離れなくなっている。
8月きっかけで保温する
《日本中が注目し、共感し、涙するその24時間の前にも後にも続いている日常がある。その日だけ、思い出したように思い出すことより、意識の片隅に意識して置いておくことのほうが意味がある》
「24時間」を「ひと月」に置き換えてみる。8月ジャーナリズムに必要なのは、打ち上げ花火で終わらせない持続性だ。
きっかけがあるのは悪いことではない。大事なのは、8月が終わっても、熱を冷まさないこと、忘れないこと。
だから、また書こう。書き続けよう。
8月も、そうでない月も。
戦後80年も、その後も。
常夏とまでいかなくても保温を心がけたい。いつか書きたいと温めていることを書き留めておく。
交換留学でホームステイに来たアメリカ人の高校生と家族旅行で原爆ドームを訪ねたこと。
留学したとき、アメリカ史で原爆の授業をやる前日、「授業を受けるかどうかはあなたが決めていい」と先生が言ってくれたこと。
ワーキングホリデーでドイツに行っていた高校時代の同級生とデュッセルドルフ駅で待ち合わせてアウシュビッツを訪ねたこと。
これまでに読んだ本、観た映画のこと。
8月ジャーナリズムnoteを更新する
このnoteを公開した後に公開した「戦争と平和」noteを順次追記。
留学先の授業でのHIROSHIMA
いつか書きたいと温めていたリストからnote「『明日の授業でHIROSHIMAをやるけど、あなたには受けない自由がある』とMrs.Leeは言った」を8月8日に公開。
8月ジャーナリズムの中でも原爆関連の発信と関心は8月6日、9日の近くに集中している。
40年近く前の出来事を書かねばとかき立ててくれたのも、やはり8月であり、原爆の日だった。「ひながたを形に」とコメントを寄せてくださった、たなかよしあきさんにも背中を押していただいた。
「戦後80年 戦争とハンセン病」展と資料館
結末を知らなかった衣服たちが語る戦争
800人と聞いた「あの戦場体験を語り継ぐ集い」
子守話「チョコレートのちきゅう」
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目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。