会いましょう化石になる前に
「今井さんを知っているという方から名刺をお預かりしました」
名刺の主の名前を聞いて、ひゃーっとなった。
高校時代の交換留学の同期。20世紀の友人。連絡を取り合わないまま21世紀も4分の1が過ぎようとしている。
メールに添付された名刺のアドレスに連絡を取り、返信が来て、すぐにでも会いたいねとなり、電話番号を交わし、LINEでつながり、その日を迎えた。
わたしが打ち合わせを終えたら、落ち合う約束。LINEの既読がつかず、電話をかけると留守電。無言で切ってしまう。ショートメールを打ちかけたスマホが折り返しの着信で震えた。
声を聞くの、何十年ぶり?
話し方はあの頃のまま、まるで変わらない。
一瞬で時間が巻き戻される。
「わたし、カラスよけの的みたいなワンピース着てる」と目印を伝えると、
「私は全身黒」と彼女は言った。
言葉通り全身黒で現れた彼女は難なくカラスよけの的を見つけ、微笑んだ。
この笑い方、知ってる。覚えてる。
久美ちゃんだ! 久美ちゃんだ!
久美ちゃんも「まいまいだ!」と声を弾ませる。
ネットで見つけておいた良さげなカフェは、いつも通っている道沿いのアパレルショップの2階にあった。店の倉庫だったスペースをカフェにしている。
「今の流行りと逆行してるんですけど、うちのコーヒーは酸味が少ないんです」
誇らしげにそう言う店員さんのシャツにも、ラテアートが美しいカフェラテの紙コップにも、恐竜の骨格がデザインされている。
カフェと恐竜。どんな関係が?
恐竜シャツの店員さんに聞いてみた。
「オーナーがトリケラトプス好きなんです」
よく見るとトリケラだ。植物食恐竜トリケラトプス。大ぶりのエリザベスカラーみたいな首まわりのフリルが特長で、攻撃をかわす鎧の役割を果たす。
「恐竜詳しいね」と久美ちゃんに言われて、
「恐竜番組やってたから」
NHKで放送された『恐竜超世界』の1と2に関わったが、脚本家がNHKの科学番組に参加するのは珍しいと思う。わたしと久美ちゃんの再会の橋渡しをしたのは、その恐竜番組だった。
長年NHKでドキュメンタリー番組を手がけてきた久美ちゃんは、数週間前のある日、横のつながりを求め、わたしが所属する日本シナリオ作家協会に話を聞きに来た。
「会員で、NHKのドキュメンタリー番組の脚本を手がけている人は、いますか?」
そう聞かれ、応対した事務局の職員がわたしの名前を出したところ、
「雅子ちゃん⁉︎」
驚く久美ちゃんの反応に職員が驚いた。預けられた名刺がわたしに届き、再会の運びとなったのだった。
わたしたち、いつぶり?
「私の最後の記憶は空港なんだよね」と久美ちゃん。
「行きの? 帰りの?」
「どっちだろ」
ワシントンD.C.での研修を終え、それぞれの留学先へ向かう空港だったら、39年ぶり。帰国した成田だったら、38年ぶり。
どっちにしても、最後に会ったのは大昔。
高校生だったふたりは、そこから3倍あまりの歳になった。
通りに面した窓際のカウンター席に、間に丸椅子ひとつ空けて腰を下ろし、その椅子を挟んで体を向かい合わせにして話す。
あれからどうしてた?
久美ちゃんは高校3年生に戻って続きをやり、わたしは高校2年生に戻って続きをやり、久美ちゃんは東京で、わたしは京都で、大学生になった。
わたしが就職した広告代理店で、久美ちゃんは学生時代にバイトをしていた。
後にわたしがコピーを書くことになるクライアントの本社に通い、データのコピーを取ってくる。スキャンして電子メールで添付じゃなかった時代の仕事。
高校生を4年やった久美ちゃんは大学生を5年やり、わたしと同じ年に就職していた。久美ちゃんは番組制作の会社に、わたしは広告制作の会社に入った。
どちらも、アイデアを出して、磨いて、カタチにする仕事。
わたしがドイツのペンフレンドの家に滞在し、へなちょこドイツ語で交流していた一方、久美ちゃんはドイツで暮らし、語学学校に通ってドイツ語を磨いていた。
「学校って週1とか?」
「ううん、毎日」
すごい。本気だ。
「じゃあ英語よりドイツ語のほうがうまくなった?」
「ううん。英語には追いつかないね」
英語のほうが使う機会が多いし、十代の頃の吸収力にはかなわない。それでも仕事で使えるレベルだというから相当できるのだろう。
久美ちゃんは現在、フリーでドキュメンタリー番組のリサーチを担っている。手がけているのは「映像の世紀バタフライエフェクト」。担当した回で一番気に入っているのがドイツの元首相メルケルについての回だそう。
ドイツ語いいよねの話を続けた。発音が簡単なのがいい。
「母音が強いしね」と久美ちゃん。
そう。だから、カタカナ読みで、それらしく聞こえる。
ペンフレンドの家の幼な子に絵本の読み聞かせをしたら、「マサコはあんなにドイツ語をしゃべれないのに、なぜ、そんなに読めるのか」とペンフレンドの夫が目を丸くしたという話をした。
4年前に書いたnoteで「38年来のペンフレンド」を語っているが、ペンフレンドとの出会いは、わたしが中学1年生のとき。当時東西ドイツはベルリン壁に隔てられていたが、母に連れられて訪ねたのは「東」のほうだった。
その旅で世界へ目が開かれたことを面接で語り、奨学金留学を勝ち取ったので、ドイツのおかげでアメリカに行けた。久美ちゃんにも出会えた。
久美ちゃんがわたし以上にドイツに縁深いと知って、わおとなった。
東ドイツへの旅で強烈に覚えているのは、強制収容所を見学したこと。
そこは人体実験を行っていたところで、麻酔をかけずに目が3つある人間を作った術後写真を見せられた。ネットで流れてきたグロテスクな写真をうっかり目にすることのなかった時代の中1が見るには、衝撃が大きすぎた。
「戦争って爆弾はもちろん怖いけど、何をやっても許されるってなったら、人間ってここまで残酷になれるんだなって。それが怖かった」
そんなことを話すと、久美ちゃんは「ザクセンハウゼンかな」と心当たりのある収容所の名前を口にした。
「旧東ドイツで人体実験をしていた収容所。私も行ったよ」
名前に聞き覚えのある気もする。そこだったのだろうか。調べてみると、広大な収容所らしいが、広かったという記憶はない。覚えているのは、学校の教室よりも小さな部屋で説明を聞いた息苦しさ。そのスライドの中に「3つ目にされた人」がいた。
38年か39年かぶりに再会して、旧東ドイツの強制収容所の話をすることになるなんて、驚きだ。
久美ちゃんはドイツ関連の番組企画を手がけることも多く、ホロコーストの本や資料を原文で読み、現地で取材もしている。強制収容所のことにも詳しかった。
そこから映画の話になった。好きな作品のタイトルを聞かれて『善き人のためのソナタ』と『グッバイ・レーニン』を挙げたら、「私も!」と一致した。後で写真が送られてきた本棚の映画コーナーに、その2本のDVDがあった。
昨年読んだ『夜と霧』の話をしそびれた。次に会ったときに。
「インドネシアにもいたの」と久美ちゃんが言うので、
「インドネシア語もかじったことある!」と食いつき、言語の話に戻った。
インドネシア語は単語が短くて、ア(A)で終わる単語が多くて、響きが明るい。発音しやすくて文法もシンプル。
「かわいいよね。Saya mauとか」と久美ちゃん。
sayaがわたしで、mauマウはたしかwantだ。
sukaはlike。「好き」に似ている。
「過去形もないしね」と久美ちゃん。
「あれ? 過去形を作る単語なかった? tidaだっけ?」
「tidaは否定形、notだね。sudaじゃない? alreadyの意味」
「それだ! 済んだのsuda!」
何年どころか何十年も使っていないインドネシア語のフレーズが記憶の底から浮かび上がる。
語学とは伏線回収である。
「bahasa indonesiaがインドネシア語だよね? 『インドネシア語少し話せます』は、"Saya bisa bicara sedikit bahasa indonesia"だっけ」
bisaビサはcan。
bicaraはspeak。
sedikitはa little。
「言葉が好きなのね」と久美ちゃんが言う。
「うん。大好き」
少し前にアイスランド語を学ぼうとしたらDuolingoになくて、似ていると言われるスウェーデン語とノルウェー語をかじったという話をすると、
「スウェーデン語のアルファベットって、上に小さい◯がついてるの、あるよね? ドイツ語と結構似てて、デンマーク語はもっと似てる」と久美ちゃん。
さらにアイスランドの首都レイキャビックがサッと出てきて、「チェスの世界大会が開かれていた」という。
久美ちゃんは、あらゆる話題にアンテナを張り巡らせていた。38年か39年の空白が共通の話題で埋まっていく。
わたしたちが出会った留学プログラムは公募だったから、応募という形で手を伸ばした人たちが集まっている。何かを知りたい、手に入れたいとき、自分から近づこうとする傾向はある。
これまでつながってこなかったのが不思議だし、どこかですれ違っていたかもしれないが、再会のタイミングが遅くなった分、連想ゲームの反応速度は速くなった。
歳を重ねるほど世の中が狭くなるのは、自分の世界が広がって、点と点がつながりやすくなるから。ひとたび再会すると、連想のバタフライエフェクトで共通の話題が次々出てきて、またたく間に点が塗り絵になっていった。

羽ばたきは、さらに続いた。
わたしの書いたNHK FMのラジオドラマ(青春アドベンチャー「走れ歌鉄!」)に出演し、誕生日が同じという縁で仲良くなった役者の大浦千佳が、こんなことは初めてなのだが、この日、「少しご相談したいことがあり、お茶とかできたらなんて思って」と連絡をくれていた。
「これからこの店で人に会うんだけど、その後空いてるからどう?」と久美ちゃんと会うカフェの情報を伝えると、「店まで行きます」と返事があった。
「この後、こんな人に会うから紹介するね」と久美ちゃんに言い、大浦千佳とのなれそめを話すと、
「2月9日生まれと言えば」と俳優、織本順吉さんの名前を挙げ、
「尊敬するディレクターが織本さんの番組を作って、その人も2月9日生まれで、誕生日同じですねってなった現場にいたの」と言う。
NHKの番組は2月9日生まれを引き合わせるのか⁉︎
少なくとも2組の実績が確認された。
カフェの前まで来た大浦千佳を久美ちゃんに紹介するとき、「深作健太さんのドイツ戯曲に出演していた」というドイツつながりを思い出した。これも何かのご縁。「『ブリキの太鼓』とか」と出演作のタイトルを挙げると、「ああ、ギュンター・グラスの?」とサッと作者名が出て、あらすじもさらさらと出て、さすがだった。
「ギュンター・グラスがサッと出てくる人、わたしの周りに他にいないよ。というか、今日現れた」とわたし。
「38年ぶりの再会なんです」と久美ちゃんが続けると、大浦千佳は丸い目をさらに丸くした。
「38年前、大浦千佳、何歳だった?」
「私、まだ生まれてないです」
今の大浦千佳が出来上がるまでの年月より長い時間、会っていなかったとは。
「ここと違う店でお茶しよっ」と歩き出し、いつも通りかかって気になっているけど一度も入ったことのない店の前で足を止めた。
「ここ入ったことある?」と久美ちゃんに聞くと、
「2月9日生まれのディレクターと来たことある店」
うわ、またつながった、すごいね何これと笑って、久美ちゃんとハグして別れ、大浦千佳と店に入り、座り心地の良いソファ席で向き合った。

「で、相談って?」
大浦千佳から折り入って「ご相談が」なんて連絡をもらったのは初めてだったから、何か大変なことが起きているのかと身構えたら、
「こんなこと思いついたんですけど、誰に話そうかなと思って、今井さんなら聞いてくれるかなって」
まったく緊急性のない、ほのぼのした相談だった。
「今日連絡して今日会えると思ってなくて、びっくりしました」
「今日会うべしってことだっだんだね。久美ちゃんにも紹介できたし」
会いたい人、会うべき人には会えるときに会わなきゃといつも以上に思った。
会いましょう。化石になる前に。
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