硝子の共感覚 #45 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律
前回
第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)
第八章:不協和音の対峙(アンチ・レゾナンス)
1.師弟の呼吸
佐久間「……おい、生きてるか、荒木」
爆煙が立ち込める階段の踊り場で、佐久間は低く掠れた声で問いかけた。
脇腹からの出血が止まらず、意識が遠のきかけていたが、目の前に立つ巨躯の背中を見て、辛うじて正気を繋ぎ止める。
荒木「……へっ、死ぬかと思いましたよ。あんたに教わった『火事場の馬鹿力』ってやつがなけりゃな」
荒木は、先ほど引き剥がした重厚な鉄の扉を盾として構えたまま、荒い呼吸を繰り返している。
その腕は小刻みに震え、全身の筋肉は断裂寸前だったが、その瞳に宿るオレンジ色の光は、かつて捜査一課で佐久間の背中を追いかけていた頃よりも鋭く、力強い。
ピピピッ、ピピピッ!
佐久間の首元を狙う赤いレーザーサイトが、再び壁の向こうから伸びてくる。
自動迎撃システムが次なる狙撃への充填(チャージ)を開始した音だ。
佐久間「荒木、よく聞け。あの狙撃銃のセンサーは、熱源と輪郭で標的を特定している。……あの鉄板を盾にして、3秒後に左側の通気ダクトに向かって突っ込め。俺がその影から制御ユニットを撃ち抜く」
荒木「無茶言いますね……。外したら俺の頭、スイカみたいに弾けますよ」
佐久間「俺の腕を信じろ、荒木!」
佐久間が血の混じった笑みを浮かべ、拳銃を構え直した。
佐久間「……3、2、1――行けッ!」
荒木が咆哮と共に飛び出した。
重い鉄の盾を掲げ、弾丸の雨の中を突き進む。
ギィィィンッ! ガガッ!!
超高精度の狙撃弾が鉄板を貫こうと火花を散らす。
その衝撃で荒木の肩が脱臼しかけるが、彼は一歩も退かない。
その刹那、荒木の巨体の影から、佐久間の銃口が火を噴いた。
タァンッ!
放たれた一弾は、天井の隅に隠されていた小型の受光センサーを、正確無比に粉砕した。
瞬時にレーザーの光が消え、自動狙撃銃が力なくその銃身を垂らす。
荒木「……ったく、心臓に悪いぜ」
荒木が鉄板を投げ捨て、膝をついた。佐久間が壁を伝いながら歩み寄り、荒木の肩を無造作に叩く。
佐久間「及第点だ。……行くぞ、荒木。九条の背中が空いちまってる」
満身創痍の師弟は、互いの肩を貸し合いながら、血の足跡を残して上の階層へと歩み始めた。
組織が張り巡らせた蜘蛛の巣のような罠を、彼らの意地と絆が、一つ一つ力業で食い破っていく。
2.真紅への登攀
同じ頃、九条は一人、中央エレベーターのメンテナンスシャフトを這い上がっていた。
佐久間が指示した通り、剥き出しのワイヤーを掴み、自身の身体を上層へと引き上げる。
摩擦で手の平の皮が剥け、鮮血がワイヤーを濡らしていくが、痛みを感じる余裕はなかった。
蓮(……聴こえる。いや、視える)
上層へ近づくにつれ、九条の共感覚が捉える世界は、より一層の狂気を帯びていた。
建物の芯を流れる電力の振動が、耳障りな高周波となって脳を刺す。
それはもはや電気信号ではなく、慧の「憎しみ」が凝縮された音の暴力だった。
壁や床を伝う真紅の波形は、九条の意識を飲み込もうと、まるで生き物のように蠢いている。
蓮「……負けない」
九条は、自身の内側に眠る「紺青の旋律」を強く意識した。
荒木がその身を呈して守ってくれた、あのオレンジ色の鼓動。
佐久間が冷静に、しかし情熱を持って切り拓いてくれた、あの銀色の律動。
それらが九条の中で混ざり合い、真紅の濁流に抗う唯一の防波堤となっていた。
ついに最上階、第60フロアのメンテナンスハッチに辿り着いた。
九条は最後の力を振り絞って重い蓋を押し上げ、フロアの床へと這い上がった。
そこは、外界の雨音すら遮断された、静寂と狂気が同居する空間だった。
3.鏡像のふたり
広大なフロアの壁一面には、無数のサーバーラックが立ち並び、それらが放つ青白いインジケーターの光が、異質な幾何学模様を描き出している。
その中央。
横浜の夜景を一望できる全面ガラス張りの窓を背に、巨大な放送用コンソールが鎮座していた。
その椅子に深々と腰掛け、モニターの明かりに照らされている人物。
慧「……来たんだね、兄さん。思ったより少しだけ遅かったけど」
その声が響いた瞬間、九条の全身に鳥肌が立った。
自分と全く同じ声。
しかし、その響きには血の通った温もりが一切なく、氷のナイフのように鋭
利で冷淡な波動が混じっている。
椅子がゆっくりと回転し、その人物が九条と正面から向き合った。
蓮。
そして、慧。
瓜二つの顔を持つ二人の青年が、ついに運命の場所で対峙した。
慧の服装は、九条のカジュアルな装いとは対照的に、隙のない漆黒のスーツで固められている。
その端正な顔立ちには、九条にはない「支配者」としての傲慢さと、底知れない虚無感が貼り付いていた。
慧「荒木と佐久間……あの『ノイズ』たちは、下で片付いた頃かな? 僕の最高傑作である自動迎撃システムからは、誰も逃げられない」
慧は細い指先で、コンソールのフェーダーを愛おしそうに撫でた。
蓮「……彼らは負けていない。僕をここまで運んでくれたのは、彼らの意志だ」
九条は、激しく上下する肩を落ち着かせ、眼鏡の奥の瞳で慧を射抜いた。
蓮「慧……もうやめるんだ。こんなことをしても、君は何も手にすることは出来ない」
慧「手にする? 当たり前だよ、兄さん。僕は手にするためにやってるんじゃない。すべてを『上書き』するためにやってるんだ」
慧が低く笑う。
その笑い声に合わせて、周囲のサーバーラックが一斉に唸り声を上げ、フロア中のモニターが真紅に染まった。
慧「この街の連中の脳に、僕の孤独と憎悪を、完璧な波形として刻み込んでやる。そうすれば、世界は僕と同じ色になる。誰も僕を『違和感』なんて呼ばない、完璧に調和した地獄が完成するんだ」
慧がゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、九条の視界に映る「赤」が、爆発的な輝きを放った。
慧「……さあ、始めようか、九条蓮。不完全なオリジナルと、完璧な模造品……どちらの声が、この世界に相応しいか。最後の調律(チューニング)といこう」
慧の手が、メイン出力を最大にするスイッチへと伸びた。
九条は、震える手でポケットの中の音叉を握りしめた。
嵐の横浜の頂上。
血を分けた双子の、魂を削り合う最後の不協和音が、今まさに奏でられよう
としていた。
【第三部 第八章・完】
次回
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