硝子の共感覚 #46 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律
前回
第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)
第九章:絶望の共鳴(レゾナンス・オブ・デスパイア)
1.呑み込まれる「紺青」
蓮「……あ、ガはっ……!」
九条蓮は、冷たいコンクリートの床に膝をつき、激しく血を吐き出した。
視界が、どろりとした「真紅」に埋め尽くされている。
それは物理的な出血によるものだけではない。
最上階のサーバー室全体を支配する、慧の放つ暴力的な「真紅のノイズ」が、九条の共感覚を限界まで引きちぎろうとしていた。
九条は震える手で音叉を床に叩きつけ、自身の「紺青」の波動を放とうとする。
しかし、その微かな抵抗は、巨大な通信塔の電力増幅器を介した慧の出力の前には、大海に投げられた一石にも満たなかった。
慧「無駄だよ、兄さん。君の『紺青』は美しいけれど、あまりに細く、あまりに脆い。一人の人間の脳が奏でる波形なんて、この塔の出力にかかれば、ただのノイズとして処理されるだけだ」
慧はコンソールの前に立ち、流れるような手つきでスイッチを切り替えていく。
慧「あと三分。この街のすべてのスピーカー、スマートフォン、テレビから、僕の声が、僕の絶望が流れ出す。それは物理的な音じゃない。直接脳の深淵に刻み込まれる『書き換え』だ。横浜は、僕の意識という巨大な檻の中に収穫されるんだよ」
蓮「……そんなこと、させ、ない……」
九条は立ち上がろうとするが、三半規管を直接かき乱すような高周波の壁が、彼の平衡感覚を奪い去る。
壁を伝う真紅の血管が、ドクンドクンと脈打ち、勝利のカウントダウンを刻んでいた。
2.満身創痍の絆
その時、閉ざされていたサーバー室の重厚な電子ロックが、内側から激しく吹き飛んだ。
荒木「――待たせたな、九条ッ!」
硝煙の中から飛び込んできたのは、血まみれになりながらも互いの肩を貸し合う、荒木と佐久間だった。
荒木のスーツはもはや原形を留めておらず、剥き出しの腕は火傷と銃創で無残に腫れ上がっている。
佐久間もまた、脇腹を強く押さえ、顔面は蒼白だったが、その瞳に宿るベテラン刑事の執念は微塵も衰えていなかった。
蓮「荒木さん! 佐久間さん!」
九条が叫ぶ。
荒木「……ハッ、派手にやってやがるな。ガキの喧嘩にしちゃあ、場所が豪
華すぎるぜ」
荒木はふらつく足取りで九条の前に立ち、慧に向かって拳銃を構えようとした。
しかし、引き金にかけた指が、激しい振動でまともに動かない。
慧「無意味なことを。ボロボロの元刑事が二人増えたところで、何が変わるというんだい?」
慧が冷ややかに指を鳴らす。
瞬間、フロア全体に高出力の「拒絶波」が放たれた。
荒木「ぐあぁぁッ!」
佐久間「うあっ……!」
荒木と佐久間は、見えない巨大な壁に叩きつけられたかのように、後方の壁まで吹き飛ばされた。
二人の傷口から再び鮮血が噴き出し、床を濡らす。
3.閉ざされた道
蓮(……何か、手立てはないのか……)
九条は苦悶に顔を歪めながら、辺りを見回して方法を探る中、佐久間が何かを見つめていることに気付いた。
佐久間は、フロアの隅にある配電盤やサーバーの接続端子を鋭い眼光でスキャンしていた。
佐久間「……クソ、最悪だ。システムはすでに『自動同期モード』に入っている。コンソールを物理的に破壊しても、すでにクラウドと各中継局のバッファにデータが転送されちまってる……。ここを爆破しても、一分後には自動的に発信が始まる仕掛けだ」
蓮「そんな……。じゃあ、止める方法は……」
佐久間「……理論上は、発信源である慧の『声帯波形』と完全に逆位相の波を、全チャンネルに同時にぶつけるしかない。だが、そんなことは人間業じゃない。……慧の波形は常に変動している。それをリアルタイムで解析し、一寸の狂いもなく逆の波をぶつけ続けるなんて、スーパーコンピューターを何十台並べても間に合わん」
希望が、音を立てて崩れ去っていく。
九条は自身の音叉を見つめた。
自分の声、自分の波。
蓮(僕が、慧を相殺する? ……無理だ。出力が違いすぎる。僕の声じゃ、このフロアを充たすことすら……)
慧の指が、最終実行のエンターキーの上に置かれた。
窓の外、雨に濡れる横浜の街が、不気味なほど静まり返っている。
数秒後には、この街の数百万の命が、慧の歪んだ精神の奴隷となる。
慧「……終わりだ、兄さん。僕は兄さんを上書きして一つになる。今度は僕が表舞台に立ち、ここを支配する!」
4.刑事のぼやき
万事休す。
九条は絶望に打ちひしがれ、首を垂れた。
佐久間は悔しげに拳を床に叩きつけた。
もはや、奇跡を願う言葉すら出てこない。
その沈黙を破ったのは、壁にもたれかかり、自身の折れた肋骨を庇うように座り込んでいた荒木の、場違いなほど「いつも通り」のぼやきだった。
荒木「……けっ。最悪だぜ。……九条、お前ら、あんなにソックリなツラして並んでよ。……声まで同じ、波形も同じ。……刑事やってた頃によくあったんだよな、双子の取り調べ。……どっちがどっちだか分かんなくなって、無線も混線しちまってよ……。……まるで、一つのラジオから二つの同じ番組が流れてるみたいで、聴いてるこっちは頭が割れそうだったぜ……」
荒木は、自身の血で汚れたシャツのボタンをむしり取り、それを弄びながら空を見上げた。
荒木「……二つあるのに一つ。……一つなのに二つ。……混ざり合って、ぐちゃぐちゃになって……。……結局、ノイズが酷すぎて何も聞こえなくなるんだよな……」
荒木にとっては、ただの忌々しい過去の記憶の吐露に過ぎなかった。
極限状態の中で漏れ出た、一人の男の取り留めのない一言。
だが。
その言葉を耳にした瞬間、九条蓮の脳裏に、雷鳴のような衝撃が走った。
蓮「…………混ざり合う?」
九条は、自身の掌を見た。
そして、目の前に立つ慧を見た。
蓮「二つあるのに一つ……。……波形が、同じ……?」
九条の共感覚が、今までにない鋭敏さで世界を再構成し始める。
「真紅」と「紺青」。
対極にあると思っていた二つの色は、元を正せば「同じ遺伝子」から生まれた「同じ周波数」の変異体に過ぎない。
蓮(もし……。もし僕が慧を『否定』するのではなく、慧に『溶け込む』ことができたなら?)
九条の瞳の中で、絶望の影が、ある種の狂気にも似た「閃光」へと変わっていった。
彼は音叉を握り直す。もはや手の震えは止まっていた。
蓮「……荒木さん。……今、なんて言いました?」
九条の声には、先ほどまでの悲痛な響きは消えていた。
荒木が不思議そうに顔を上げ、九条の変貌した表情に息を呑む。
荒木「……え? ああ、いや、双子は混線してノイズが酷いって……」
蓮「……それだ」
九条蓮はゆっくりと立ち上がった。
真紅の地獄の中で、彼の身体から放たれる「紺青」の光が、今までとは異なる不気味な静謐さを帯びて収束していく。
蓮「慧。……僕たちは、ひとりじゃない」
九条の言葉に、初めて慧の眉が微かに動いた。
運命の調律(チューニング)は、ここから全く未知の領域へと足を踏み入れようとしていた。
【第三部 第九章・完】
次回
いいなと思ったら応援しよう!
応援いただけると嬉しいです。
皆さんに楽しんでいただける作品を作れるよう、より一層がんばってまいります。