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硝子の共感覚 #47 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律

前回


第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)


第十章:共鳴の果てに(ラスト・レゾナンス)


1.同一性の罠


慧「……何をするつもりだい、兄さん」

慧の指がエンターキーの上で止まる。

九条から放たれる「波」が、先ほどまでの拒絶とは明らかに異質な、吸い込まれるような静謐さを帯び始めたからだ。

蓮「慧、君が言ったんだ。僕たちは二人で一つだって」

九条は一歩、また一歩と、真紅のノイズが渦巻くコンソールへと近づいていく。

蓮「僕たちは同じ設計図(遺伝子)から生まれた。声帯の震えも、脳の回路も、根本の周波数は同じはずだ。……だったら、僕が君を『否定』する必要なんてない」

九条は音叉をそっと床に置いた。

もう道具は要らない。

蓮「荒木さんが言ったんだ。双子が並ぶと、混線して何も聞こえなくなるって。……完璧な君の信号に、僕という『不完全な同じ音』を重ねる。そうすれば、このシステムはどちらが主導権(マスター)か判断できなくなり、フィードバックを引き起こして自壊する」

慧「……正気か!? そんなことをすれば、君の精神(意識)も無事では済まない! 脳が焼き切れるぞ!」

初めて、慧の顔に焦燥の色が走った。


 2.二重奏(デュエット)


荒木「……上等だぜ。九条、やれッ!」

壁際で血を吐きながら、荒木が叫んだ。

荒木「お前が焼き切れる前に、俺と佐久間さんでこのクソッタレな機械を物理的にぶっ壊してやる!」

佐久間も、震える手で予備のマガジンを叩き込んだ。

佐久間「……同期が始まった瞬間に生じる『回路の過熱』を狙う。九条、お前がノイズになれ。その隙に、冷却システムの基盤を俺たちが叩く」

九条は深く頷き、慧の目の前で、その瞳を真っ直ぐに見つめた。

蓮「独りにはさせないと言っただろう、慧。……地獄へ行くなら、僕の声も連れていけ」

九条が口を開き、細く、しかし純度の高い「紺青」の声を絞り出した。

それは歌ではなく、ただの一定の周波数。

だが、それは慧がシステムに入力している波形と、極限まで「似て非なる」ものだった。

慧「やめろ……来るな、僕の中に……ッ!」

慧が叫ぶのと同時に、彼がエンターキーを叩きつけた。
瞬間、通信塔の全出力が解放された。

だが、そこから街へ放たれたのは、慧が望んだ「完璧な支配の旋律」ではなかった。

九条の声が慧の声と重なり、互いを増幅し、干渉し合い、凄まじい「ハウリング」となって塔の内部を逆流し始めたのだ。


3.崩壊するシンクロ


蓮『ア、ガ……ガガッ……!!』

フロア中のモニターが激しく明滅し、スピーカーから鼓膜を引き裂くような不協和音が炸裂する。

九条の視界では、真紅と紺青が混ざり合い、どろどろとした紫色の濁流となって世界を飲み込んでいた。

九条の鼻から、一筋の血が伝い落ちる。

彼の共感覚は、数百万人の脳と繋がったシステムの巨大な負荷を、直接その身に受けていた。

蓮(熱い……脳が、溶ける……!)

佐久間「今だ、荒木!」

佐久間の鋭い号令が響く。

荒木と佐久間は、激しい電磁ノイズに身体を焼かれながらも、中央制御サーバーへと突進した。

荒木「……このうるせぇ音とも、これでおさらばだ!」

荒木がその巨体を生かしたタックルで、過熱して真っ赤に焼けた冷却パイプをへし折る。

佐久間が、露出したメイン基盤に全弾を叩き込んだ。

ドオォォン!!

爆発的な火花が散り、サーバー室を白い消火ガスと黒煙が包み込む。

同時に、街中に向けて放たれようとしていた高出力の電波が、断末魔のようなノイズと共に霧散していった。

慧「ガ、はっ……!」

コンソールの前に立っていた慧が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

その口端からは、どろりとした鮮血が溢れ出している。

蓮「慧!」

九条はふらつく足取りで駆け寄り、地面に激突する直前の弟の身体を抱きとめた。

腕の中の慧は、驚くほど軽かった。

その肌は陶器のように白く、浮き出た血管が不気味に黒ずんでいる。

慧「……負け、たよ。兄さん。……完璧な、不協和音だった」

慧は力なく笑い、血に濡れた手で自分の胸元を掴んだ。

その拍動は、もはや生物のそれとは思えないほど不規則で、今にも止まりそうな異音を立てている。


4.作られた欠陥品


蓮「今すぐ救急車を……! 荒木さん、止血を!」

九条が叫ぶが、慧は首を振ってそれを遮った。

慧「無駄だよ……。僕は、君のような『本物』じゃない。……組織が君の遺伝子を元に、半人工的に作り出した……ただの出来損ないなんだから」

慧の告白に、背後で立ち尽くしていた荒木と佐久間が息を呑んだ。

慧「……組織は、君の共感覚を兵器として再現しようとした。でも、僕の素体は君ほどの出力に耐えられなかった。だから、この身体には『過剰な強化』が施されている。無理やり神経を焼き切り、薬物で感覚を拡張して……。そのツケが、今来ているだけさ」

慧は激しく咳き込み、さらに血を吐いた。

彼の身体は内側からボロボロに崩壊を始めていた。

組織にとって、彼は目的を達成すれば使い捨てられる、期限付きの道具に過ぎなかったのだ。

慧「……ずっと、憎かった。……仲間を集め、笑い、自然にその『音』を操る君が。……僕は、暗いラボの中で、君の背中という絶望だけを見せられて育った。……荒木や佐久間……そんな『ノイズ』に囲まれて、楽しそうにしている君が、許せなかったんだ……」

慧の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

それは彼の人生で初めて、ノイズのない、純粋な感情の震えだった。


5.最後の調律


蓮「もういい……もう喋るな、慧。僕と一緒に……」

九条がその手を強く握る。

しかし、慧の瞳には、消え入りそうな光の中に、確固たる決意が宿っていた。

慧「……兄さん。僕には、まだ残された時間が少しだけある。……最後に、僕を作ったあの場所の……『根源』を消しに行かなきゃならない……あと、僕達が壊してしまった時間を元に戻さなければ……」

荒木「馬鹿野郎! その体でどこへ行くつもりだ!」

荒木が叫び、一歩踏み出そうとした。佐久間もまた、逃がすまいと鋭い眼光を向ける。

しかし。

慧「――ごめんね。これが、僕の最後のわがままだ」

慧が残った力を振り絞り、微かな声を漏らした。

その瞬間、九条、荒木、佐久間の三人の脳を、キィィィンと突き刺すような超高周波の振動が貫いた。

荒木「っ……!? 体が……動か、ねえ……!」

荒木が苦悶の表情で固まる。

九条もまた、金縛りにあったように一歩も動けなくなった。

慧が自身の命を削り、最後の一滴まで絞り出した「音響麻酔」による神経の強制停止。

慧は九条の腕の中から、ふらふらと立ち上がった。

足元は覚束ず、一歩進むごとに血の跡が床に残る。

それでも彼は、決して振り返らなかった。

慧「……蓮。……一瞬でも、君の『兄弟』になれて……嬉しかったよ。ありがとう」

雨風が吹き込む割れた窓の縁に、慧が立った。

夜明け前の紫色の闇の中、彼の白い背中が、一瞬だけ優しく発光したように見えた。

蓮「慧! 待て! 慧――!!」

九条の叫びも虚しく、慧の姿は、みなとみらいの暗い海へと溶け込むように消えていった。


6.未完の調べ


数分後、神経の麻痺が解け、三人は窓辺へと駆け寄った。

しかし、そこには荒れ狂う夜の海と、遠くで回り始める観覧車の光があるだけだった。

慧の姿はどこにもない。

荒木は悔しげに手すりを殴りつけ、佐久間は静かに、雨に濡れる煙草を口に咥えた。

九条蓮は、雨に打たれながら、弟が消えた闇を見つめ続けていた。

彼の耳には、もう慧の苦痛に満ちた「真紅」は聞こえない。

蓮(……慧。君が言った『根源』を、僕は決して見逃さない。君が背負わされた絶望を、今度は僕が、この音で塗りつぶしていくから)

九条は、ポケットの中で冷たくなった音叉をそっと握りしめた。

蓮「……また会おう。今度は、もっと静かな場所で。……おやすみ、慧」

夜明けの横浜に、九条の奏でる「紺青」のハミングが、祈りのように静かに響き渡った。

それは、失われた半身に捧げる、鎮魂の序曲(レクイエム)だった。

【第三部・完】



次回

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