硝子の共感覚 #44 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律
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第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)
第七章:不屈の連鎖(アンブロークン・リンク)
1.無慈悲なる銃弾
下の階から響いていた荒木の、あの泥臭くも力強い戦いの音が、コンクリートの反響の中で少しずつ遠ざかっていく。
息も絶え絶えになりながら、九条と佐久間は非常階段を駆け上がり、中層階である30階付近まで到達していた。
九条の肺は酸素を求めて悲鳴を上げ、喉の奥からは鉄の味が込み上げてくる。
段差を踏みしめる一歩一歩が、重い鉛を動かしているかのようだった。
その時、周囲の空気が一変した。
佐久間「伏せろ!」
佐久間が鋭く叫び、九条の襟首を乱暴に掴んで床に引き倒した、まさにその瞬間だった。
タタタタタタタタッ!!
階段の吹き抜けの上部から、アサルトライフルの無慈悲な銃弾が豪雨のように降り注いだ。
九条たちがつい数秒前まで立っていた場所のコンクリートが粉砕され、白い粉塵と火花が視界を埋め尽くす。
佐久間「チッ……操り人形の次は、本職のお出ましってわけか。慧の野郎、用意周到だな」
佐久間がコンクリートの壁に背を張り付けながら舌打ちをした。
かつて荒木とコンビを組み、数々の修羅場を潜り抜けてきた元ベテラン刑事の瞳に、鋭い光が宿る。
視線を上に巡らせる。
上の31階の踊り場と、さらにその上のフロアの隙間に陣取っていたのは、真っ黒なタクティカルギアと暗視ゴーグルで完全に武装した、五人の私兵部隊だった。
彼らの動きに無駄はなく、完全に訓練された軍人のそれだ。
蓮「佐久間さん、彼らの波形は……」
九条が、銃撃の合間に自らの共感覚を研ぎ澄ませて叫ぶ。
蓮「洗脳されていません! 恐怖も狂気もない……冷酷で平坦な灰色の波です。完全に自分の意志と、プロとしての任務で僕たちを殺しに来ています!」
佐久間「なら、手加減は無用だな。荒木の野郎に『絶対に殺すな』と叩き込んだ手前、あまり派手なことはしたくないが……背に腹は代えられん」
佐久間は低く呟くと、懐から愛用のカスタマイズされたオートマチック拳銃を取り出し、予備のマガジンを静かに確認した。
その瞳には、甘さを捨て去り、確実に標的を無力化せんとする「狩人」の殺気が宿っていた。
2.影の囮
佐久間「九条。俺が奴らの注意を引く。その隙に、この階の非常用電源室の裏を通って、中央エレベーターのメンテナンスシャフトへ向かえ。あそこのワイヤーを使えば、最上階のサーバー室まで直行できるはずだ」
佐久間は壁に隠れたまま、九条の耳元で早口で告げた。
蓮「佐久間さん一人で戦うつもりですか!? 相手は重武装のプロが五人……いや、もっといるかもしれないのに!」
佐久間「舐めるな。お前に比べりゃ、俺はこういう暗がりで命のやり取りをすることにかけては、少しばかり経験が長い。……荒木の相棒をやってたのは伊達じゃないんだよ」
佐久間は着ていた黒いロングコートを脱ぎ捨てると、それを丸めて階段の反対側へと力強く放り投げた。
ドダダダダッ!!
私兵たちの暗視ゴーグルが動く影に反応し、銃撃が一斉にコートへと集中する。
そのコンマ数秒の隙を、佐久間は見逃さなかった。
佐久間は全くの無音で壁を蹴り、階段の手すりを飛び越えて虚空へと身を躍らせた。
重力に従って下の階層へと落下しながら、空中で身を翻し、銃口を真上の踊り場へと向ける。
タァンッ! タァンッ!
乾いた二発の銃声。
放たれた弾丸は、身を乗り出して撃ち下ろそうとしていた私兵部隊の機関銃手の肩と、隣にいたライフル兵の膝を、ミリ単位の狂いもなく正確に撃ち抜いた。
私兵「ぐああぁッ!」
絶叫と共に二つの人影が、重い音を立てて階段を転がり落ちていく。
致命傷は避けているが、戦闘続行は不可能なはずだ。
佐久間「……振り返るな、九条! 行け!!」
血飛沫が舞い散る中、下の階層に着地した佐久間の怒号が響き渡った。
九条は唇を噛み締め、決して振り返ることなく、佐久間が切り開いた弾幕の死角を駆け抜け、電源室へと続く重い扉の向こう側へと飛び込んだ。
3.暗闇の舞踏
九条の姿が見えなくなったのを確認すると、佐久間は厳しい表情のまま、階段の暗がりへとその身を溶け込ませた。
佐久間「さて……残りは三人か。さっさと片付けるぞ」
私兵たちは仲間の負傷に動揺することなく、即座に散開し、連携を取りながら佐久間を追い詰める陣形を組んだ。
レーザーサイトの赤い光が、暗闇の空間を無数に交差する。
佐久間は音を立てずに階層を移動し、建物の構造を完全に掌握していた。
一人の私兵がクリアリングのために死角へ足を踏み入れた瞬間、天井の配管にぶら下がっていた佐久間が、音もなく背後に降下した。
左手で相手の口を塞ぎ、右手の拳銃のグリップで首筋の急所を強打する。
短い痙攣の後、私兵は声一つ上げる間もなく意識を失った。
佐久間「一人」
通路に飛び出した佐久間は、驚愕して銃口を向けてきた二人目の私兵の腕を正確に射抜き、体勢が崩れたところを回し蹴りで壁に叩きつける。
衝撃で脳震盪を起こした私兵が、そのまま崩れ落ちた。
佐久間「二人」
しかし、その発砲音が、最後の一人に佐久間の位置を知らせてしまった。
私兵「そこかァッ!」
最後の一人が、グレネードランチャーの引き金を引く。
ドオォォン!! という耳を劈く爆発音と共に、佐久間がいた壁面が吹き飛んだ。
コンクリートの破片が散弾のように降り注ぎ、佐久間の脇腹と左肩を深く切り裂いた。
佐久間「ぐっ……!」
佐久間は血を流しながらも、爆風の煙を利用して前転し、相手の足元へと肉薄する。
私兵がアサルトライフルを構え直すよりも早く、佐久間の放った最後の一発が、私兵の武器を持つ手首を貫いた。
佐久間「……これで五人。全員沈黙したな」
4.見えない死神
佐久間は空になったマガジンを排出し、新しいものを装填しながら、血塗れの壁に背中を預けた。
傷口からとめどなく血が溢れ出ている。だが、致命傷ではない。
かつての相棒である荒木のように、「不殺」を貫く戦いはひどく神経と体力を削るものだと、佐久間は自嘲気味に笑った。
佐久間「……行けよ、九条。お前の家族の因縁は、お前自身の手で終わらせろ」
佐久間は荒い息を整えながら、再び立ち上がろうとした。
その時だった。
ピピッ……。
静まり返った階段の踊り場に、無機質な電子音が響いた。
佐久間は即座に銃を構え直し、音の出処を探る。倒れた私兵たちからではない。
足元だ。
床のコンクリートの隙間に、緑色に点滅する小型のデバイスが仕掛けられていた。
そして佐久間の首元に、どこからともなく『赤いレーザーの点』がピタリと定まった。
佐久間「……スナイパーか。いや、自動迎撃システム……?」
佐久間は身動きを取ることができなかった。
少しでも動けば、致死圏内にセットされた指向性地雷が作動するか、あるいは遥か遠方に設置された狙撃銃が火を噴くようにセットされているはずだ。
五人の私兵部隊すら、侵入者をこの「キルゾーン(殺戮地点)」に誘い込むための、使い捨ての囮に過ぎなかったのだ。
慧の張り巡らした罠は、ベテラン刑事としての予測すらも上回っていた。
佐久間「……チェックメイトってわけか。悪趣味な罠を仕掛けやがって」
緑色のランプの点滅が、急激に速度を上げ始める。
佐久間の冷たい瞳に、回避不能の死の光が反射していた。
その時、佐久間の脳裏には、かつて刑事を辞めるきっかけとなった組織との因縁や、不器用な元相棒である荒木と…そして最愛の人、栞の顔が去来した。
佐久間(……済まねえな、荒木。最後に見本を見せてやれそうにねえ……
栞、すまなかった……俺は君の夢も人生も壊してしまった……どんな責めでも受けるつもりだ……)
だが、死を覚悟したその瞬間だった。
男「――っらあああああッ!!」
階段の下から、猛獣のような咆哮と共に一つの巨体が飛び込んできた。
満身創痍、スーツはボロボロで顔中血まみれの男――荒木だった。
彼は限界を超えた脚力で跳躍すると、レーザーの射線を遮るように佐久間の前に躍り出た。
同時に、手にしていた重い鉄の扉(先ほど引き剥がしたものだろうか)を盾として床に叩きつける。
ガギィィィンッ!!
遠方の自動狙撃銃から放たれた弾丸が、鉄の盾に直撃し、凄まじい火花を散らした。
その衝撃の余波で指向性地雷も誘爆したが、荒木が佐久間を抱きかかえて死角へと転がり込んだため、爆風は空を斬った。
荒木「……はぁ、はぁ……間に合ったぜ、元相棒……!」
佐久間「荒木……お前、その体で……」
佐久間は驚愕に目を見開いた。
荒木は荒い呼吸を繰り返しながらも、不敵な笑みを浮かべて佐久間の肩を叩いた。
荒木「あんたに教わったんだ。相棒を見捨てて死ぬなんてのは、一番の重罪だってな」
傷だらけの元刑事たちが、地獄の淵で再び手を取り合った。
その背中には、もう迷いなど一切なかった。
【第三部 第七章・完】
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