硝子の共感覚 #43 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律
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第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)
第六章:反逆の摩天楼(リベリオン・タワー)
1.真紅の血管
深夜の横浜・みなとみらい。
都市のネオンを分厚い雨雲が飲み込み、冷たい土砂降りの雨がアスファルトを激しく叩きつけていた。
その暗雲を切り裂くようにそびえ立つ「みなとみらい統合通信塔」は、周囲の光をすべて吸い込むような不気味な威容を誇っている。
塔の裏側に位置する地下搬入ルート。
分厚い鋼鉄の扉の前に、雨に濡れた三人の影が張り付いていた。
佐久間「……少し時間がかかる。この扉のセキュリティ、軍事施設並みだぞ」
佐久間が舌打ちをしながら、電子ロックのパネルに小型のハッキングデバイスを接続した。
雨水を拭うこともせず、猛烈な速度でキーボードを叩く。
数秒の沈黙の後、低い電子音と共に、重厚な扉がゆっくりと横へスライドした。
佐久間「……開いたぞ。監視カメラの映像は、ここから5分間だけ直前のループ映像に切り替えてある。急ぐぞ」
佐久間の鋭い合図で、九条と荒木は塔の内部へと滑り込んだ。
蓮「……ひどい色です。息が詰まりそうだ」
内部に足を踏み入れた瞬間、九条は思わず目を細め、胸元を強く押さえた。
彼の共感覚(シナスタジア)は、通常の人間には見えない「音」や「電波」を視覚的な色彩として捉えることができる。
今の九条の目には、壁の中を這う無数のケーブルや配線が、まるで『真紅の血』を送り出す巨大な血管のように脈打って視えていた。
建物全体が、最上階にいるであろう慧(けい)の放つ悪意によって浸食され、一つの巨大な、そして狂った生き物と化しているのだ。
蓮「慧は最上階のメインサーバー室にいます。この建物の神経の中枢……そこで直接、音響麻酔のデータを自身の声帯波形と変換し、街中へ発信しているはずです」
九条は、頭蓋骨の裏側をヤスリで削られるような頭痛に耐えながら、上階を指差した。
佐久間「エレベーターは罠の可能性がある。箱の中で止められたら一貫の終わりだ。非常階段で一気に駆け上がるぞ」
荒木が愛用の拳銃をホルスターから抜き、スライドを引いて薬室に弾を送り込む。
先頭に立ち、階段へと続く扉を蹴り開けた。
2.琥珀色の盾
3階のフロアに到達した直後だった。
非常階段の踊り場に、異様な空気が漂い始める。
何者かの声「……グルゥゥ……アァァ……」
暗闇の奥、フロアの通路から、獣のような唸り声と共に数十人の人影がゆっくりと現れた。
夜間警備員の制服を着た者、塔のメンテナンス作業員の作業着を着た者、さらには清掃員らしき初老の男女まで混ざっている。
彼らの目は一様に白濁し、焦点が合っていない。
そして手には警棒や重いモンキーレンチ、鉄パイプ、あるいは消火器などの鈍器が無造作に握られていた。
佐久間「……操り人形か。数は二十ってところだな」
佐久間が冷静に敵の数を数え上げ、自身のコートの奥に隠し持った大型拳銃のグリップに手を伸ばし仕掛けた…
荒木「佐久間さん! ここは俺に任せてくれ!」
荒木がその手を強く制止した。
荒木「こいつらはただの一般人だ! 夜勤で真面目に働いてただけの連中を、あのバカげたノイズで操ってるだけだ。死なせるわけにはいかねえ!」
荒木は迷うことなく銃をホルスターに収め、両拳を握り込んで素手の構えを取った。
荒木「九条、佐久間さん! あんたたちは後ろに下がってろ。ここは俺が道をこじ開ける!」
荒木の咆哮を合図にしたかのように、先頭の作業員が奇声を上げて飛びかかってきた。
大上段から振り下ろされる鉄パイプ。
本来の人間が持つ安全装置(リミッター)が外れた、殺傷能力十分の一撃だ。
荒木「甘え!」
荒木はそれをギリギリの体捌きで躱すと、相手の懐に深く潜り込んだ。
相手の作業着の襟と袖を掴み、自身の腰に乗せて一気に投げ飛ばす。
強烈な一本背負い。背中からコンクリートの床に叩きつけられた作業員が、一瞬だけ動きを止める。
すかさず背後から襲いかかってきた警備員が警棒を振り回す。
荒木はその腕を下から弾き上げると、流れるような動作で相手の背後に回り込み、頸動脈を的確に締め上げるスリーパーホールドに持ち込んだ。
数秒で警備員の目が白目を剥き、崩れ落ちる。
荒木は、洗脳によって限界を超えた力を振り絞る市民たちを相手に、決して急所を殴らず、骨を折らないように絶妙な手加減で次々と気絶させていった。
それは、殺すことよりも何倍も体力と精神力をすり減らす、泥臭く過酷な戦いだった。
九条の目には、汗だくになって戦う荒木の姿が「力強く温かいオレンジ色の炎」として視えていた。
その不屈の炎が、周囲を覆い尽くす冷たい真紅のノイズを力強く押し返し、九条の進むべき一本の道を明るく照らし出している。
3.孤独な防衛線
荒木「……ハァ、ハァ……どうした、もう終わりか!」
息を荒く切らし、肩で息をしながらも、荒木は三人目の清掃員を締め落とし、階段へと続く鉄扉を指差した。
荒木「行け、九条! 佐久間さん! ここに固まってたらジリ貧だ! 俺はここに残って、他のフロアから来る奴らを足止めする!」
蓮「荒木さん……! でも、そんな数に一人で……!」
九条が悲痛な声を上げる。
荒木「俺の背中なら心配すんな。元刑事の意地、見せてやるよ。……それに、佐久間さん。あんたに叩き込まれた流儀、ここで証明して見せますよ」
荒木の顔には、傷だらけでありながらも、かつての相棒であり刑事としての師匠でもある男に向けた、頼もしい笑みが浮かんでいた。
佐久間「……相変わらず手のかかる馬鹿野郎だ。死ぬなよ、荒木」
佐久間が口元に微かな笑みを浮かべて短く言い残し、九条の腕を引いて階段を駆け上がっていく。
九条は深く頷き、後ろ髪を引かれる思いで上階へと足を踏み出した。
二人の足音が遠ざかったのを確認すると、荒木はネクタイを乱暴に引き剥がし、拳の関節をポキポキと鳴らした。
荒木「さてと。残業手当は出ねえが……お前ら全員、俺が朝まで寝かしつけてやるよ」
残る十数人の操り人形たちが、怒涛の勢いで荒木に殺到する。
レンチが荒木の肩をかすめ、鈍い痛みが走る。
荒木は痛みに顔をしかめながらも、相手の腕を絡め取り、関節技で地面に押さえ込む。
別の一人が消火器を振りかざす。
荒木はローキックで相手の体勢を崩し、鳩尾(みぞおち)に寸止めに近い打
撃を入れて意識を刈り取る。
倒しても倒しても、彼らは痛みを感じないため、少しでも意識があれば這いつくばってでも足首を掴んでくる。
荒木の体力は限界に近づき、視界が汗と自身の血で滲み始めていた。
荒木(クソッ……腕が鉛みたいに重え……)
しかし、荒木は決して倒れなかった。
彼がここで崩れれば、九条たちの背後を突かれる。
その強い意志だけで、立ちはだかる群衆を一人、また一人と無力化していく。
4.満身創痍の追随
やがて、数十分にも及ぶ泥沼の乱戦が終わりを告げた。
荒木「……はぁっ……はぁっ……!」
荒木は血の混じった唾を吐き捨て、膝に手をついて荒い息をついた。
3階のフロアには、気絶した二十人近くの市民たちが、まるでパズルのピースのように折り重なって倒れている。
誰一人として命を落としてはいない。
荒木は、自身に課した「誰も殺さない」という誓いを、見事に守り抜いたのだ。
荒木「……終わっ、たか……」
痛む肩を押さえながら、壁にもたれかかる。全身の筋肉が悲鳴を上げ、立っているのがやっとの状態だった。
九条たちは、もうかなり上の階まで到達しているはずだ。
荒木は重い瞼をこすり、周囲の通路や下の階へと続く階段に視線を巡らせた。
耳を澄ませても、新たな足音や獣のような唸り声は聞こえない。
どうやら、この付近の「操り人形」は完全に沈黙したようだ。
荒木「……よし。誰も来てねえな」
荒木は乱れた息を整えながら、自身のスーツの袖で顔の血と汗を乱暴に拭い去った。
膝はガクガクと震え、視界はかすんでいる。
立っているだけでもフラフラと倒れそうな状態だったが、その瞳の奥にある
オレンジ色の炎は決して消えてはいなかった。
荒木「あの馬鹿な師匠が、一人で無茶してなきゃいいがな……。それに、九
条……」
荒木は壁から背中を離し、ふらつく足取りで、九条と佐久間が消えた非常階段へと向かった。
彼らに迫るさらなる脅威を振り払うため、そして、かつての相棒の背中を再び守るため。
満身創痍の元刑事は、限界を超えた身体を引きずりながら、塔のさらに上層へと続く階段を重い足取りで登り始めた。
【第三部 第六章・完】
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