幸運な病のレシピ 2022年3月11日〜20日
Antipasto「タンパク質」とひとくくりにする栄養学の貧弱

タンパク質はアミノ酸の配列で出来ている。1960年代の大発見だ。DNAに記述されている。「必須アミノ酸」さえ十分摂っていればタンパク質が関連した欠乏症は起こらない。だって、アミノ酸をつないで身体の中では自由にタンパク質を作れるのだ(僕は嘘だと思っている)。
お偉い先生方は、『タンパク質は、「胃袋でアミノ酸レベルまでバラバラにされたクリーンな形」で身体に入ってくる』という信念をお持ちである。彼らの生命観は「純」なのである。人の身体のうちには「悪」が入り込んでいない、入り込むと「病」が起こるのだという医学のドグマが見え隠れする。
しかし、問題点が多い。まず第一に、「消化」でタンパク質が「アミノ酸のレベル(多くて数個のアミノ酸の塊)」まで分解されるのかどうかということである。
そしてこの思い込みの根底には、『身体の中においてあらゆるタンパク質をアミノ酸から作ることが出来る』と言うもっと素朴な思い込みがある。タンパク質」が「筋肉」を意味していた時代である。
確かに、筋肉組織は自分自身で筋肉を自由に作る。そして毎日5〜20%の筋肉を溶かして、合成している。筋肉組織はタンパク質のお財布なのだ。血液の中のタンパク質をいつも一定の濃度に保つのが筋組織の大事な役割である。と言うよりも外部に流れているアルブミンや遊離アミノ酸の量を察知して自分を溶かしたり受け入れたりする。その反応にはATPが必要になる、だからI型糖尿病でブドウ糖を取り込めない患者(分解は進むが合成が間に合わないので)はやせ細り死ぬのだ。
「タンパク・脂質」は大量に消費される。乾燥環境に適応するように、皮膚は毎日100g滑落していく。細胞の中では常に合成と分解が繰り返される。8億〜80億有ると言われるタンパク質は「数分」というレベルで分解(オートファジー)と合成を繰り返して、細胞の外に「放出」され、身体という海にメッセージを流す。
全ての細胞は「膜タンパク=受容体」と言われるタンパク質(鍵穴)を細胞膜に埋め込んでいる。血液中を流れる「ホルモン(特定の組織細胞の分泌する古典的な「命令物質??」)・サイトカイン(一般の細胞の分泌する物質)」という「鍵」の役割をする物質もタンパク質がメインで使われている。受容体は外を流れるタンパク質を受け止めて、自分を変える。環境に対して自分を変えることを「進化・退化(=適応)」と私たちの生命科学では呼ぶ。細胞レベルでは常に起こっている当たり前の反応なのだ。
立体構造を維持した「タンパク・脂質」は細胞間のオシャベリの言葉なのだ。DNAはマイクロバイオームのプロトコルである。設計図ではない。
タンパク質が「折りたたまれている」ことも大事な要素である。狂牛病は、ブリオンタンパクがミスフォールディング(折りたたまれ間違い)された状態で体内に入ってくるから起こると考えられている。もうこの考え方の時点で消化吸収がアミノ酸単位であるという考え方は破綻している。
一般的な細胞の内側でも、この「ミスフォールディング」は結構な確率(30%)で起きているのではないかと言われている。
---この項目は続きます、書ききれないのだ---


【2022年3月20日】手羽先のトロトロを作った。何やかにやと作ったのだが、いつの間にか食事が終わっておった。手羽先は2時間煮込むとすごい状態になる。鍋もまもなく2ヶ月である。味の深みが生半可ではない。
【2022年3月20日】家事分担というと水平型である場合が多い。「買い物」「下ごしらえ」「調理」「後片付け」。うちの父母も魚の下ごしらえは父で、後片付けも最後まで厨房に残っているのは父であった。
これとは別で、垂直型というのは、日曜日の夕ご飯は「僕とパパでやるからね」的なものである。もう一つのパターンは「住み込み下男・女中型」である。うちは住み込み下男型である(笑)。「ヒモ型・夢追いびと型」と言ってもいいかもしれない。とは言っても、お風呂の掃除と洗濯は任せているので広範囲の垂直分業形かもしれない。
今日は、朝6時から後片付けになった。素材から料理を作るのはオオゴトなのだが、その根本原因は後片付けである。調理は時短とか大流行である。味のついたスープ・ソースに肉魚野菜を合わせれば出来上がりという便利なものが多い。それでも、残るのは後片付けである。残ったオカズの処理やら、ゴミの処理やら面倒である。
後片付けは、次の調理の下準備である。と同時に綺麗にできていないと「バカ阿呆」とヒドイ言われ方になる。食器が妻子供の衛生基準から却下される場合もある。これは腹が立つ。
2014年当時、父母の料理を作るようになって、徐々に厨房の仕事をみなやるようになった。
今では、朝食は娘の分を妻が作るようになっているので、朝起きてきた時点ではきれいになっているように後片付けをする。買い物はレジの並びの長い地元スーパーが妻の担当で、少し遠い魚の上手なスーパーが僕の担当。僕は週一回っていい魚を選び、妻は一日おきに安いものを探す。妻がパートの日には、2時位までには夜の弁当のおかずを作り、16時位には汁を作り娘の帰りを待つ。まさに住み込みの下男である。やがて、娘も遠くに行くだろうし、一人きりになり人生の終わりを迎えるのである。ピンコロに死ぬ為に50年前の食プロセス、「生命=タンパク・脂質の立体構造を維持した食事」を守り続ける。
【2022年3月19日】昨晩、鯛の刺し身(地場もの)が安かったので買った。父を思い出す。父には毎日刺し身を出すようにしていた。酒が好きで亡くなる直前まで飲んでいた。鯛の刺身が好きなのだが、中々高いのでビンチョウマグロも買うことが多かった。(笑)。一番最初に手をつけて、少し残して実家に帰って夜中に一杯やっているのだった。
カルパッチョを作ったがあまり美味しく出来なかった。難しいものである。昼はパエリアとトンカツ。妻のパートで弁当である。僕はカツサンドを作った。5枚切りのパンを半分の厚さに切ると丁度いいのである。キャベツを挟んでかぶりつくのが好きである。トンカツの肉は3枚で340円、お店のカツは一枚380円である。何時も言うが、お店の商品化された食事が悪いわけではない。金額的に3枚買ってバコバコ食えるものではないのだ。どうしても母斑をたくさん食べて満腹になるほかないのだ。





【2022年3月18日】イワシと鮭を焼いて汁は青梗菜と豚の挽肉の中華風少し辛いトロトロ。鮭がメチャクチャ塩辛かった。塩引きの鮭を切ったものであったようだ。鮭の塩辛さにはいつも考えさせられる。何せ焼いてみるまで判断がつかない。表書きには書かれて入るが、「しょっぱすぎ」ることが多い。しかし、考えてみると小さい頃はそんなものだったような気がする。御飯の上に本わずか乗せてかっこんでいた。筋子やタラノコも同じである。「しょっぱく」ないとご飯がたくさん食べれないのだ。
東北地方の塩分消費量と脳血管系の災厄の因果関係がよく言われる。しかし、塩分が脳の血管を壊すという分子生物学上の機序は見つかっていない。
塩分が多い食事とは炭水化物で満腹になる食事である。つまり、食事の中からコストの高い「肉魚野菜」を押し出してしまうのだ。塩むすびは美味しいし、満腹につながる。しかし、「生命=立体構造を維持したタンパク・脂質」がそこにはない。
「生活」で一番簡単にコストカット出来るのは食費である。介護施設や病院、学校給食、刑務所「食事行政」は「政治的に正しい栄養学」に従って食事を作る。それが苦しみを伴う人生の終わりに結びついていることは現実を見ればわかる。
金持ちは十分に時間をかけた食事を高額で手に入れる。毎日の生活も余裕があり、年金がショートする心配も少なかろうや。世界は不公平である。今に始まったことではないだが...…。
昼はトルティヤを作った。ラップで巻いたら食べやすいのである。マユのご飯も作った。
【2022年3月17日】今日は妻のパートのお弁当。揚げ物とイワシを買ってきてさばいた。明日焼くであろう。生のホタルイカは沸騰したお湯に入れ、再沸騰後3分で上げる。売られているホタルイカに比べると何と美味しいことか。お店のものは加熱がすぎるのだ。生のホタルイカは売っている店が限られる。ボイルされて時間が立ったものは美味しくない。さっきまで海で泳いでいたホタルイカを食べるのは嬉しい。海で泳いでいたホタルイカである。内臓には少し臭みがあるので、お湯から上げたら少し洗うといい。それでも茹でたては何者にも比較できない。海に満ちている生命をホタルイカはその身体一杯に溢れさせて厨房に来てくれる。できるだけ加熱は最小限で生きているときからの時間を短い間に食べるのである。「腐る・痛む」は生命の満ちている証拠。賞味期限が記載されている商品は、満腹を売るだけのものでしか無い。
ちょうどよくボイルすると、目玉が柔らかくて食える。手間かけて取ることはない。目が良くなるかもしれない(嘘)。酢味噌が美味い。最近は白砂糖を多く入れるのだが、それがいいのかもしれない。
ワカサギも天ぷらが美味い。内臓ごと食べるものなのだが、決して臭みはない。ある程度の加熱をするほうがいい。内蔵まで熱が入り、外がパリパリで美味しくなる。
冊で刺し身も買った来たので夜は刺し身丼である。
【2022年3月16日】夜はハンバーグである。挽き肉が悪くなりそうであった。

【2022年3月16日】朝である。「継ぎ足しおでん」に手羽先を入れて火にかけた。温まるまでに厚揚げと薄揚げで2品作った。薄揚げは葉物と濃い味で煮付けるのが好きだ。箸休めにいい。厚揚げはチリチリにした挽き肉とネギでソースを作り味を吸わせる、今日はトウバンジャンを入れてピリ辛にした。考えてみると、1日料理を作っている。50年前、母達は家族の身体に責任を持て食事を作っていた。長く続き受け継がれてきた「食のエビデンス=家族が心安らかに生きることの出来る食事」を守ってきたのである。
50年前の料理を考えながら味を探す。もはや失われたものではあるが、手がかりは自分自身の身体のうちにある。美味しさこそが羅針盤なのだ。炭水化物や美味しすぎる調味料は磁石のようなものだ。羅針盤を狂わせて、フードキャピタリストに富を与える。
美味しすぎないように、満腹になりすぎないように、心が満足するように。加熱は適切に、伝統を重んじて時間がかかることを厭わないで自分の人生の終わりを守るために.....…
【2022年3月15日】妻がパートなので、揚げ物と酢豚である(笑)。冷蔵庫に有るものを組み合わせて料理を作るのだが、難しいことばかりである。季節のものを中心に家族の好みを考えて作るのである。豚のばら肉のブロックがあったら酢豚は第一選択肢である。僕の酢豚は、お店のものに比べて遥かに肉野菜が多い。コスト的には、大佐はないだろう。これだけでも満腹になる。「商品化された食事」とは、その価格のうちにキャピタリストの利益を含む。「目がくらむほど美味しい」料理は目くらましだ。高値をつけて利益を上げる。本当に必要なのは素材なのだ。そして、素材からテーブルまでの距離=時間は短いほどいい。その意味では冷凍の素材に関しては評価は少しまちたい。冷凍は味(素材の持っている生命)を落とさないと言うが、果たしてどうだろうか?今更冷凍でないマグロを求めるのは意味があるのだろうか?先日、丸元淑生さんの日本料理を礼賛している文の中で刺し身が素晴らしいと強調されていた。確かに、刺し身は素敵な食べ方である。しかし、一回の食事の中で刺し身の量ってどこの位食べるだろうか?酢飯で腹一杯にしていないだろうか?そんなに刺し身だけって食えないものである(笑)。
日本料理という「概念」自信に僕は疑念が有る。
1960年代のイタリア料理はオリーブオイルを多用するが(アメリカに比較して)心臓病が少なかった。栄養学者は「オリーブオイル」が心臓を強くすると考えたが、オイルの使用量以外にジャンクフード全盛期のアメリカと、家庭でマンマが食事を作っていたイタリア(昼食に家に帰り2時間とか時間をかけて食べる)の2つをオイルの使用量だけで比較するのが問題である。
2022年の日本料理(工場で作られて冷凍して売られる)と、1960年の日本料理(家庭で母が作っていた)を比較すればわかる。
大事なのは皿の上の素材ではない、作るプロセスなのだ。
【2022年3月14日】夜は牛肉とナスのトロトロであった。牛肉はオイスターソースが相性がいい。別なフライパンで炒めて味を入れてから最後に合わせるといい。ナスは味を吸うので嬉しい。イワシとイカを買ってきてくれたので、イワシは焼いた。イカは干し始めた数日中に味醂醤油をつけて焼くとうまい。ラカナを焼くのは面倒だ、何よりも焼いた後の後始末が辛い。鮭などはフライパンでも十分いいのだが、イワシは焼き網で焼いたほうが美味しい。焼いてすぐに後始末すると良いと思うのだが、そうも行かないことが多い。どちらにしても僕がするのだからいいのであるが。白菜でキムチも付けてみたが、あまりうまく言った試しがない。
昼はクレープにライスペーパーを乗せて、中に牛肉焼きと野菜を巻き込んで作った。ライスペーパーは濡らし方が面倒だが、これだととてもいい。クレープは得意技である。ポテトサラダを巻いて食べると極楽なのだ。
【2022年3月13日】今日は僕の誕生祝い(3/1であった)のテイクアウトであった(笑)。お店で食べても帰って来るのが面倒なので、シームレスに寝床に入れるのが嬉しい。中華料理であった。庭木の剪定をした。昼はオム焼きそばを食べた。庭で膝を痛めたようだ。少し辛い。ビールを1リットル飲んだら足がつった。これは辛い。


【2022年3月12日】トルティーヤが好評なのでクレープの生地を作った。数日中に食べることにしよう。野菜と肉を入れて食べるもよし、ポテトサラダを入れるもよし、クレープはお菓子としてではなく、食事として食べると嬉しい。小麦粉でなくコーンを使えばまさにトルティアである。夜は揚げ物と焼きそばである。鍋にデミソースシチューを入れた。ますます素敵になっていく。



【2022年3月11日】ナスと豚肉の炒めである。紫蘇をたくさん入れるが、この時期の紫蘇はあまり強い味にならない。残ったものは継ぎ足しおでんに入れた。




いいなと思ったら応援しよう!
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。