ようこそ!フォーチュンカフェへ #10 磨けば光る ~コスタリカ×エチオピア~
珈琲と古本の香りがまじりあう、路地裏の小さなカフェ。
名前は〈フォーチュンカフェ〉。
看板の言葉が、ふと心に触れたとき
──扉を開ければ、そこに待っているのは、たったひとひらの言葉。
偶然か、運命か。
その言葉は、あなたの心を優しく磨いてくれるのかもしれない。
*
川内ますみ(28)は、重たい足どりで百貨店の裏通りを歩いていた。
その日、催事で磨いた革靴は20足。
普段よりも多く、体力勝負だった。
「疲れた……」
思わず声が漏れる。
座る間もなく磨き続けた身体は重い。
指先にはまだ、革の手触りが残っていた。
夕暮れ。
街の灯がゆっくりと点りはじめた。
ふと、足が止まる。
──路地の入り口の看板。
Fortune Café
本日のひとこと:『くたびれた靴は、歩いてきた証。』
その言葉に、吸い寄せられる。
靴。
それは、外を歩くときの相棒。
くたびれた靴を磨くということは、
その靴で歩いてきた人を癒すことなのかもしれない。
気づけば、ますみの手は、古びた扉を押していた。
*
カラン。
小さなベルの音。
珈琲と古本の、静かな香りが迎えてくれる。
「おひとりですか?どうぞ。」
カウンターの奥で、柔らかい眼差しの女性が微笑んだ。
その表情に、疲れがすこしだけほどける。
(えーっと……注文……)
「えっと……メニューは……?」
「うちは、お任せなんです。あなたに合った珈琲を、お出しします。」
こと葉──と名乗ったその女性は、静かに珈琲を淹れはじめた。
*
「コスタリカとエチオピアのブレンドです。
どちらも浅煎りで、果実のような香りを引き出しました。
少し甘みを残して、疲れた身体に優しくなるように」
運ばれてきたのは、カップのふちに花模様が描かれた白磁の器。
湯気の向こうに、どこか懐かしい香りが漂う。
ひとくち、口に含む。
(……やわらかい。)
酸味がほのかに舌に触れ、その奥に、やさしい苦味が広がった。
強張った肩から少し、力が抜けていく。
「……“気配り”の味がしました」
こと葉が静かに言った。
「え?」
「わたし、人の“顔の味”がわかるんです」
冗談のようなことを、こと葉はさらりと言う。
「あなたの味は……いつも気を張りつめた跡がある。でも、それは自分のためじゃない。誰かの喜ぶ顔を思っての味です。」
ますみは、苦笑した。
うれしかったけど、それだけじゃなかったから。
*
こと葉の珈琲で心がほぐれたのか、言葉がすっと出てきた。
「……私、靴磨きをしてるんです。もう3年経ちました。
百貨店の催事とか、イベントにも呼ばれるようになって。
今日も、10足磨きました。」
「それは……大変でしたね。」
「はい。特に、最後の一足が……」
そこまで言って、ますみはまたぽつりと話しはじめた。
*
数か月前から、70代くらいの老紳士が、自分のところに通ってきていた。
口数は少ない。
柔和な目をしたおじいさん、という印象だ。
でも、
「しっかり磨いた……と思っても、はっきりは言わないけど、少し残念そうな顔をするんです。」
今日もそうだった。
疲れがピークのなか、
「簡単でいいよ。」
と言われた。
時間的にも最後だったので、全力で仕上げたつもりだった。
でも、老紳士また少し残念そうな顔をして言った。
「……『ここはもう少し、光りそうだね。』」って。
確かに、言われてみれば、もう少し磨けばよかった。」
ますみは、ため息をついた。
*
すると、こと葉は静かに、小さな箱を差し出した。
「なんですか?これ?」
「『ことばみくじ』です。どうぞ運試しに。」
ますみは、箱の中から一枚の紙を引いた。
開くと、銀のインクでこう書かれていた。
『磨いた分だけ、光る。』
その瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
(……そうだった。)
「『簡単でいい』って言葉に、甘えてた。」
はっ、と気づいた。あの老紳士は、自分がどこまで磨くのか──ずっと見ていたのかもしれない。
いつも、目安の時間が来て
「終わりです。」
って告げると……。
老紳士の少し残念そうな顔が浮かび、胸がキリリと痛んだ。
*
少し落ち込んだ様子のますみに、こと葉はそっと声を掛けた。
「珈琲のお代は、『ことばみくじ』を書いてもらうことなんですけど……
でも、もし今は思いつかないなら……また、次来ていただいた時で、かまいませんよ。」
「……すみません。今はちょっと、出がらしみたいです」
そう言って立ち上がると、こと葉がターコイズブルーの瞳で静かにうなずいた。
(きっと、また来られますよ)
心の中で、そうつぶやくように。
*
──翌日。
百貨店の催事場。
ますみは、変わらず靴を磨いていた。
次々とやってくる依頼に、ひとつひとつ向き合う。
そして、夕方。
昨日と同じように、老紳士が現れた。
「……『簡単』でいいですよ。」
その言葉に、ますみは微笑んだ。
「はい!お願いします!」
クロスを取り出し、磨き続けた。
何度も角度を変え、何度も光を確かめた。
──30分。1時間。
やがて老紳士が驚いたように口を開いた。
「……一晩で変わりましたね。」
ますみは手を止めた。
「まったく、スキがなくなりました。ほんとうに曇りなく磨いてくれてありがとう。」
柔和な目が、さらに優しい感じになった老紳士は続けた。
「一つお願いがあってね、孫がね、今度成人式なんです。
この靴を、履かせたい。
でもサイズが少し違うんで、修理して磨いてほしいんです。」
その声は、どこか誇らしげだった。
(すごい!ちゃんと、届いた。)
胸の奥で、音がした。
やっと、自分の仕事が、誰かの未来につながったと、実感できた。
*
その夜。
ますみは、再び〈フォーチュンカフェ〉の前に立っていた。
中へ入ると、こと葉が穏やかに迎えてくれる。
「今度は、書けそうです」
ことばみくじの白紙に、「不言色」と書かれたガラスペンを走らせる。
『とことん磨いたら、新しい道が開く。』
こと葉に渡すと、紙をそっと折りたたんで、小さな箱に入れた。
「ありがとう。明日からもまた頑張れそうです。」
「……どんどん磨いちゃってください。」
温かいこと葉の声に背を押されながら、ますみは扉を出た。
カラン。
夜の街の光が見える。
「……明日も、磨こう。」
ゆっくりとますみの足音は町の喧騒に溶けていった。
了
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。