にゃくいちさん 六話
「お前こそ誰やねん! 」
「ちょっと! 人の話を聞いとる? 人の家に勝手に入ってきて、頭おかしいで、自分」と明妃が口を挟むと「はあ? お前らこそ、人の話聞けや」と李亜はつっかかる。
「だから、あんた誰なの?」明妃は苛立ちを隠さない。
「ちょっと、二人とも黙れって」と弾左は二人の間に割って入る。
「明妃さ、お前さ、この部屋の契約者お前だけだよな? 違うの?」明妃は弾左の顔をまじまじと見た。そして「わたしだよ。本当に知らない。こんな人……」と呟いた。
「ちょ、なんやて? 明妃、お前ええかげんにせぇよ。 あほか!」と李亜は声を荒らげ、睨みつけた。弾左は呆れたように大きく溜息を吐くと「あんたさ、本当に落ち着けって」と言いながら煙草を空き缶に当てて、火を揉み消している。そして「あのさ、あんた、名前は?」と言った。
「李亜」弾左は、李亜が素直に名乗る事が意外という顔をしたが、すぐに「りあ? よし。李亜さん。あんた、自分が何をしているかわかっているか?」と訊く。
「なんやねん。お前は何様や」と李亜はまた声を荒らげたが、弾左はそれを無視して「李亜さんさ、この部屋の名義は?」と言った。
「は? この女と私で借りとるわ」
「じゃあさ、ここには、李亜さんの服とか、家具とかがあるわけだな?」
「当たり前やん」
「じゃあ、あんたの物みせてよ」と弾左は言い、それを聞いて李亜は、ムキになって立ち上がり、廊下の方へ歩いて行った。
「なんやこれ?」と声がしたかと思うと、すぐに李亜はリビングに戻り「ないな。なんでないの?」と言った。
「ある訳ねぇだろ。ここ、あんたの家じゃねぇよ」弾左がそう言うと、李亜は「どういう事や!」と言った。しかし、弾左は顔色も変えずに「出て行けよ。面倒かけんなよ」と言いながら再びタバコに火を点けた。
「わかった。もうええわ! もうええ! お前らと話をしとったら耳が腐るわ」と李亜は怒鳴り散らした。そして、そのままリビングから出て行ったが、すぐに戻ってきて「ちなみに、お前、苗字なんていうんや?」と訊いた。
「関係ねぇだろ? マジで早く出て行けよ」と弾左は、煙を吐きながら言った。明妃は怯えたような様子で二人を見ている。
玄関を出た李亜は「ホンマ、なんやねん」と吐き捨てるように言って廊下を歩き、そのまま外に出た。陽の光が、鋭い刃のように彼女の目に突きささる。目を細めて、しょっぱい顔をして、幹線道路の舗道を李亜は歩いていた。自分の持ち物は何もない。黒の上下のスウェットと、ポケットに入っているスマートフォンと、誰のかわからないサンダルを履いているだけ。とりあえずといった感じで、李亜は春松に電話した。
「もしもし」とすぐに応答があった。
「あ、もしもし? あたしやけど」電話口の向こうで、皿が割れる音がした。
「え?」と李亜はスマートフォンを耳に強く押し当てる。
「どうしたん?」と訊くと、春松の溜息が聞こえた。そして「いや、どーも、こーもねーよ。飯食ってたら皿割っちまった」
「はぁ?」
「俺、スマホも割ったばかりだし、何かツイてねーわ」
「何言うてんの? 春松、大丈夫?」
「え? ああ、大丈夫。で? どうした?」
「あ、あのさ、昨日ってあたし、春松んとこで泊まったやんな?」
「いや」と春松は即答した。
「え? あれ?」
「どうした?」李亜の頭の中が一瞬真っ白になったのか、慄然としてその場にしばらく釘付けにされたように立ちすくんでいた。
「いや、でも」と言いかけたが、春松はそれを遮るように「え? 何?」と言った。
「ちょ、春松さ、昨日、あたしを嘉久駅まで向かいに来てくれたやん。んで、回転寿司行って、あたし、アパート行ったって」
「え? 何それ? そんなわけないだろ。俺、出張してんだし」春松の声はふざけている訳ではなかった。
「いや、ちょ、待って。じゃあさ、あたしって昨日どこにおった?」と李亜は訊いた。
「どこって? 李亜、お前、大丈夫? 俺、今日帰るしさ、パスタラビスタまで迎えに行くよ」
「いや、え? 今どこ? ちょっと待って」
「李亜、わりぃけど、俺、行かなきゃ。また連絡するよ。二本木に……」春松がスマートフォンを耳から外したのか、通話は途切れた。李亜はしばらくその場で立ちすくんでいたが、何かに気がついたように周囲を見回した。そして急に不安な顔になってスマートフォンの地図アプリを起動する。
「どういう事?」と李亜は呟いた。明妃と住んでいたアパートの近くではなく、彼女は巨大な朱の鳥居の下にいるのだった。
「六時四十五分」
スマートフォンの時間を確認した李亜は、少しばかり早いが八条口の方に向かって歩いていく。
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一日延ばしは時の盗人、明日は明日……
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